夢? 幻? いいえ、これが真実ですわ
「鳳月さん! 鳳月さん!!」
グラウンドに鬼気迫る叫び声が響く。多くの人間が取り巻く中、地面に横たわっているのは、鳳月飛鳥だ。
体育の授業中に突然倒れた彼女。その様子は明らかに緊急を要するもので、呼吸をしていないようにも見える。
「鳳月さん、どうしちゃったの?」
「わからない。なんか突然苦しそうに倒れて」
「先生どうしよう!?」
「お、落ち着け。だが、先生が触れるのは後々問題が……。と、とにかく救護の、女の先生を連れてくる!」
その体育教師は校舎へ走り出した。
誰も助けに動かない。その理由は単純で、男子生徒はあの教師同様、救護活動がセクハラ行為に当たるのではと危惧し、女子生徒は鳳月家の家格が高すぎる為、触れる事を躊躇っているのだ。
そんな中でも、動こうとした男子生徒はいた。しかしそこへ。
「ちょっとちょっと 東雲くぅん、僕の許嫁に何しようとしてるのかな?」
前髪を指でクルクルと弄びながら、神宮寺愛虎がねっとりとした口調で制止の声をあげる。
「じ、神宮寺君……いや、僕はただ鳳月さんが心配で」
「ははっ、嘘はだめだよ嘘は。心配してるふりしてちゃっかり胸揉んで、あわよくばマウストゥマウスしようとしちゃってるんでしょう?」
「ご、誤解だよ、神宮寺君、僕は、あぁッ!!」
次の瞬間、神宮寺は東雲の前髪を鷲掴みにして、顔を近付けた。表情は笑っているが、目の奥が冷たく光る。
「きみみたいな有象無象が触れたら鳳月飛鳥の価値が下がるだろう? わかったらどきなよ。セクハラで訴えられて学園から追放されたくないよね? 僕にはその力があること、わかっているよね?」
「だ、だけど、神宮寺くん、それ鳳月さんヤバイよ。そうだ、神宮寺君が救護しなよ!」
「え? 僕がかい?」まんざらでもなさそうに笑みを噛み殺す。
「まぁ、それもそうだね。彼女の素肌に触れる権利を有しているのは僕だけ。キスをする事もぼくにしかできない」
「そうだよ! 神宮寺君しかいないよ! 神宮寺! 神宮寺! 愛虎! 愛虎! 愛虎! 愛虎!」
謎の神宮寺愛虎コールが巻き起こり、両手を広げて天を仰ぐ神宮寺愛虎。たっぷり神宮寺コールを浴び悦に浸る奇跡の美顔。
ああぁ。気持ちいぃ……。もっと、もっとカモォォン!
そこへ。
「え? 鳳月さん!?」
用具倉庫から戻ってきた渡会優が、転がるほどの勢いで鳳月飛鳥の傍らにやってきた。
すぐさま胸元に耳を近づけて心音を確認する。そして絶句した。
し、心臓が止まってる!
「オーノー!! ミスター渡会。いけないなぁ、きみのような下賎な身分の人間が彼女に触れちゃあ」
「わ、渡会、やめとけって。今、保健室から先生来るし、神宮寺君に任せときなよ」
みんな何を言っているんだ?
事の重大さに誰も気付いていない。一分一秒を争う事態だというのに!!
「救急車! 救急車を誰か呼んで!!」いや、誰かじゃ誰も動かない。
「東雲君、君が救急車を呼ぶんだ!!」
優は大声で指示を出すと、飛鳥の体操服を胸元が露わになるまで捲り上げた。
「オーーノォォォーーーー!!!!」神宮寺が頭を叶えて絶叫する。そんな叫びは無視し、優は胸骨圧迫を施す。
心肺停止した場合適切な処置と処置に掛かる時間が蘇生に大きく作用するんだ。
ニ分以内に処置できれば蘇生確率は九割近い。逆に八分間何も処置しなかった場合蘇生はほぼ絶望的。
僕が用具倉庫に向かうまでは、鳳月さんはまだ倒れていなかった。おそらく心肺停止からの時間は二分後半から四分弱。
くそッ、なんでよりによって今日僕は用具係だったんだ!
「お願いだ。鳳月さん、戻ってきてくれ」
躊躇わず人工呼吸も行う。一度息を吹き込み、胸の動きを確認するが、動いていない。もう一度吹き込み、また直ぐに胸骨圧迫を開始する。
「絶対に助けるから、だから鳳月さん、頑張って。頑張ってくれ。うっ!」
髪の毛を強く引っ張られ、優は苦痛に顔を歪めた。首が後ろにもっていかれる。
くっ、これじゃあ胸骨圧迫ができない。
「渡会くぅぅん? いい加減にしなよぉ。きみをこの学園から消すなんて簡単なんだよぉ? せっかく貧乏なりに入学できたのに、そんなの嫌だろぉ?」
いやに優しい粘着質な声色で、脅しをかける神宮寺。
優はギリッと歯を食いしばった。
母さんが身体を壊すまで必死に働いて、僕が勉強できるように家事もこなしてくれた。母さんのおかげで入学できた白亜広陵学園、応援してくれた二人の妹。辞めさせられるなんて絶対に嫌だ。
それでも!!
「うおぉッ!!」
優は思い切り頭を前に倒した。頭頂部からブチブチと髪の毛が引き千切れるのも構わず、蘇生処置を続行する。
「鳳月さん! 鳳月さん!」必死に呼びかける。
そんな優を舌打ちして見下す神宮寺は、手に絡み付いた髪の毛を穢れでも払うかのように投げ捨てた。
そして、懸命に処置する優の背中を足蹴にする。
「お前、もう終わりだよ。この学園から放逐してやるから覚悟しとけよ。もう明日から白亜広陵の門くぐれないから、キャハハハッ!」
優の目が厳しく釣り上がる。手は止めずに、キッと神宮寺を睨みつけた。
「退学にしたければ好きにしろよッ! だから今この瞬間だけは邪魔をするな、いいから君はAEDを持ってこい!!」
学園生活で一切見せたことのない優の剣幕に神宮寺は怯む。歯向かわれること自体が初めての経験なのだ。
その時。
「渡会くん!」
救急車の要請を頼んだ東雲が走って戻ってきた。その手にはオレンジ色の鞄のような物、AEDを抱えている。
「はあ、はあ、渡会くん、救急車は呼んだよ。あとコレはい!」
「ありがとう!」
優は迅速に開き、パッドを飛鳥の胸の近くの素肌に貼り付ける。音声案内の指示に従い、電気ショックが与えられた。
飛鳥の体が一度大きく跳ね、そして。
「ゲホッゲホッ! はあッ!!」飛鳥は意識を取り戻した。
「よ、よかった」
全身の力が抜け、飛鳥の傍らにヘナヘナと腰を下ろす優。
ぼんやりとした視線を彷徨わせ、飛鳥の瞳がそんな優を捉えた。
「渡会……君。貴方が、わたくしを助けてくださったのね」
優は涙を流しながら「よかった、よかった」と呟いている。
「おっとぉ、それは誤解ですよ、飛鳥さん。貴女を助ける為に全ての指示を出し、行動したのはこの僕、神宮寺愛虎ですよ」
恭しく紳士を気取る神宮寺。飛鳥はそんな神宮寺を一瞥し、口元だけで小さく笑った。
「聞くまでもありませんわ。だって」
飛鳥は啜り泣く優の頭をそっと両手で包み、自らに引き寄せた。
「わたくしは、貴方の唇の感触を、温かさを覚えていますもの。あの白い、箱のなかで」
「え? ほ、鳳月さ……んンッ!?」
飛鳥は優に口づけた。優の体がビクリと反応する。
先程までの堂々とした態度はどこへやら。小刻みに震える体、これでもかと目は大きく見開かれ、顔は真っ赤になっている。
飛鳥にとっても初めての接吻。それも付き合ってもいない男性とだなんて、考えられないことだったはず。
でも今はとても冷静だった。優の反応を見てクスリと笑う。
その様を見せつけられて、神宮寺の奇跡の美顔が醜く歪む。頬に手を当て有名な絵画のように口を大きく縦に開き。
「オオォォォ……ノオォォォホホホォォォン!」
みっともない絶望の叫びがグラウンドに木霊した。