箱の中からの脱出、わたくしの命運、渡会君に託しますわ。
「渡会君、つかぬことをお伺いしますけれど、今までにお付き合いなさった女性はいらして?」
「いるように見える?」
皮肉を感じない、明るい笑顔。
その言葉には返さずに、わたくしは胸の内を吐露することにしました。
「わたくしには許婚がいるのです」
「そうなの!?」
目を丸くして驚く彼が可笑しくて、少し笑ってしまいます。
「まあ、何も存じ上げないのね。白亜広陵では有名ですのよ?」
「やっぱり友達いないから情報が……」
面目なさそうに頭を掻く。
「渡会くんも存じ上げる方よ。神宮寺愛虎。同じクラスだし知っているわよね?」
「ああー、神宮寺……君かぁ」
気のせいか、今日一暗いトーンだった気がしますわ。
話を続け。
「あの方は『奇跡の美顔』と称される程のイケメン。わたくしにとって正に申し分ない相手だと、そう思いません?」
何故か何も答えずわたくしを見つめる渡会君。
「それに、愛虎さんは運動神経抜群。短距離走の国体選抜にも選ばれていますわ。運動音痴のわたくしからすればとても魅力的」
まだ、何も言わない……。
「そう、学業においてもですわ! 先の全国模試では上位三パーセントに入る優秀さ」
まだ何も……。
「な、何より、神宮寺家はわたくしたち鳳月家と肩を並べる名家。家格も十分ですわ。ええと……それから」
「鳳月さんは神宮寺君が好きなの? 詰まるところ、そこなんじゃないかな」
それは、わたくしが考えちゃいけないと、そう思っていた台詞そのものでしたわ。
名家の娘として、政略結婚も当たり前と、そう自らに言い聞かせてきました。
ですけど、自由な恋愛を経験することもなく、好きでもない相手と一生を添い遂げる。
そこにわたくしの意思、人生は……?
数瞬の間を置き。
「そんなの、もちろん……」
肯定しようとした、正にその瞬間でしたわ。
ドゴオォォォォン!
爆発でも起きたかのような音を立てて、壁に巨大な穴が空き、凄まじい勢いで水がなだれ込んできましたの!
運動音痴で泳ぐこともからっきしのわたくしは一瞬でパニックに。
「き、きゃああぁぁぁぁぁ!!!! み、水が、水がぁ! お、溺れてしまいますわ!!」
「こ、これは一体。…………そうか! わかったぞ。鳳月さん、上だ!」
「上!?」
見上げればそこには吹き抜けかと思わせるほどの高すぎる天井。な、なんで? 先程までは四角い箱のような空間でしたのに?
「部屋を満たすこの水、この中を浮かんで天井まで行けば必ずそこに出口がある」
「て、天井までって。む、無理ですわッ! わたくしカナヅチですの! 天井どころか、足が着かなくなったら沈んでしまいます!!」
「僕が絶対に離さない! いざという時は直接酸素を送り込んででも助けるよ!」
「直接って……く、口と口で!? む、ムリムリムリですわ! だ、だ、だ、駄目ですわ! お付き合いもしていないのに、渡会君とそんな、はしたない真似は」
「はしたなくない!」
渡会君の大きな優しそうな目が、初めて釣り上がりました。
「ここを生きて出ないと、やりたい事も本当の鳳月さんになることもできないよ。一歩を踏み出す勇気、それが今だ」
決意の篭った眼差し。
何故ですの? 渡会君の一挙手一投足に、わたくしの心が、引き寄せられるようですわ。
そう。渡会君はわたくしの想像する男性像とはかけ離れた人物。凶暴さも、粘着性もなくて、あくまで二人で助かることだけを考えてくれている。
もう、足首まで水に浸かっていますわ。正直とっても恐い。恐いけど、先程までより、幾分気持ちが落ち着いています。
「靴や洋服は脱がないで。空気が入って浮力になる。そして何より落ち着いて、深呼吸してリラックスすることが大事だよ」
「わ、わかりましたわ」
深く息を吸って、ゆっくり吐くを繰り返す。
水深が段々と深くなっていく。パニックにならないよう必死に努め、渡会君の手を固く握ります。
「大丈夫。この手は絶対に離さない。必ず助けるから、僕を信じて」
「はい。わたくしの命、渡会君に託します」
いよいよ足が床に着かなくなりました。