ビオレ夫人の嘆き
私ビオレ・フォン・エメンタールがこのエメンタール家に嫁いできたのは18の時の事でした。
それから立て続けに長男カイン、次男アレクに恵まれて跡取り問題で御義母様やら御叔母様方から文句をつけられる事もなく穏やかに過ごしておりました。
ただ、私自身妹達や母様達と楽しく過ごした記憶が強かったので、内心では2番目は女の子を望んでいたのです。
そのため2番目のアレクは幼い頃可愛らしい顔立ちだったのでよく女物のお洋服を着せて、髪を結っていたものです。
その名残かアレクは大きくなってからも髪を伸ばしているのです。似合ってるので問題はないでしょう。
2人から少し手が離れ掛けた頃に、私は懐妊致しました。今度こそ女の子かしらなんて思っていると、とても元気な胎動でとてもヤンチャなのが生まれる前から分かってしまいました。きっと男のだろうと思い産月を迎えれば案の定三男のフレット誕生でした。
それからは少し時間が空いて、4度目の妊娠をいたしました。喜ばしい事に実家から連れて来た侍女で乳姉妹のリザーナも同時期に妊娠が分かったのです。
リザーナは少し前に屋敷で働く従者の男と結婚しておりました。乳姉妹で同じ頃に妊娠したなんて、ちょっと物語の様で素敵ね!なんて話をしていたものです。これで同じ日に産まれたらなんて話をしていたものだわ。
そこまでドラマチックな事にはならなかったけれど、現実はもっと物語めいていた。
今回の妊娠は上3人の時よりも穏やかな生活でしたわ。悪阻も少なくて、胎動も控えめ。勿論動くのですが、三男フレットの時の様に「やめて!」と叫びたくなるような激しさもなく、『私はここにいるよ!元気よ!』と言っているような可愛らしい胎動でしたの。
元気に産まれてくれる事を祈る私ではありましたが世間では不穏な事件が続いておりました。
貴族の幼児ばかりを狙った誘拐事件が多発していたのです。うちにも3人の幼子がおりましましたから気が気ではありませんでした。特にフレットなどは日頃から屋敷を抜け出して遊ぶヤンチャ者なので、どれほど心配していたのかは本人はわからないでしょうね。身重な私では対処出来ないだろうと旦那様にお願いして注意と、警備の増員をお願いした程です。
そうこうしているうちに私は臨月を迎えました。
リザーナは専任侍女の職をお休みして産休に入っております。「リザ、貴方の子供が先に産まれて御乳の出が良ければ乳母になって頂戴な。」なんて言って送り出したものです。リザーナは「気が早いですよ、奥様!でも、元気に子供を産んで戻って参りますね!」と言って屋敷を後にした。
これが乳姉妹との最後だなんで思ってもみなかった。
しばらくしてリザーナの出産の知らせが届いた。
無事に女の子が産まれたが、出産が長引きリザーナの意識が戻らないのだと…
私は無事にリザーナの意識が戻る事を願い、母の乳を飲まずにいるであろう赤子を不憫に思い、リザーナの家に使いを出しました。
『当家では近く産まれる子供の為に既に乳母を用意しております。つきましては、細君の意識、体力が戻るまで乳母を共に致しましょう。』
リザーナの夫は「有難い申し出でございます」と何度も頭を下げられたそうです。
申し出た日のうちにリザーナの娘に乳をやったと乳母に聞かされた時にはホッとしたものです。乳母もまだ、うちの子が産まれていない事からリザーナの屋敷へと詰めるようお願いした矢先に私も破水致しました。
4人目ともなると大変ではありますが余裕もある出産でした。
夫が領地視察で留守ではありましたが、アレクの時もだったので気にもなりません。そんな事気にしてる余力なんてありませんでしたし。ただ、今までの出産全てに立ち会ってくれていたリザがいない事の方が辛かったです。リザの背中押しはとても上手だったのだと陣痛の最中に思ったほどです。
なんやかんやとあまりましたが、私は破水から半日もぜず可愛らしい、それはそれは光り輝くばかりに愛らしい娘を産んだのでした。
産声が元気に聞こえ、ホッと一息。安堵と感動で高揚する気持ちの中、清められた我が子を抱くと感動もひとしおでした。言葉にするには言葉が足りなくて口にできないのです。
それに赤子は今までも抱き上げてきたけれど、男の子と女の子ではこんなにも違うのかとの驚きもありました。
例えるなら男の子は充分に入れた皮の水袋を抱えているようで、しっかりどっしりと重みもあります。
対して女の子は7割程水の入った皮の水袋でしょうか。重みはありますがぐにゃりと形が変わり不安になるような壊れてしまうような抱き心地でした。
夜になると旦那様も帰っていらっしゃったので、夫婦2人っきりで赤子を愛でました。
名前はどうしよう、目鼻立ちはどっちに似たかしら、お披露目はどうしましょうなんて幸せな事を話しながら…
少しすると侍女と乳母が娘を連れて隣室へと下がっていきました。侍女長のマアサが羽織を手に「奥様は今日は特にお疲れなのです。そろそろ御休みくださいませ。」と言ってきた。そうねと私は頷き横になると、直ぐに睡魔はやってきた。
明日には子供の名前を決めましょう…
明日には子供達に妹と合わせてあげましょう…
そんな事を考えながら私は夢のなかへと意識を預けた。
明け方、最初私を襲ったのは違和感でした。部屋の外が騒がしいのです。出産の疲れはありましたが身を起こし、ベルを鳴らして使用人を呼ぶ事に致しました。ややあってから、侍女長マアサが蒼白な顔でやってきました。「何かあったの?」恐る恐る聞くとマアサは震える声で「お嬢様の姿が見えません。拐かされたものと思われます」言葉の意味を理解すると同時に私の意識は暗転した。
ややあって気を失っていた事に気づくも現実を理解出来ずに悲鳴を上げた。なぜ私の娘なの?娘は無事なの?何処にいるの?お腹を空かせていないかしら…泣き喚いていないかしら…私が何かしたとでも言うの?誰の仕業?誰の差金?誰の思惑?思考は暗い闇をグルグルと回る。次第に良くない考えに陥る。涙は枯れ果て、これ以上流れないのではないかと言うほどに泣き暮らした。
どの位の月日が過ぎたのか1日だったのか3日だったのかはたまた1ヶ月…はたまたそれ以上だったのか…
時間の感覚も無く日々が過ぎていいった。色を失った世界が巡る時間は長いようで早い。これが狂っていると言う事なのかもしれないと思い至るとなぜか納得したものだ。
時折発作のように取り乱す事もあった。
神様、娘を私にお返しくださいと何度も祈ったのだった。