エメンタールのその後
私の名はメリュジェーヌ・ヴァン・クラーク。
クラーク子爵夫人で御座います。
10年ほど前に主人が興した家で、つい最近になり叙爵され男爵位から子爵位に上がりました。
旦那様は大領地の出身でしたが様々な問題の折、独立して建てたまだまだ新しい家でございます。
当時は私も長男を出産して直ぐの事で後から色々と聞かされたものです。
10年前に旦那の実家であるエメンタール家では大きな事件が御座いました。
ことの発端は養女スピカ様を勘当し、追い出した後に彼女が偉業とも呼べる事柄を成し遂げた事でした。
それまでの経緯等で失墜したエメンタールの名を取り戻し、聖女スピカ様への懺悔とすべく義父は当主交代を決めたのです。
しかし、主人の末弟が家督相続に関しての話し合いの場で乱心し母である当時の伯爵夫人を斬りつけ、次男の瞳を抉り出す凄惨な事件を起こしました。
表向きは家督を相続出来ないと知った腹いせに実母を斬りつけ、確執のあった兄を痛めつけようとしたとされました…
事実はスピカ様が実の妹だと知った事で行き場の無くなった恋慕の感情を一方的な怒りと共に弱く受け止めてもらえそうな母へとぶつけ、恋焦がれるスピカ様と一つにならんとスピカ様の瞳を移植された兄から奪い取りそれを飲み込むという常軌を逸した行いでした…
あまりに衝撃が大き過ぎると当時は私に知らされず、沙汰が下った後に事実を知らされました。
幸い義母は義妹である聖女スピカ様がデザインを贈られた服をお召しになっており、意匠の中に差し込まれた守りの刺繍とコルセット、また斬られた時の体勢などの幸運が重なり、背中から肺にまで達する刀傷では有りましたが一命を取り留めました。
しかし傷は深く、軸足の腱は切断された為自由に動く身体ではなくなり塞ぎ込む日々だったそうです。
そんな日々を送れば心の傷は益々大きくなり、自傷行為も見られるようになってしまいました。
娘を失い、失意の中で息子に殺されかけたのですから…
心の傷は深く重く周囲はどうする事も出来ずにおりました。
そんな義母様を見兼ねて、第三皇子様が皇室お抱えの特別な魔法使いを紹介してくださいました。
人の記憶を封じる特別な魔法です。
このまま義母様が壊れてしまうのを心配した義父様は二つ返事でその魔法の使用をお願いしました。
最後は義母様の承諾の元、義母様は三男の産まれる前からの記憶を封じてもらいました。
彼女の記憶の中では三男を妊娠中に不慮の事故に遭い不自由な体になってしまったと、偽りの記憶があるのだそうです。
しかし、魔法は万能では有りません。ふとした事で記憶が戻ってしまう可能性があると、今はエメンタールの地へと引退した義父様と共に居を移しました。
ご当代であるスピカ様が実の娘だと覚えてはいらっしゃらないながらも、聖女がエメンタールの身内から志願された方だと聞き、誉れに思いながらも寂しく無い様にと、義父と共に祈りの毎日を送っていらっしゃるそうです。
月に3回は車椅子を押した義父に連れられミサにも行っていらっしゃるとお聞きしております。
義父様はあの事件の後、直ぐに帰ってきた現当主様へ引き継ぎを済ませると3ヶ月程でエメンタールに義母様と共に隠居生活に入られました。
時期的にはステラ嬢の訃報が知らされて間も無くの事でした。
隠居とは言え、傍目から見たら都落ち、追放処分の蟄居のように言われておりました。
本当の娘の帰還後に養女であった聖女スピカ様を虐げていたのは周知の事実でした。
私達の結婚式の際にはスピカ様を親族席の端へと追いやり、皇室でのデビュタントでスピカ様が着たドレスを本当の娘に着せて参加させていました。この件は私の旦那様であるカイン様が1番の犯人なのですが世間はそんな事知りませんしね…
高位貴族であったスピカ様が学園で生活されるにあたっては夫達の時とは違い、使用人を付けることもせず、社交の際の服装は見覚えのあるドレスを何度もアレンジして着用されていたのは有名な話です。
それで苦言を他家の方がエメンタール家に伝えられても「あの子はしっかりした子ですから」とどこ吹く風と対応していたのは義父母様達でした。
その後ステラ嬢が入学されてからの学園の様子も知っていたはずですのに黙認してスピカ様を苦しめ、蛮行を強いて彼女の身を穢し、流される偽りの噂を放置。
最後には勅命で想いを寄せる皇子と引き裂かれ、失意の中でも国の為尊い犠牲になる事を決められたスピカ様を罵り、誹り、追い出したのですから…
そのくせ、追い出した娘を心配しているとあちらこちらの家に手紙を書き、あの日が神送の宴だと知らなかった事に失笑を買っていたのを、あの頃のエメンタール家の人々は知らずにおりました。
そして今までのご当代様では成し遂げなかったスピカ様の偉業が明らかにされた後のエメンタールの惨劇…
スピカ様の件の責任の為に引退の意思を発表する場で末の息子を制する事も出来ず、見届け人として同席していた皇子を危険に晒したのは帝国貴族の恥でしかありませんでした。
大領地の家督相続に関する話し合いが公式に発表される際に、皇帝名代として皇室から見届け人が派遣されるのは慣例でした。それも皇子などの皇位継承権のある人が寄越されるなど本来は厚遇でしたのに…
見届け人はその席で何が起きても口を出す事は禁じられ、行動を起こしてはならないとの不文律があるのだそうですが、その時の皇子はそれを破り主犯を嗜めたそうです。
あの時、皇子のいる場で抜刀したエメンタール家は皇帝に抜刀したのも同然でしたが、犯人の精神状態や国への貢献、皇子が皇室を抜ける事が確定していた事などから皇子直々に嘆願されお家の取り潰しは免れたのです。
義父様は全ての責任は自分にあると皇室裁判の場で宣誓し、エメンタールの汚名全てを一身に出家も同然に貴族社会を後にされたのです。
第三皇子の婚約者となられ、希望でもあったステラ嬢の死すら同情もされずとても大領地の前当主とは思えないような扱いで帝都を出られました。
今は只々自分の愚かしさ、身内のした罪、己が罪を懺悔とし贖罪と後悔、そしてスピカ様の慰めとなるべく日々を送られておいでです。
男性の身でありながらスピカ様のご意志を継いで積極的に孤児院や身体に不自由のある方々への支援をされていらっしゃいます。
自身も義母様の介護で苦労はされていらっしゃるので共感もあるのでしょう。
炊き出しなどの際には手ずから食料や衣類、医薬品などを渡し、意見に耳を傾けて臣民の声を貴族社会へと届ける活動を始めていらっしゃるそうです。
その姿は大領地の元当主とは思えない程の気さくさで最初こそ軽蔑、侮蔑の眼差しを向けていた領民達も、今では一目置くようになっているのだとか…
そして週に一度は眠るスピカ様への慰問を欠かさずに行なっていらっしゃいます。
罪人フレットは不死の神罰を受けた為、断種の後に世界中の神罰者が流されるという忘れられた地へと流刑となりました。
その地は昔、神の地へと近付かんとした古代王朝が神罰によって滅ぼされ、世界中の災いが集まる恐ろしい地へと変貌した言われております。
その地で己が行いを受け入れ悔い改め、善行を積んだ後に神から赦された者だけが不死の呪いから解放されるのだと言います。
不死の神罰は神罰の中では3番目に軽い神罰だと伝わります。
1番軽い不の神罰や2番目に軽い血の神罰などよりもよっぽど重いものです。
肉体は常人と同じように衰え、病を患い、失った四肢は蘇る事無くただ、死ぬ事が赦されない…
他国の王族で不死に憧れて自らその神罰を下すように神に祈った者もいたそうですが、その神罰を受けた後「殺してくれ、死なせてくれ」と嘆きながら忘れられた地へと送られた話は有名な寓話です。
そんな愚かな叔父がいた事を私は子供達へと伝えるか迷いました…
しかし、それもこの子達のルーツ。何より他所から聞くよりもと苦しくも話したのは最近の事です。
身内話は偉大な叔母のことが多かった子供達には衝撃が大きかったのか、とても考え込んでいました…。
しかしそれを糧に母としては愚かな道に進まないで欲しいと願うのです。
もう1人の叔父であるアレク様は事件の後、左目の視力は完全に失われてしまいました…
本人は気丈に「元々失明する定めにあったんだ。スピカの目はもう一つ生きているから大丈夫」と言っておられました。
あの事件の後、奪われたスピカ様の瞳は魔物の魔核のような聖石になって吐き出されたそうです。
確認された時には、すでに瞳としての機能は有しておらず、またアレク様の眼の神経は乱暴に傷つけられしまった為にどうする事も出来なかったのです。
瞳だった物は聖遺物として皇室が差し押さえてしまった為その後の詳細は分かりません。
アレク様は当主代替わりの後に男爵の爵位と共にエメンタールの封臣家門へと下りました。
その後多くの書物や舞台演劇で、人の愚かしさや心の気高さを基軸とした作品を中心に発表し続けています。
「嘆きと懺悔」といえばアレクと言うほどに高い評価を受けています。
しかしそれは裏を返せば彼自身の自己投影。
評価されればされる程に彼の過去がいかに大切な物を蔑ろにし、追いやったのかを突きつけるのです。
それでも彼は逃げずに真っ直ぐに作品を描き続けています。
今年はこれまで以上に力を入れた歌劇を書いているようです。仮題でルチアーナ、道を踏み外した家族と教えられています。
また非難の目がエメンタールを襲うのでしょうが私達はそれを甘んじて受け入れるのです。
それがスピカ様を追い出してまで結界の平和を甘受する私達の業なのですから…
さて、最後に私の夫の事をお話し致します。
あの事件の前に私と夫は離別の危機にありました。
私の父がスピカ様に対する非道や私に対しての行いに疑問と不信感を募らせ、長男の誕生を機に実家に帰って来るように勧めていたのです。
当時の私は揺れていました。
そして長男を産んだあと直ぐに、得体の知れない自作の魔道具を息子に使った旦那様に私の怒りは頂点に達しました。一度も人様に手を挙げた事など無かった私ですが、旦那様を気づいたら殴っておりましたの…
ですが泣いて頭を下げ、息子と私に許しを乞う旦那様を見て、少しばかりは信じても良いのではと思ったのです。
父はどうしても別れさせたかったので私の実家に籍を移したら許すなどと条件をつけていたようです。
よっぽどに懲りたのか、はたまた私や息子を思ってか…彼はその条件をのんだのです。
そしてその後あの事件がおきました。
父は大層ご立腹で婿として私の生家に入る事も拒否しました。
神罰を受けた者と血縁者だなど、それだけで忌避される事ですもの…お父様の判断は真っ当だったと思います。
しかし、その時には私の心は決まっておりました。
私は病める時も、健やかなる時も、苦難の時も、喜びの時もこの人と共に歩むと誓ったのですから。
勿論実家の家族や友人達からは散々止められましたが、最後には渋々ながらも私の決断を認めて下さいました。
夫婦の在り方は十人十色で其々が問題や愛を抱えていると思うのです。
私の実家に籍を移す事は頑なに拒否された為、私達はエメンタールの籍を抜け、新たな家を興しました。それがクラーク家です。
元々、主人が持っていた爵位だけの小さな家門です。信用も信頼も底辺からの門出でした。
しばらくして聖法院に所属していた旦那様は皇室の魔導部へと異動となりました。
これは旦那様の望んだものでもありました。
エメンタール家の悲劇の元凶を知りたいと旦那様は常々思っていましたから…
本来ならば届かない秘匿の神秘でしたが、第三皇子の口添えのおかげでその部署に入れたそうです。
そこで旦那様は事実と向き合いました。
私も本当は知ってはいけない秘密でした。
それはステラさんの力。
発動の条件と効果対象、範囲、そしてその抗い方…
局所的に旦那様はステラさんの力の影響を受けていたようですが、諸々を照らし合わせるとその効果は他の家族に比べ断片的であると旦那様は結論付けられました。
その事実を受け入れるのは苦しかったと思うのです。
毎夜頭を抱えていた旦那様を私はどうする事も出来ずにいた…
ただひたすらにその手を静かに握る事しか出来ませんでした。
徐々に自分に何が出来るのかを旦那様も模索し始めました。
そして旦那様は贖罪となればと魔道具を作り始めたのです。
弱者に寄り添うための魔道具を…
主に義手や義足、人工の臓器となり得る様な魔道具です。
10年前に旦那様が息子に使用した、血縁を調べる魔道具も今では洗礼の際に使われるほど馴染みのある魔道具となりました。
特に血縁を重視する貴族はこぞってこれを使用しました。これにより救われた嫁達は多かった事でしょう。
その反面諍いもあったとは聞き及んでおります。
何にせよ、叙爵もこの発明等の功績でしたが、5年ほど断り続けていたようです。
しかし、これ以上拒まれると他の方々へ褒賞が出せないと泣きつかれ、爵位を賜る事になったのです。
そして自分と同じ過ちを犯すものがいない事を願って神の力に対抗出来うる魔道具の開発を日夜しております。
そうやって私達家族は前を向いて歩み始めたのです。
そうすれば自然と我が家には家族が増えました。
私も今では2男2女の母です。
そして、私はエメンタール家の家督は継いでも伴侶をもたない義叔父上様の要請もあり、エメンタール家の女主人の仕事をしに通っています。
お給金もしっかりといただいております。
今のエメンタールでこの仕事を知っているのは、私くらいになってしまいました…
厳しくも指導を下さったフランチェスカ様は去年の年の瀬に神の国への橋を渡られました。そしてこの秋には前々当主であった義祖父様も旅立たれました。
義叔父様は今は私の子供達を後継にすべく厳しい教育を始めております。
見込みはあるようで、とても嬉しそうに子供達と接しています。
一番見込みがあるのは今のところ長女のようです。
義叔父様は実力主義ですからもしかしたら彼女が婿を取るのもあり得る未来ですわね…
今のエメンタールは10年前の騒動後ほど社交界で爪弾きにされる事も無く、堅実に縁を大切に過ごしてまいりました。
その縁を繋いでくださっているスピカ様には本当に感謝しても仕切れない程の恩が御座います。
私はエメンタール家を…彼女が帰って来る場所を陰ながらお守りする事で御恩返しになればと思っているのです。
今日も明日も、更に先まで続く未来を守って行けるように今日も見守っていて下さいませ、スピカ様。
私は空を見上げる。
見えない結界を見上げる。




