慰問旅行〜エメンタール領へ〜 前編
帝国はエアロア大陸の東に位置する貿易国である。
ぐるりと他国に三方を囲まれた国土を持ち帝都を中心に6つの大領地とその他の中小領地が囲む。大きな不凍港は北東と南東の大領地内2ヶ所にあり、険しい山脈は南西と北部に2ヶ所。あとは平地や穏やかな山々が盆地を作ったような丘陵地が主だった土地柄である。
主だった産業は貿易と農業である。
その地の利を使い周りを囲う国々の貿易国を一手に、交通の要所としての役割を古くから担ってきた。海運についても同じだ。近隣国の沿岸線は岩礁か多く難しい海域が多いのだが、帝国の沿岸は穏やかで深さがあり、船の往来が昔から盛んに行われてきた。その為内地の国から遠方への港となっている。
しかし、こんなに美味しそうな国をなぜ他国は見過ごすのか…いや、何度か侵略を受けた事はある。その度に国防の要に阻まれてこの国を堕とす事が出来なかったのである。そしてその結果、貿易を止められ国力が削がれ、国が荒れ新しい国が出来ること数度で周辺国は学んだ。『帝国に手を出してはいけない』と。
そして国防の要こそ6つの大領地に坐する大聖堂にこそある。大領地は1大公家と3侯爵家2伯爵家が納めている。この6つの家は建国の時からこの地を賜り守護する重鎮で名家である。
そしてその一つが私達が目指す北東の海運拠点エメンタール伯爵領。
余談ではありますが、大領地を治めるうちの2家が伯爵なのには訳があります。北東と南東の不凍港を其々に有していることです。この事で貿易的にも軍事的にも力があるのでそれを抑えるためにあえて伯爵家となっているのです。なので伯爵家とは言われても内務貴族の一部の侯爵家よりも家格は上にみられるほどの大家なのです。
さて、私達が目指すエメンタール伯爵領までは帝都から馬車で3日程掛かります。領地には大きな街は4ヶ所だそうで、街道から領地に入って直ぐのビックベアーズ。領主館のある領都キイワ。海運の港街ミーナエ。南東領との玄関口である軍港街タバフ。今回の旅行で目指すのはまずは領都キイワです。
私スピカ・フォン・エメンタールは春先にお兄様から結界の乙女についてのお話を伺いました。
1人教会で眠るご当代様はきっとお寂しい思いをされていると思ったのです。
そして、私達をお守りくださりありがとうございますとお伝えしたくなったのです。
最初カインお兄様との2人旅の予定でしたが、お父様の領地視察と重なる事から家族みんなで領地へ行く事になりました。
私は物心ついてからは初めての長期旅行の為楽しみでしかたありません。
しかし、なにぶん当家は大領地持ちの重鎮。都から全ての家族が居なくなるのは良くない事なのだそうです。そこで領地から旅行の間のお留守番にお父様の弟、つまり叔父であるペイストリー子爵様がいらっしゃる事になりました。
それを待っての出立です。
叔父様にお会いするのは2年前の冬の社交シーズン以来です。
軍務にお勤めの叔父様は国防の為滅多に帝都にはいらっしゃらないのでお会いするのも楽しみです。
叔父様がいらっしゃるまでの間に荷造りを終えなければなりません。
とは言ってもほとんど侍女達が詰めてくれているので私は中身を確認する程度です。
と…思っていたのですがそうはいかないようなのは部屋に入った瞬間に悟りました。
部屋にいたのはお母様と3人のお兄様…
そして、部屋に広げられた衣装の数々…
靴やボンボネット、日傘なんかの小物も複数あって、ここはブティックか何かなのかと錯覚をしてしまいます。
「ご機嫌よう。お母様に、お兄様方。これはどういうことですか?」
少しの頭痛を覚えながら私は皆んなに問いました。
一番に答えて下さったのはお母様です。
「今度の旅行の時のスピカの衣装を荷造りしていたのよ。そしたらこの子達も一緒にやるって言い出してしまってね…中々決まらなかったところなのよ。」困ったわねと頬に手を当て優雅な貴族の笑みです。騙されてはなりません。
「ほとんどは母様が選んだものだろ?」ソファーで侍女に持ってきてもらったばかりの紅茶に手をつけて指摘したのはカイン兄様です。一昨日から学園の夏季休暇で帰ってきています。
「そういう、カイン兄様の後ろに積み上がっている書物の山は一体何ですか?」
「うっ、これは旅のお供にスピカが暇を持て余さないようにだな用意したもので…」
「お兄様、お気持ちは大変嬉しいのですが、流石にその量はこの夏が終わっても読みきれませんわ。おすすめを5冊ほどにしていただけますか?」
流石に多かったと分かったのか渋々と本の選定に入りました。
「や〜い。スピカに叱られてやんの。」長兄を指さして笑うのは直ぐ上のフレット兄様です。
「フレット兄様、お行儀が悪いですよ!それにあの遊具達は兄様ですね?」部屋の隅にある馬具やらボール、木剣にカードはフレット兄様の仕業でしょう。指摘をすると兄様はびくりと体を震わせました。
「久々の旅行なんだから必要そうなもの全部持ってきてみたんだけど…ダメかな?」
「殆ど日程も決まっているのですよ。使わないものを持っていく余裕はありません。それに領館にもあるものもあるのではないですか?どうしてもと言うのならばお母様と相談してお兄様の荷物として持っていってくださいね。」
がっくりとフレット兄様も肩を落とします。
最後に、1人無関係のようにお茶を啜るアレク兄様に声をかける。
「アレク兄様、あの箱に入っているものは何かしら?」
私はサイドテーブル脇に置いてある3つの木箱を指差しました。大きさは私1人では抱えられない位の大きさの箱が3箱です。
「薬だ。道中何があるか分からないからな。念の為に用意した。」さも何でもない事のように言っていますが量がおかし過ぎます。
「戦地に行くわけではないのですよ⁈流石に多過ぎます。酔い止めや常備薬を中心に見直しましょう。それにポーションを持っていけばこんなに持っていかなくても大丈夫ではないですか…。」
アレク兄様も流石にやりすぎに気づいていたのかバツが悪そうにお茶を啜り続けています。
「そしてお母様、私今回の旅には大トランクで5個までに荷物は抑えたいと思います。出来ますよね。」笑顔で宣言する。旅の最中は洗濯は出来ませんが洗浄の魔法が貴族ならば使えます。それに、帝都の屋敷から領地の屋敷へと帰るだけの話なのです。このままでは大トランクで20個は必要になってしまいます。そんな何処ぞの嫁入りの様な大荷物で旅行など出来るはずもありません。荷物運びだけで荷馬車が何台になるか想像しただけで頭が痛い問題です。「そんなぁ〜全部似合うんだから全部持っていきましょう?」諦め悪く駄々を捏ねる母に、ギリギリまで服の選定のために着せ替え人形になる事を条件に諦めさせたのです。
そんなこんなのうちに叔父様がいらっしゃいました。結局荷造りはギリギリです。
叔父様は内政官のお父様とは違った雰囲気で立派な体躯をお持ちです。馬から降りた叔父様を出迎えたのはお父様です。
「やぁ、ペイス!今回は呼びつけて悪かったな。」
「いや、可愛い甥と姪の頼みだからな。」
ややぶっきらぼうにも聞こえるがこの実彼は 子煩悩な男の為言葉通りの意味でそう言っている。
「お久しぶりですペイストリー叔父上。ご足労願って申し訳ありませんがよろしくお願いします。」
騎士の略礼でカイン兄様がご挨拶すると倣って他2人の兄も頭を下げる。私はカーテシーをして声がけを待ちました。時期当主であるカインお兄様はお父様の下の子爵相当の爵位と看做されますがそれ以外の子供達は無位無冠と見なされるため声がけをされなければご挨拶も出来ないのです。
「なに、こんな機会でもなければ兄上の椅子に座ることも出来ないからな。今回は数日座り心地を楽しませてもらうとするよ。子供達も皆んな一段と大きくなったな。身内なんだ、堅苦しい挨拶はこのくらいで顔を良く見せておくれ」
「ご無沙汰しております」
「久しぶりです!師匠!」
兄達は其々に挨拶を口にする。特にフレット兄様は叔父様を師として慕っているのでとても嬉しそうです。
「お久しゅう御座います。叔父様」私も顔を上げる。
叔父様は本当に大きくなってと目を細める。
「前に会った時にはスピカは出会い頭にハグをしてくれたがもうしないのかい?」とイタズラっぽく言われる。私は赤面しつつ「昔のことは言わないでくださいまし、叔父様。今は淑女として頑張っているところですのよ!」と反論するも叔父様にはそれすらも微笑ましいものだったようで笑っていなされてしまいました。
屋敷内に場所を移し、私達が応接室でお茶を飲んでいる間に荷物が馬車へと積み込まれてゆきます。
今回は騎士見習いになったフレット兄様は馬で護衛騎士と共に、それ以外は1台目の四頭のスレイプニルが引く馬車に乗ることになっています。その他に荷物と数名の侍女達も同行するので馬車は計3台の大所帯での移動です。ただお父様だけは仕事の都合で後ほど領地で合流を予定しております。
貴重で高価な転移魔法陣の使用をするそうです。
私達は叔父様と2時間ほど歓談し、馬車に乗り込みました。フレット兄様は剣の稽古をつけてもらえなかったと残念そうですが仕方ありません。
「タバフにいる私の妻と子供達とも会う機会があるだろう。仲良くしてやってくれ。」
そう言う叔父様とお父様に見送られ私達は屋敷から出ました。
いつもは貴族街を抜け中央広場や宮殿へと向かう道を今日は反対へと曲がります。
少し走ると貴族街と平民街を分ける門が見えてきました。この門から先は平民街と呼ばれています。ですが、門から次の外門までの道は商店が立ち並んでいるので、あまり貴族街とは変わらない雰囲気です。いえ、貴族街よりも活気ががあります。呼び込みをしている店、徒歩で買い物に来ているお客様。私くらいの子供達が馬車を見上げて追いかけて親に叱られているさまが見えました。フレット兄様とのお忍び遠駆けで何度か使った道ですが、お忍びの時は隣にお兄様、前後に護衛。早く野を駆けたい馬と兄様に急かされたの移動が殆どだったので、こんなにゆっくりと見たのは初めてでとても新鮮な気持ちでした。
さて外門では手続きのため、みんな止められます。
先払も貴族院の承認もあるので程なく通されるとそこからは街道が続いています。通称は「海街道」
私達が出てきたのは帝都東門。海運交易が盛んな北東と南東の二つの領地へと伸びる街道の始発点です。
帝都から出ると春麦が刈り取られた後の畑が延々と広がる牧歌的な風景が広がります。
街道を擦れちがう馬車は海側から幌馬車いっぱいに荷物を乗せています。これから帝都で売るのかしら?何が入っているのかしら…と初めて見るものに
興味が尽きず、退屈もなくあっという間に初日の宿場であるリストン男爵邸についたのでした。
リストン男爵は帝都から1日の距離にある領地を任せられている領地貴族です。男爵領よりも帝都側は皇帝直轄地なのだそうです。兄達はいつも領地へ向かうときはもう少し先の街で宿泊するのだそうですが、今回の旅では外出に不慣れな私とお母様がいるので男爵邸でお世話になるそうです。
男爵家では盛大にもてなされました。晩餐を頂き興奮していた体はやはり疲れていたのでしょう。見知らぬベッドではありましたが、私の意識はすぐに夢へと羽ばたいていったのです。




