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01.雑草令嬢の決意


「シルフィーが駆け落ちした。」


父の硬い声が、豪華な食堂に冷たく響き渡った。


 シルフィーの妹として生を受けた“エミリー”はスプーンをそっと手元に置き、顔を上げる。視線の先には、いつもより険しい父の顔。眉間には深い皺が刻まれ、怒りを必死に抑えているのが見てわかる。


「……駆け落ち?」

母が小さく声を発するが、その声はかすかに震えていた。


「護衛騎士とだ。『もうこの家には戻らない。真実の愛に気付いてしまったの』と書かれた手紙だけが残されていた。」

父は低く、怒りを抑えながら呟くように答えた。


(やっぱり……お姉様が駆け落ち、ね。)

   ――脳裏に、二人が庭先で人目もはばからず親しくしていた光景がよぎり、エミリーは冷静にその言葉を受け止めた。


「シルフィーは侯爵家と婚約していたのに!あれが破談になれば、我が子爵家は終わりだ!領地も、家も、全てが破滅だ!」


父は怒りにまかせて叫び、手にしていたナイフを床に叩きつける。「カシャーン!」と鋭い音が食堂に響き、大理石の床に跳ね返った。


母がビクリと肩を震わせたが、私は少しも心が揺らがなかった。


(まあ……怒りでナイフを投げるなんて。”貴族は感情を(あら)わにしてはならない”といつも言っていたのに。そんなことより、床に傷がついたらどうするのかしら。修理代もバカにならないのに。)


父は怒りで顔を真っ赤にし、母はショックで真っ青になっている。だが私は、床の大理石の方が、はるかに気がかりだった。


 お姉様シルフィーは、グレイソン侯爵家の嫡男と婚約していた。その嫡男はお姉様に“一目惚れ”したらしい。でなければ下級貴族でしかない子爵家が、上級貴族である侯爵家と婚約なんて出来るわけがない。


 お姉様シルフィーは確かに美しかった。母譲りの大きな薄紫色の瞳に、華奢な身体と白い肌。父からは光り輝く銀色の髪を受け継ぎ、社交界では“花の精”と称えられていた。どこに行っても人々の注目を浴び、明るく天真爛漫な性格で、両親からは溺愛され、使用人たちにも大切に育てられてきた。そんな輝く美貌と愛らしい性格を持つお姉様に、侯爵家の嫡男が一目惚れしたのも納得というものだ。


だが、そんな姉が選んだのは、侯爵家の第一夫人という立場でも、子爵家で両親の傍にいることでもなく、常に傍に寄り添っていた護衛騎士との「真実の愛」だった。


(……お姉様も本当に愚かだわ。上級貴族である侯爵家との婚約破棄が、下級貴族にしか過ぎない子爵家にどんな影響を与えるか分かってないのね。……貴族として生まれた責務を忘れて、何が真実の愛よ。お姉様みたいな甘やかされた令嬢が、平民として生活できるはずないじゃない。)


私は心の中でそう冷たく呟きながらも、表情は変えずに座っていた。


「エミリー。」


父の低い声に呼ばれ、私は顔を上げた。


「お前しか残っていない。シルフィーの代わりに、お前が侯爵家と婚姻を結ぶしかない。お前は優しい子だ、分かってくれるだろう?家のため、領民のためだ。もちろん、シルフィーが見つかれば、その時は話を白紙に戻す。」


父の言葉に、私は内心で苦笑した。


(私が侯爵家に嫁ぐ?……はっ、あり得ないわ。

 侯爵家の跡取り息子がお姉様に一目惚れしたからこそ、婚姻話が進んでいたんだもの。お姉様ほど美しくもなく、皆を虜にするような愛らしい性格でも無い私が、代わりになるはずがない……。)


 私は髪を無意識に触れた。お姉様とは違い、私の髪は祖父譲りの木の幹のような茶色、瞳も道端に生えている草のような地味な緑色だ。お姉様が“花の精”として称えられる一方で、私は「雑草令嬢」と陰口を叩かれていた。


(お父様もお母様も、何も分かっていないのね……。“雑草令嬢”である私が、お姉様の代わりになんてなれる訳がない。でも、今はそれを表に出すわけにはいかないわ。)


私は、貴族令嬢として完璧な微笑みを浮かべ、父母の望む娘として返事をする。


「分かりました。お父様。私も子爵家の娘。家のため、領民のために婚姻を結ぶのは、貴族としての務めです。お姉様が果たせなかった役目、私が代わりに果たします。」


父の目が驚きで見開かれたのが分かった。もっと抵抗されると思っていたのだろう。


「おお、エミリー!お前はなんと聞き分けの良い娘だ。これで家も救われる!侯爵家との婚約も、この父に任せておけ。お前の献身はきっと侯爵家にも理解されるだろう。」


父は嬉しそうに語り、瞳に涙まで浮かべていた。かつての私は、その瞳に愛されることを強く望んでいた。だが一度も優しい眼差しを向けられたことはなかった。

 今の私は、そんな父に対してもう冷め切っていた。


(お父様もお母様も、ずっとお姉様ばかりを愛していた。私には一度も注目してくれなかったのに、こんな時だけ“いい娘”なんて呼ばれても、もう何も感じないわ。)


女神様の慈悲に祈り(ごちそうさまでした)を捧げ、この食卓に与えられた恵みに感謝いたします。』

 私は豪華な料理を前にしても、何も感じなくなり、早めに食事を終えると席を立った。


「食事はそれだけでいいのか?」と父が声をかけてくる。


「エミリー、すまなかったな。今までお前に目をかけてやることができなかった。シルフィーは病弱で、何かと手がかかる子だったから……まったく、あの子も最後にとんでもない我儘をしてくれたものだ。」


父は謝っているようで、結局は姉への愛情をにじませている。私はもう何も感じなかった。


「お父様、私は気にしておりません。お姉様は病弱でしたから、仕方のないことです。どうか、気にしないでください。」


「それではお先に失礼いたします。侯爵家との交渉がうまくいくことを願っていますわ。」


私は静かに微笑み、退席を告げる。父が何か言おうとしていたが、それを無視して、食堂を後にした。


(もし、()()()を見ていなかったら……私はこんな状況でも父や母の期待に応えようとしていただろう。)


(でも、今の私は違う。お姉様の代わりになんてならない。私は私自身の道を歩むのよ。そのために、早く準備を始めなければ……)


そう心の中で呟きながら、私は静かに自室へと戻っていった。


――――――――――――――――――――――


 こうして、13歳という年齢にもかかわらず、酷く冷静な様子の子爵家の二女“エミリー”は、心に秘めた計画を実行に移すための準備を進めるのだった。




1話2000字くらいで挙げていきます!エピソード08から、テンポあげていくのでお付き合いのほど、よろしくお願いいたします!

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