焦燥
王都の南には俺の故郷がある。それを伝えると、タンドレーは面食らったようだった。
「まだ、この町の復興手伝いをしたいとは思ってる。思ってる、けど」
「……ご無理をなさらず。故郷が危機に陥っているかもしれないのです、確認しに行きたいのは当然のことでしょう。どうか僕達のことは気にせず、心のままに行動なさってください」
彼は優しい微笑みを浮かべ、そう告げた。まだやらなければならないことは山のようにあるというのに、人手だってほしいだろうに……本当に彼は優しい人だと思う。
「わたくしは……」
オリヴィエは言い淀んで俯いた。その肩に大きな手が乗せられる。
「オリヴィエ、後は僕に任せなさい。大切な仲間なのでしょう? 共に行きたいというのなら、それでいいのです」
「タンドレー……」
胸に手を当てた彼女は、ぎゅっと拳を握って顔を上げた。
「わかりました。わたくしは彼らと共に旅を続けようと思います」
タンドレーはゆっくりと頷くとオリヴィエを抱きしめた。細い手が彼の背へと回される。
「どうか気をつけて。無理をせず、力を合わせて頑張りなさい」
「はい……お父さん」
目を閉じて、数秒。そっと離れた二人は、互いに穏やかな笑顔を向けた。
「皆さんも、道中お気をつけて」
「ああ。ありがとう、タンドレー」
そうして俺達はプリュームを出ることになった。
できるだけ急いでアマルガ王国まで戻る。どの町も通り過ぎて、俺の故郷であるトーガ村まで真っ直ぐに。
「この付近も全然魔物がいないな……」
「だよね、どこにもいないなんておかしいよ。どこにいっちゃったんだろ?」
不思議なことに、村近くにあるエスカードの森に辿り着くまでほとんど魔物と遭遇しなかった。普段だったらピュルテ皇国からアマルガ王国に行くまでに十回くらいは余裕で遭遇してもおかしくないのに、三回程度しか襲われていないんだよな。
うーん、なんだか妙だ。妙だけど、急いでいる今はありがたいんだよな。おかげで予定よりも随分早くエスカードの森まで来ることができた。
森の中に足を踏み入れる。一瞬、奇妙な気配を感じた気がした。
「エスカくん? 立ち止まってどうしたの?」
「いや……なんでもない。行こうか」
森の中を歩く。やけに静かだな。この森ってこんな感じだったっけ? 魔物は少ないにしても、もっと鳥とかいたと思うんだけど。
「この先にエスカくんの故郷があるんだよね?」
「ああ、そうだよ」
「どのようなところなのでしょう? 無事だといいのですが……」
「小さいけど良い村だよ。俺にも優しくしてくれたし、子供達はやんちゃな子が多いけどなんだかんだ良い子達でさ……本当に、無事だといいんだけど」
ここ数日、ずっと胸騒ぎが止まなかった。心配のあまり眠るのも難しくて、正直なところ寝不足だと思う。
森を進んでいくとケイトがすんすんと鼻を鳴らした。顔をしかめ、首を傾げている。
「ケイト、どうした?」
「なんか……焦げ臭くないか?」
焦げ臭い? すん、と臭いを嗅いでみる。たしかに……言われてみると、そんな気がしてきた。なんでこんな臭いが……?
……いや、まさか。まさかな。どうせ、誰かが狩った肉を焼こうとして焦がしたんだろう。そうに決まってる。
なあ、そうなんだろ?
気がつけば、みんなを置いて走っていた。脚に魔力を込めて、ひたすらに。
ここを通り抜ければ、いつも通りの村が待っているはずなんだ。決して裕福ではないけれど、みんなで助け合って暮らす温かい村が。
息をきらしながら森を抜ける。目の前には、ごうごうと炎をあげる焼け落ちた家々が広がっていた。
「な、んで」
パチパチと火の粉が上がり、屋根が崩れガラガラと音を立てる。こんな状況なのにどこからも悲鳴が聞こえない。それはつまり、そういうことだ。
信じたくない。こんな光景を信じられるはずがない。
村を闊歩しているゴブリンが、幼い少女の腕を掴んで引きずっていた。だらんと項垂れ、力なくずりずりと引きずられていた少女は、俺に絵を教えてとせがんでいた子で。
その姿を見た瞬間、ゴブリンの頭を射抜いていた。
「おい、大丈夫か!? おい!!」
倒れた少女に駆け寄る。体を起こしても、まるで人形のようにだらりと四肢を投げ出したままで。ぐらりと傾いた頭を覗き込む。その目は暗く、虚ろだった。
服は破かれ、傷だらけの肌があらわになっている。陵辱の痕を見つけた俺は、思い切り歯を食いしばった。
「ふざけやがって……ッ」
そっと小さな体を横たえ、目を閉じさせる。鞄から取り出した毛布を、地面に横たわる彼女に被せた。
弓を片手に、ふらりと燃え盛る村の中へ踏み出す。
一匹残らず、殺す。痛いほど力が入った目で、魔物の影を探し歩いた。
一匹、また一匹。見つけた端からその頭を射抜いていく。夫婦が丹精込めて世話をしていた畑は踏み荒らされ、道端にはまるでゴミのように死体が放り出されていた。
どうしてだよ。どうして、よりによってこの村を。
もし、襲われたのが王都だったら。他の町だったら。そこに常駐していた冒険者がどうにかしてくれていたかもしれない。でも、この村には現役の冒険者はいないんだ。
道の真ん中に一人の男が倒れ込んでいる。斧を持ち、体のあちこちから血を流しているこの男は元冒険者だった中年の男だ。かつては凄い冒険者だったのだと、無数の武勇伝を自慢げに語っていたのに。
「……王都でも五つの指に入るくらいの冒険者だって言ってたじゃんか」
それが嘘だなんて分かってた。誇張する癖があるのも知っていた。でも、それでも。
男の周りには何匹かの魔物の死体が転がっている。彼は最期まで抗おうとしたんだ。みんなを守ろうとしていたんだろう。
「仇は取るから」
男も女も、そして子供も。誰一人生き残っていないのか……? もっと俺が早く辿り着いていれば、助けることができたのか?
「くそ……ッ」
見かけた魔物を狩りながら辿り着いたのは、村長の家だ。村一番の立派な家が、今は見る影もない。黒く焼けこげ、火の粉をあげるばかりだ。
崩れた家の中から痩せ細った腕が見えた。
「村長!!」
弓を手放し、手が焼けるのも気にせずに積み重なった瓦礫を退ける。掘り返して、掘り返して、やっと痩せた体を引きずりだすことができた。
「なあ、村長! 起きてくれよ……ッ」
どれだけ揺さぶっても彼が目を覚ますことはなかった。
瓦礫の下にはまだ何人もの死体が残っている。家の周りには何人もの男の死体が転がっていて。ああ、きっとここに避難して、どうにかみんなを守ろうとしていたんだ。
痩せこけた体を抱きしめる。頬を冷たい雫が伝った。
「エスカくんッ!」
無数の足音が聞こえる。走ってきたリーファが、俺の隣で息を切らした。
「……駄目だったよ」
ぽつりと呟く。細い体を抱きしめる腕に力がこもった。
「駄目だったんだ……!!」
「エスカくん……」
誰も、何も喋らなかった。ただ火の粉が舞う音だけが耳に届く。
なんで……どうして、この村じゃなくちゃいけなかったんだ。なんでわざわざ、こんな遠い村まで……。
静寂の中、カツリカツリと聞き覚えのない足音が響いた。
「ああ、素晴らしいわね。アイツも良い情報をよこすじゃない」
聞いたことのない声に顔を上げる。
この場にはまるで相応しくない、紫のドレスをまとった女が微笑みをたたえて経っていた。
その女はうっすらと笑みを浮かべ、ゆっくりとした歩みで近寄ってくる。
灰色の角に長い黒髪、紫の瞳……その目はプリュームを襲ったハイマと名乗る魔族と同じく、本来白くあるべき部分が黒く染まっている。
紫のタイトなドレスをまとった彼女は、俺を見つめて笑みを深くした。
「ここに来るはずだっていうから、わざわざ待っていたのよ。どうかしら? とても良い景色でしょう?」
こいつが元凶か。
そっと村長を地面に横たえさせ、弓を拾って立ち上がる。
黙って弓を向ける俺を見て、女は残念そうにため息をついた。
「なぜだ」
その顔が腹立たしい。ギリッと歯を噛み締めて女を睨みつける。
「なぜ、この村を襲った」
「なぜ? なぜ。なぜ……ふふっ、ふふふふふっ」
「何がおかしい!!」
肩を震わせて笑う女は目を細めて俺を見つめる。浅く息を吐き出すと、無駄に形の良い唇を動かした。
「気になるのなら解き明かしてごらんなさい。ワタシとしても都合がいいわ」
女は背を向ける。放った矢がその背へ突き刺さろうとした瞬間、彼女の背から生えた黒い触手に絡め取られる。
「なっ……」
「ワタシはプシュケー。ふふ、こうして名乗るのも不思議な心地だわ。ほうら、ワタシ達を追ってきなさい。次は……そうね、お仲間の住処を狙ってあげようかしら」
「なんだって……?」
クスリと笑ったプシュケーが両腕を広げると背中から生えた触手達が姿を潜めた。
「獣達の街で待っているわ」
背後から風の刃が通り抜け、彼女に迫る。その刃が届くよりも先に彼女は姿を消した。まるで初めからいなかったかのように、何の痕跡も残さずに。
「……逃げられたか」
振り向けば杖を構えるレイスがいた。最後の風の刃は彼が飛ばしたものだったのか。
ぽつり、頬に雫が落ちる。それは段々と足音を早め、ザアザアと燃える村に降り注いだ。
火が消えていく。今更だ。今更消えたって、もう。
もう、みんなは帰ってこないのに。
改めて荒れ果てた村を見ると、やるせなさが込み上げた。ずっしりと体にのしかかる無力感。力が抜けて、濡れた地面に膝をついた。
十年だ。十年だぞ。何も覚えていない俺を、種族さえ違う俺を、十年もの間住まわせていてくれた村だ。それを、こんな。
頬を濡らす雫は天から降ったものなのか、それとも自分の目から溢れたものなのか。どちらでもよかった。そんなこと、どうだっていい。
今はただ、守れなかったことが情けない。許せないんだ。この村を焼いたあの女も、守ることができなかった俺自身も。
黒い雲が覆う空に、声にならない号哭が響き渡った。
どれほどの時が経っただろう。雨の中、項垂れる俺の肩に柔い手が置かれる。ずっしりと重たい頭を上げて振り返れば、哀れむような表情のオリヴィエがいた。
「……とても大切な村だったのですね」
とても優しい声だった。彼女はネックレスを握りしめて目を閉じ、黙った。この村のみんなのために祈りを捧げているのだとわかって、俺も前を向いて目を閉じる。
数分の静寂。みんなが哀悼していた。不思議と、少しだけ……ほんの少しだけど、気持ちが落ち着いた気がする。
「行かないと」
立ち上がってみんなを振り返った。
「でも、その前に……せめてみんなを弔ってやりたいんだ。手伝ってくれるか?」
みんなは静かに頷く。
深く穴を掘って村のみんなを埋めていった。木の枝を墓標代わりに刺して、名前を刻む。協力してくれたから朝が来る前には全ての墓が出来上がった。
いつの間にか雨は上がっていて、少しずつ白んでいく空の下でもう一度祈る。
みんな。どうか……どうか、安らかに。




