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扉の向こう

 ふわふわと、温かな水の中をたゆたうような感覚。ゆらりゆらりと揺れるようなその感覚のなかで、そっと目を覚ましました。

 辺り一面に真っ白な空間が広がっています。目の前にはまだ小さな子供が一人ぽつんと立っていました。

 長い金髪と、海のような青い瞳。わたくしを見上げる顔には不安が満ちていました。少女は小さな口を開きます。


「泣いてるの?」


 鈴のような幼い問いかけ。わたくしは少女の前にしゃがみこんで、視線を合わせました。

 そっと微笑んで、彼女の濡れた目元を指先で拭います。


「泣いていませんよ」

「それじゃあ、怒ってる?」

「怒ってもいません……いえ、ほんの少しは怒っているかもしれませんね」


 町をあんな風にした魔物達には、少しばかりの怒りがありました。

 でも、と優しい声で続けます。そっと少女の柔らかな頬に手を寄せて。


「今はこうして笑えています。だから……大丈夫ですよ」

「ほんとう?」

「ええ、本当です」


 ほら、と微笑んでみせると少女は大きな目をぱちぱちと瞬かせました。きっと今のわたくしは、どんな時よりも上手に笑えていることでしょう。だってこんなにも満たされた気持ちでいるのですから。

 少女は小さく笑って、目を閉じました。彼女の向こうには一枚の扉があります。酷く錆びついた、重苦しい扉が。

 そして今、私の手には小さな鍵が握られていました。そっと少女から離れ、扉の前に立ちます。


「その先はとても怖いよ」


 扉へと伸ばした手がぴくりと止まりました。引き止める幼い声に、わたくしは振り返って笑いかけます。少女は心配そうにわたくしを見つめていました。


「知っていますよ。でも、いいんです」


 きっとこの先にあるのは、酷く苦しい思い出なのでしょう。自ら忘れようと、記憶の奥底に鍵をかけてまで閉じ込めるほどの思い出。でも、きっとその向こうには陽だまりのような暖かさも隠れているはずですから。

 だからこそ、わたくしはその全てを取り戻したい。今ならそう思えるのです。

 少し震える手で、少し色褪せた金色の鍵を鍵穴に差し込みました。カチャリと小さな音がして開錠されます。わたくしはそっと扉のレバーへと手を伸ばしました。

 大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出して。そうして心を落ち着けたら、レバーを握る手に力をこめます。


 開かれた扉の向こうには、苦痛が待っていました。

 酷く恐ろしい叫び声、冷たくなっていく体温、口の中に広がる鉄の味。

 思わず体がこわばるような情景の中、惨状の向こうに一人佇む人影を見つけて、中へと足を踏み入れました。長い金髪の女性が振り返ると、青い瞳にわたくしが映し出されます。


「オリヴィエ」


 わたくしを呼ぶ声があまりにも懐かしくて、悲しくて、愛しくて。駆け寄ったわたくしは両腕を広げ、彼女に抱きつきました。頭を撫でる柔らかな手があたたかくて、とても優しくて。


「どうか前を向いて。泣かないで、オリヴィエ」


 その声を最後に、ゆっくりと視界が白みました。




「……お母さん」


 ぽつりと呟いた自分の声で目が覚め、そっと瞼を持ち上げると、あまり見ることのない天井が視界に広がっています。ぼんやりと見つめていたわたくしは、そっと体を起こしました。


「お、目が覚めたか?」

「……エスカさん。タンドレーは?」


 椅子に腰掛けていたエスカさんは、ずっとわたくしを見守っていたのでしょうか。微笑んだエスカさんはわたくしの隣を見ました。


「タンドレーなら、そこに」


 隣を見ると、簡易ベッドに腰掛けたタンドレーが眠る子供達に囲まれていました。わたくしの簡易ベッドの周りにも、床に座ってベッドに突っ伏して眠っている子がちらほらといます。

 彼は眉を下げて苦笑しながら、頬を掻きました。


「どうやら僕達が目覚めるまで泣き続けていたようで……今は疲れたみたいで、みんな寝ているんです」

「……オリヴィエ姉ちゃん?」


 目を覚ました子供の一人が、わたくしとタンドレーを見てまた泣き始めました。ぽろぽろと涙をこぼしながら、小さな手でわたくしに抱きついています。


「姉ちゃん、姉ちゃん……!! よかった、よかったよぉ……!!」


 その声で他の子供達も目を覚まし、同様に泣き始めました。普段泣かない子ですら目を潤ませ、すんっと鼻をすすっています。

 うわああん、と泣きながら抱きついてくる妹と弟達を見ていると、なんだか目の奥が熱くなってきました。


 ああ。タンドレーも、子供達も……皆さん、無事なんですね。

 誰一人、欠けることなくここにいる。そう思うと、ますます目が熱くなって、気づけば頬を温かな雫が伝っていました。


「皆さん……ッよかった、良かったです。本当に……ッ!!」


 笑おうとして、上手く笑えなくて。くしゃりと顔を歪め、子供のように泣きじゃくりました。

 両腕で、子供達を抱きしめて。その温もりに、また涙がとめどなく溢れてきます。


 お母さん。わたくし、あの時は守られてばかりの何もできない子供だったけれど。今はこうして、皆さんを守ることができました。

 大切な仲間と共に、大切な町を守ることができました。見ていますか、お母さん。

 わたくしは大丈夫です。だから、どうか。

 どうか……もう心配しないで。

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