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カミサマ

 突然俺に飛び蹴りをしてきた緑髪の女は今、カナヴィに抱きついている。何が何やら分かってない俺達はそれを呆然と見ているんだけど……ちょっと説明してほしい。


「カミサマ、カミサマだ! やっぱりカミサマはあたしを見捨ててなんていなかった! カミサマ!」

「十年もの間、待たせてすまなかった。ジェーン、俺は戻ってきたよ」

「おかえりカミサマ。聞いてカミサマ。またあいつらがあたしを指差して笑うんだ。笑うんだ、笑うんだ、笑うんだ……」


 カナヴィをカミサマと呼ぶ女……ジェーンは、やっぱり様子がおかしい。カナヴィはそんな彼女に棒付きの飴を見せた。


「俺は皆と話があるから……これを舐めていい子にしていられるかい」


 ぺりぺりと包み紙を剥がし、ジェーンに差し出す。彼女はぱくりと咥えて、目を輝かせた。何度か口の中で転がした後、辺りを見渡して笑顔を浮かべる。


「あは、あはは! みんな魚になっちゃった! かわい〜!!」


 魚なんてどこにもいないんだけどな。っていうかあいつらって何なんだ。


「……カナヴィ、その人はお前の知り合いなのか? どういうことか説明してくれ」

「ああ、俺もそのつもりだった。何から話したものかな……こら、ジェーン。あまり離れるんじゃない」


 ふらふらとどこかへ歩いて行こうとするジェーンの手を掴んだカナヴィは、ぽつりぽつりと自分達のことを話し始めた。

 



 ――あれは今から十四年前。学校にも行かず暗がりで泣いている子供を見つけたのが始まりだった。

 緑の髪の大人しい少女は何かに怯えた様子で、カタカタと震えていた。心配になった俺は声をかけたさ。


「お嬢さん、どうしたんだい? 学校は?」


 そしたら少女は指をさして『あいつら』が酷いことを言ってくるのだと言った。少女の指が示す先を見たって何もいない。


「そこには何もいないよ」

「いる、いるの。そこに、あっちにも、こっちにも、あいつらが」


 尋常じゃない怯え様に、彼女が幻覚を見ているのだとわかった。医者を目指す者として放っておけなかった俺は、彼女の話を聞くことにしたんだ。




「医者ぁ? お前が?」

「なんだ、その顔は。俺が医者を目指して何がおかしい」

「いや、おかしいっていうか……とても医者の格好とは思えなかったからさ」

「……それも理由がある。続きはあっちで話そう。行くよ、ジェーン」


 カナヴィはジェーンの手を引いて人気のない路地へと入っていった。聞かれたくない話なのか? とりあえずついていく。


「お前も見ただろう? 彼女はずっと幻覚と幻聴に悩まされていた。誰に助けを求めてもマトモに取り合ってくれることはなく……それどころか彼女を目立ちたがりの嘘つき呼ばわりする始末。そこで決めたんだ。俺の最初の患者はこの子だ、何としてでもこの子を救ってみせるって」


 ジェーンは「さかな〜」と言いながら壁を指先でなぞっている。彼女の目には一体何が見えているんだろう。


「そのために猛勉強したさ。そして四年の時を経て、やっと俺は彼女の症状を治す……いや、改変する薬を開発した。今彼女が舐めている飴がそうだ」


 彼女が美味しそうに舐めているあの飴が薬だって? 明らかに怪しいニオイはしていたが、やっぱりただの飴じゃなかったんだな。


「薬を溶かしこんで作った飴は、彼女の恐ろしい幻を楽しく美しい幻へと変える。もし彼女と同じ症状を持つ人々がいるのなら、助けになれるだろうと思って新薬として発表した。だが……」


 彼は少しばかり俯く。その目はどこか遠くを見つめていた。


「禁忌の薬……そう呼ばれる違法薬物の中に類似したものがあったらしくてね。俺はそのまま檻の中、国外追放を兼ねてピュルテ皇国へ送られた」


 人のためになると信じてやったことが、まさか法に触れるだなんて。なんとも言えない気分になる。


「……その禁忌の薬っていうものになるって、事前に分からなかったのか?」

「そもそもその存在は明かされていない。本当にあったのかさえ俺には分からない。ただ上があると言えばある、類似していると言うならそうなるんだ」


 カナヴィは糸を外してからというもの、一度も笑っていない。いや、そもそも笑えないのか? 無理矢理糸で笑っているように形作っただけだった?


「それでも俺は諦められなかった。彼女は俺の患者だ。他の誰もが彼女に手を差し伸べないのなら、俺がその役目を担うと決めた。だから俺は檻から逃げて……あの町まで逃げた。全ては彼女の元へ帰るために」


 延々と壁をなぞっているジェーンを見つめる目は優しい。きっと大切な存在なのだろう。


「まさか彼女がここにいるとは思わなかったが……もしかしたら俺を追ってここまで来たのかもしれないな。なんて、思い違いだったら恥ずかしい話だけどね」


 彼はふっと息を吐き出した。口角こそ上がっていないものの、少し笑ったのだと分かる。


「……今までの護衛、ありがとう。ここでお別れだ」

「これからどうするんだ?」

「彼女と生きるさ。隠れながらにはなるけどね。そして彼女の病を完治させる薬を開発してみせる」

「そうか……」


 もう会うことはないかもしれない。一つの取引から始まった少しの旅だったけど、彼がその夢を叶えられればいいと思う。


「頑張れよ」

「ああ。お前達も……目的を果たせるといいな」


 カナヴィはジェーンの手を引いて路地の奥へと消えていった。

 ……少しくらい支援金を渡してもよかったかもしれないな。ずっと捕まってたっていうなら、きっとそんなに持ってないはずだし。


「……お前達は犯罪者と旅を共にしていたのか?」

「確かにあいつは犯罪者だったみたいだけど……でも、悪ってわけじゃない。だろ?」


 それに、俺の仲間を……リーファを助けてくれたから。そう言えば、レイスは深いため息をついた。

 まさか帰ると言い出すんじゃないかと思ったが、そういうわけではないみたいだ。ただ呆れたような目で俺を見て「救いようがないな」と呟いただけだった。

 ……バカだって言いたいのか? ん?

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