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記憶の所在

 ――あれは今から二十年前。この町の近くにあった小さな村が、魔物の襲撃を受けたことが始まりです。魔物の数は非常に多く、後に皇国主導の掃討隊が組まれた程だと聞きます。

 そんな数の魔物に襲われ、小さな村が無事で済むはずはありませんでした。


 当時、依頼で村に立ち寄ったという冒険者は言いました。この子供が唯一の生き残りであったと。

 そうして連れてこられたのが彼女……オリヴィエです。

 目が覚めた彼女は全ての記憶を失っておりました。ですが、無理もありません。

 自身の母親を食らったという記憶など、忘れていた方がずっと幸せなのですから――


「母親を、食らった?」


 思わず聞き返した俺に、タンドレーは悲痛な表情で頷いた。


「彼女は、倒壊した家の中に埋もれていたところを発見されたそうです。そして彼女を庇うように覆い被さっていた女性は、肉を食われていた。それはオリヴィエに近い部位であり……救助されたオリヴィエの口元には、彼女のものではない血肉が付着していた」

「それって……」

「ええ。それは女性が魔物ではなく、オリヴィエによって食されたことを意味しています」


 体から力が抜ける。彼女が、自分の母親を食らっていた? どうして?


「これは冒険者の推測ですが……その冒険者が辿り着いた時には、魔物は影さえも見当たらなかったそうです。それだけではなく、残されていた食べ物は全て腐っており、遺体も腐りかけていた。一日や二日の出来事ではなかったのです」


 それじゃあ、オリヴィエは……生き残るために、ただひたすらに、目の前にあった肉を食らったということか。たとえそれが自身を守って死んだ母親の肉だったとしても。


「そして彼女が失ったのは記憶だけではありません。強い感情の揺らぎも感じることができず……味覚も失っていました。まるでそうしなければ正気を保てなかったと、そう言わんばかりに」

「感情と味覚が……?」


 思い浮かぶのはただ笑顔を浮かべてばかりいた彼女の顔。よく笑うリーファとも、ケイトの笑顔とも違う、まるで貼り付いたかのような笑顔。

 それが失った感情を包み隠すためのものだったとしたら。


「彼女は食事を楽しむことすらできなくなりました。彼女が感じられるのは温度と触覚、痛覚――ですので、かろうじて辛さだけは感じることができるようです」


 ふと、彼女の言葉を思い出す。


『今日のものだとテリーヌが見た目鮮やかで好きです』

『とても柔らかくて、いいと思いますよ』

『孤児院の皆と飲むこのスープが、一番好きです』


 今まで彼女は料理の感想を求められた時、一度たりとも味に触れたことはなかった。見た目や食感くらいしか、触れたことが。

 味が分からないのがどんな感覚なのか……それを俺は知っている。今でこそ食事を楽しめるようになった俺が、あの頃は栄養を摂取する手段でしかなくて。それがどんなに無味乾燥なものかを、よく知っている。


「事の真相を知った僕は、目を覚ました彼女に告げました。『目が覚めましたか、オリヴィエ。僕が誰かって? ああ、なんということだ。階段から落ちたせいで記憶を失ってしまったようだ……』そんな拙い演技を、まだ幼かった彼女は信じました」


 そうだよな。そんな真実を、幼い子供に告げられるはずがない。だからタンドレーがやったことは正しいと思う。少なくとも、その時その場所においては。


「それから彼女は度々記憶を失うようになりました。決まって、彼女の閉じ込められた記憶に触れる何かがあった時。暫くの間意識を飛ばし、戻った時にはすっぽりと穴があいたように……彼女は記憶を切り取ってしまう」


 思い出すのは心境ノ鏡館でのこと。あの場所は挑戦者のトラウマを刺激するようなものだった。きっと彼女は村で起きた惨劇を見せられ……そして、意識を失い倒れた。目を覚ました時には鏡のフロアの記憶はすっかり抜け落ちていて――まさに彼が言ったことと同じ現象が起きている。


「ですから、貴方が彼女を、オリヴィエを……大切な仲間だと思ってくれているのであれば。どうか、彼女を支えてやってください」


 タンドレーは深く、深く、頭を下げた。

 俺に何ができる? 分からない。分からないが、だからといって彼女を拒絶する理由にはならないことだけは分かる。


「……顔を上げてくれ」


 窺うような目でこちらを見た彼に、笑いかける。雲に隠れていた月が顔を覗かせ、部屋に明かりが差し込んだ。


「任せろ。俺達にできることはたかが知れてるかもしれないけど……それでも、オリヴィエのことは精一杯支えるよ」

「エスカさん……」


 くしゃりと笑った彼の青い目に雫が滲む。

 大きく息を吸い込み、震える息を吐き出した彼は、噛み締めるように呟いた。


「ああ……本当に、あの子はいい仲間を持ったようですね」


 彼は本当に優しい人だ。こんなにも心を砕いて彼女のことを思っている。

 ならば俺は、俺達は、それに応えるべきだろう。オリヴィエのことを大切に思う『いい仲間』に相応しいように、最大限努力するべきだ。

 きっとそれがオリヴィエへの恩返しにもなる。


 さあ、考えよう。俺達に何が出来るのか。

 どんなちっぽけなことでもいい。少しでも彼女の心を癒せるように。

 支えになれるように。

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