表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/192

エスカードの森とトーガ村

 ガサガサと木の葉が揺れる。飛び立った黒い影目掛け、キリリと引き絞った矢を放った。

 体を貫かれたソレは甲高い声をあげて地に落ちる。


「っし、当たり!」


 黒い鳥を掴み上げて体に刺さった矢を抜いた。あー、折れちゃってるな。まあ、矢は再利用しないからどっちでもいいんだけど。


「これだけ獲れれば充分だろ。そろそろ帰るかな」


 肉と薬草が入った二つの袋を背負い、村への道を帰る。


 俺はエスカ・トーガ。銀の長髪に尖った耳の、トーガ村に住んでいる何の変哲もないエルフだ。

 ……いや、何の変哲もないというには一つ『問題』を抱えている。何せ俺には記憶がない。人間ばかりが住んでいるトーガ村にいるのも、俺がこの森……エスカードの森で倒れていたところを拾ってもらったからだ。


「あ、おかえりエスカ! 早かったね」

「おかえり、エスカ。収穫はどうだ?」

「ん、ただいま。これ見れば分かるだろ? 今日もバッチリだよ」

「エスカ〜、これ持っていきなよ! 今収穫したばかりの新鮮な野菜だよ!」


 村に帰ると道行く村人達から声をかけられる。畑の世話をしている夫婦からは野菜をもらった。この村に拾われて、もう十年が経とうとしているが……俺もかなり馴染んできたものだ。

 初めは奇異の目で見られることもあったけど、狩りに出たり仕事を手伝うようになってから次第に打ち解けてきた。今となっては村の外側に俺個人の家まで用意してもらえている。なんともありがたいことだな。

 家に戻ったら今日の獲物を捌いていく。俺が食う分は残して、他は村の人達に分配する。そこまでが俺の毎日のルーティンだ。


「ふー、これで今日の仕事は終わりだな」


 ぐぐっと体を伸ばす。深く息を吐いて、一気に脱力した。

 窓を見れば空にオレンジ色が溶け出している。

 もう今日はこれ以上何もしないでおこう。後は食事をして、水を浴びて寝るだけだ。


 穏やかで、優しくて、あたたかな日々。

 俺は、こんな日常がずっと続くと思っていた。

 けれども、ぽっかりと空いた記憶は時折俺を不安にさせる。このままここで暮らし続けても、この穴は埋まることがない……それは薄々分かっていた。




「……忘却ノ迷宮」


 狩りに出られない雨の日なんかは、村長の好意で本棚の中を見させてもらっている。殆どが実用書ばかりの蔵書は自分のことさえ何も分からなかった俺にとって、とてもありがたいものだった。

 そして今日、隅の隅にあった一冊の本からダンジョンの存在を知ったわけだ。


 忘却ノ迷宮。世界各地にあるダンジョンの中でも、最も難易度が高いと言われているらしい。このダンジョンに挑んだ者の中には、記憶を失ってしまった者もいるという。


 記憶。

 もし、もしも俺の記憶喪失がこのダンジョンと何か関係しているとしたら。


「目指してみる価値はある、か」


 随分とこの村には世話になった。だが、外を知ってみたいという気持ちもなくはない。この際だ、外を見て回るのも悪くないはずだ。どこかに俺の記憶に関する何かがあるかもしれないし。


 そうと決まれば村長に話をしないと。流石に何も言わずに出ていくわけにはいかないからな。

 ダンジョンの場所が書かれた箇所を何度も読んで、本を棚に戻した。

 書斎を出ると、椅子に座ってお茶を飲んでいる村長と目が合った。白いヒゲをたくわえた貫禄のある爺さんだ。


「おお、エスカ。今日は珍しく出てくるのが早いな」

「村長……ちょっと話があるんだ」

「話? 何じゃ急に」


 村長はコップを机に置き、椅子に深く座り直した。もしかすると今から真剣な話をするつもりだと顔に出ていたのかもしれない。


「その……俺さ、この村を出ようと思うんだ。記憶を取り戻すために」

「……そうか」


 村長はぽつりと呟くと深く息を吐き出した。


「お前を拾ってもう十年になる。ここでの生活に慣れて、てっきり記憶については気にしていないものだと思ったのじゃが……そうではなかったようじゃな」

「別にここの生活が嫌になったとか、そういうわけじゃないんだ。ついさっき手掛かりを見つけたんだよ。忘却ノ迷宮っていうダンジョン……そこに挑んだ者の中には、記憶を失くして出てきた者もいるって」

「ふむ……」


 ヒゲを触った村長は俺の目をじっと見つめる。その目つきが思ったよりも鋭くて、思わず息を呑んだ。


「忘却ノ迷宮は最難関のダンジョン……お前に挑戦できるだけの技量があるとは思えんがのう」

「それは……記憶を失くした時に何かあったんだよ。ほら、今でこそ弓が扱えるようになったけど十年前は全然だっただろ? エルフなのにさ」

「確かにお前には分からんことが多い。拾ってすぐの頃など、自分がエルフということすら分かっていなかったからのう……」


 村長はしみじみしているが、俺がここに来たばかりの頃を俺は覚えている。誰も彼も異物を見るような目で俺を見ていた。それは村長も同じで……まあ、仕方ないことなんだろうけど。エルフが人前に出るのは相当珍しいことらしいから。

 今思えば拾ってもらって、怪我が治るまで置いてもらえたのは相当幸運だったんだろうな。この村、言っちゃ悪いけどそこまで裕福ってわけではないし……補足しておくとこれは俺の感想じゃなく、他の村人が言っていたことだ。俺はその辺のことも分からないからな。


「お前が狩りに出てくれるようになってから生活も楽になったものだ。出来ることなら残ってもらいたいが……止めても聞かんのじゃろう?」

「ああ、俺だってこのチャンスを逃したくはないんだ。この十年で恩返しは終わったってことで……ダメかな」


 無言のまま村長と見つめ合う。

 ……もし受け入れられなかったらどうしよう。それで留まるつもりはないけど、出来ることなら笑ってここを出たいんだ。

 少しして、村長は息を吐くように笑った。


「恩返し、か。お前の働きは充分なものじゃった。とっくに返し終わっておるよ」

「村長……」

「ただ、心することじゃ。お前はエルフ……時に悪意に晒されることもあるじゃろう。それでも行くのじゃな?」

「ああ」


 この村に来たばかりの頃、皆から向けられたような視線を浴びることになるかもしれない。でも、それは止まる理由にはならない。

 俺はもう決めたんだ。このぽっかりとあいた記憶の穴を埋めるって。


「そこまで強く決めたのなら、止めることもあるまいよ……それで、出発はいつの予定なんじゃ?」

「明日かな。あまり遅くすると……揺らいじゃうかもしれないしさ」

「ふぉっふぉっふぉ、そこまでこの村を気に入ってもらえとるとはのう。嬉しいことじゃよ」


 村長は立ち上がると、棚から何かを取り出した。何かが入った小さな麻袋だ。


「これを持っていきなさい。少ないが、ちょっとした助けにはなるじゃろう」

「これは……?」


 手のひらに乗せられた袋はジャラリと音を立てた。開けてみると十数枚の銀貨が入っている。


「いつかお前が旅に出るかもしれんと思ってのう。五年程前から用意しておいたのじゃ。使わずに済んでほしいとは思っていたがの」

「そうだったのか……ありがとう、村長。こんなに良くしてくれて」

「お前はワシの息子のようなものじゃからな」


 五年前、村長からトーガの姓を名乗ってもいいと言われた時のことを思い出した。村長は息子がいなかったから、同じ姓を使うことになった俺は次期村長だのなんだのとからかわれたな。

 そっか、その頃から……俺のために用意してくれていたのか。俺のことを本当の息子みたいに思ってくれていたのか。


「俺、記憶を取り戻したら戻ってくるよ」

「いつになることかのう。ワシがくたばる前には戻ってきておくれよ」

「おいおい縁起の悪いこと言わないでくれよ。そんなにかからないって」

「どうじゃろうなあ、お前はそこまで要領がよくないからのう。畑仕事を任せようとしたときも、お前は……」

「だからアレは記憶がないからだって! まったく……」


 この軽口の叩き合いも、暫くできなくなるのか。そう思うと少し心臓が締め付けられるようだった。

 でも、もう決めたことだ。


「それじゃ、村長の頭が涼しくならないうちに帰ってくるからさ」

「ハゲる前提で話すでないわ……達者でな、エスカ」

「……うん」


 これ以上寂しさが増さない内に村長の家を出る。

 それから俺は、村人の一人一人に別れの挨拶をして回ることにした。


「えーっ、出ていっちゃうの!?」

「俺の弓はどうなるんだよー!」

「あたしの絵は〜? エスカ、教えてくれるって言ったじゃん!」


 子供達が俺の腕や足にひっついている。困ったな、動けそうにない。


「お前らが大人になる頃には帰ってくるよ。それに弓はもう充分使えるようになっただろ? 絵は……ごめんな、帰ったら教えるからさ」

「やだやだ、出ていっちゃやだ〜!!」


 ついには泣き出す子供まで出てきてしまった。泣きじゃくる子供の頭を撫でながら近くにいた村人に目を向けても、微笑ましそうに見られるだけだ。助けてくれてもいいんじゃないか?

 ……まあ、しばらくお別れになることだし。俺だけじゃなくこいつらも寂しいって思ってくれてるってことかな。最後に少し遊んでやるか。

 そう思ったのも束の間、両耳をむぎゅっと掴まれた。


「いッ……てぇな!! 耳引っ張るのはやめろ!」

「耳長が怒った! 逃げろー!!」

「きゃー!」


 逃げ回る子供を全員捕まえるまで、追いかけっこは続いた。

 何度もやってきたこのやり取りもこれで終わりかと思えば……そんなに悪い気はしなかった。


 そして翌日。俺は朝早くに村を出ることにした。少しの荷物を詰め込んだ袋と弓、矢筒を背負って家を出る。眩しい朝日に目を細め、足を踏み出した。

 村を囲む柵に近づくにつれて少し歩みが遅くなる。自分で思っていたよりもこの村に愛着があったみたいだ。


「エスカ〜!!」


 背中にいくつにも重なった声が投げかけられて振り返る。

 集まった村人達が俺に向かって大きく手を振っていた。


「無事に戻ってこいよー!」

「騙されるんじゃないぞ〜!!」

「エスカ〜! 帰ってきたらお話聞かせてね〜!!」


 じわりと目に雫が浮かぶ。ぐしぐしと目元を拭って、負けないくらい大きく手を振った。


「またな!!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ