(4)
靄の濃さが増し、先程から親子の声はぼやけ、周囲に木霊している。
気付けば雨は止み、徐々に陽光が射し始めた。
息子を長く陽に当たらせる訳にはいかないと、父は急いでオールを漕ぐ。
身を竦める息子に、掴まっていろと吠えるや否や、ボートはまたも激しい揺れを起こした。
「父さん!」
叫び声に合わせ、水中から薄緑の皮膚に血管を浮かばせた二本の腕が現れる。
反対側からも衝撃を受け、振り返ると同じ腕がしがみついてきた。
「奥へ行け! 早く!」
息子は父に言われるがまま、腰を抜かした状態で舳先の近くまで向かう。
その目前では父が、現れた二体を追い払おうとオールで攻撃していた。
しかし尚も迫る人魚の爪から緑の液が滴り落ち、親子の震えは止まらない。
人魚の嗄れ声には喘鳴が混じり、今にも喰らいつこうと夢中で求めてくる。
父は人魚の顔や肩、頭を我武者羅に殴打し続けた。
その恐ろしさに息子は泣き、自分達の島に向かって助けを呼び続ける。
しかし、包み込む濃い靄に邪魔されているような気がしてならない。
頭上からは再び、亀裂音が連続的に鳴り響く。
父のオールを振り回す手は追いつかず、とうとう一体に肩を噛まれて引き寄せられた。
力は凄まじく、父は容易く船縁に乗り上げる。
「ダメだ!」
息子は父の大腿にしがみつき、人魚から奪い返そうとする。
だが、背後にいたもう一体が息子の襟首を掴み、高々と海へ投げ入れた。
父が息子の名を叫ぶのが先か、喉に深傷が走る。
激痛の声すら上げられないまま、全身の痛みが迸ると共に、暗く冷たい海に引き摺り込まれた。
人魚は三体、四体と更に増え、ボート周辺を蠢くと破壊し、それすら喰らう。
ボートは原型を失い、みるみる沈んでいった。赤が漂う濁った波。
そこから顔を出した人魚は、皮膚に血を伝わせ、悲鳴を高々と上げる。
宙に更なる亀裂が入った途端、謎の壁面は飛散した。
煌びやかな破片は、靄と共に大気に溶け込むように薄れていく。
景色はじきに、親子が来る前の穏やかさを取り戻した。
まるで、人がいた気配までもを払拭した様に。
人魚は渦を巻くように廻り続け、螺旋を生む。
それに吸い込まれていく木材やロープ。
また、不可解な断片や白い欠片。
それらに纏わりつくように、赤い液体が尾を引きながら巻き込まれていく。
黒い海に模様を描きながら、嗄れ声を上げる人魚と共に、遥か深い海底に消滅した。
代表作 第2弾(Vol.1/前編)
大海の冒険者~人魚の伝説~
8月上旬完結予定
後に、代表作 第3弾(Vol.2/後編)
大海の冒険者~不死の伝説~ をもって
シリーズ完全閉幕します