第9話 エンディミオンの逆襲・1
捕らえられたオメガ・グリュンタール。
上がるは反乱の狼煙、その時ブラジリアは……!
オメガ・グリュンタールは総督府の地階に用意された個室に半ば投げ込まれるような形で入れられた。そこは、薄暗く、コンクリート製の壁に囲まれた個室だった。部屋の隅にはトイレがむき出しの形で存在している。家具は、ベッドしか存在しない。鋼鉄の扉が勢いよく閉められた。扉にある小窓には鉄格子がはまっていた。
「しばらくそこで大人しくしていろ!」
扉の向こう側からオメガをここまで連行してきた男が叫ぶ。やがてドタドタと足音を立てて男たちはその場を去っていった。
オメガはそっとベッドの上に腰を下ろした。銃も通信機も取り上げられてしまった。だが、彼は絶望感を感じてはいなかった。大丈夫だ、ライラさんならきっと、僕を助けてくれるに違いない。それに、そんな彼にリーファ・レンヌの本性について話してやれば、彼女どころかレンヌ財団だってタダでは済まないだろう。僕の大切なものを傷つけた人間は、この世にいちゃあいけないんだ……!
そして、一時間半ほど経った頃合いだろうか。独房の扉がゆっくりと開いた。ベッドに仰向けに寝そべっていたオメガは起き上がる。
部屋に入ってきたのはライラックだった。彼は扉を開け放したままオメガに歩み寄った。ライラックは少し驚いたような顔をした。
「オメガ……どうして君が……」
「ライラさん!」
オメガは言った。
「僕は君が、レンヌ財団のご令嬢、リーファ嬢を殺しかけたと聞いているんだが……?」
「それは……事実です」
オメガは答えた。
「でも彼女は……死んで当然の人間なんです」
「どういう意味だ……?」
ライラックの表情が少しだけ固くなった。
「彼女は、士官学校時代にクローネさんを虐めていました。それは、彼女の心に深い傷を残し、今でさえも苦しめている。にも関わらず、リーファ・レンヌはその時のことを反省しないばかりかまるで武勇伝のように語って聞かせた。あいつは……僕の仲間を、クローネさんを傷つけた。だったら次は、僕があいつを傷つけてやる番なんです!」
「オメガ……君は……それを本当にクローネのためだと思ってやっているのかい?」
ライラックはそっとオメガの隣に腰を下ろした。
「もちろんです! あんな人間、クローネさんのためにも、絶対に殺さないと……!」
「だがもし君が、彼女をあの場で殺していたら、クローネをもっと苦しめることになっただろうね」
「え……?」
「恐らく君は、その場で捕らえられて、連邦政府によって処刑されるだろう。財団の影響力はそれほどまでに強い。僕にもどうしようもないくらいにね。そして君は世間から、あるいは歴史から殺人者として記憶されることになる。果たしてそれを見て、クローネがどう思うだろうか……?」
「それは……」
ライラックはオメガの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「だが、君の言い分は十二分にも分かった。今ならばまだ僕の手でどうにでもなるさ。だから……」
と、ライラックは言って開け放たれた扉を見た。
「僕は財団の連中を適当に言いくるめてくるとするよ」
「あの……いいんですか?」
オメガは言った。
「あぁ、いいさ」
ライラックは立ち上がる。
「これは半ば僕の責任でもあるんだ。士官学校でのいじめを軽く考えていた僕自身のね。今思い返してみれば、あのリーファとかいう少女、確かにあの時、士官学校にいたような気がする……」
「あなたは……あいつを知っていたんですか?」
「いや、まぁちらりと顔を見かけた程度だけどね」
オメガはライラックに続いて独房を出た。
「それからオメガ」
ライラックは薄暗い廊下に出ると振り返って言った。
「君はどうも、自分の物差しだけで世界を測っているきらいがある。もちろん、大抵の人間はそうなんだが……君の場合はそれが強い故に独善的な行動が目立っていると僕は思うんだ」
「で、でも僕は許せません! 大切な仲間を傷つけたりする奴らが……!」
「それは僕だって許せないさ」
ライラックは言った。
「だが、それを理由にして、同じことを相手にしてもいいということにはならない。その瞬間に君は、君自身だけでなく、君の仲間までも傷つけることになるだろうからね」
「そうですか……」
オメガは複雑な表情をして言った。この人の言っていることは、まだ、よく分からない。
「ま、僕の言っていることが難しいと感じるのなら、クローネをよく見ていることだね」
ライラックは言った。
「君は本当にいい師を持ったと……僕は羨ましさすら感じるよ」
ふたりは地階から1階に上がる階段を上ると、総督府の入口の開け放たれた木の両開きの扉をの前にたどり着いた。
ライラックはオメガに向かって言う。
「今回のことは、総督府内の秘密に留めておくよ。君は……大手を振って防衛軍基地に帰っても構わない。大切な師匠のための仕事も残っているだろうしね」
そして彼はニヤリと笑って手を振った。
「あの、ありがとうございます……僕は……」
「いいんだ。言っただろう? これは僕の責任でもあるって……」
そしてライラックはポケットからオメガの銃と腕輪型の通信機を取り出して彼に手渡した。
「大事なのは、力じゃあなくて、それを使う人間の心だ。その事を忘れずに……ね」
オメガが総督府を出ていくと、ライラックは執務室へと戻った。そして秘書官に頼み、ザギム・レンヌ、及びリーファ・レンヌを呼びつけた。
「突然呼び付けて悪かったね」
と、ライラックは言った。
「あの……なんでございましょうか、総督閣下……」
ザギムが言う。
「僕は、君たちからの出資を断ることにするよ」
「は……? し、しかし……」
「リーファ、といったね」
ライラックは娘の方に向き直った。
「は、はい……」
リーファは緊張した面持ちで言う。
「君を殺しかけた少年は釈放した」
「え……」
「いいや、驚くのも無理もないね。でも、僕はほんの一瞬だけ、君と士官学校で鉢合わせたことがあったんだ……」
ライラックはリーファの瞳を探るような目で見た。
「彼の言い分は、破綻こそしているがもっともな点もなくはない。総合的に判断した結果、厳重注意に留めることにしたよ」
「い、言っていることが一割も掴めないぞ……!」
ザギムが言った。だが、そんなザギムにリーファが言う。
「お父様は黙ってて!」
リーファはライラックに向き直った。
「あなたも……士官学校にいたってこと……?」
「あぁ、そうだね。もっとも『いた』というのは厳密には間違っているかもしれないが……。何しろ僕はあそこに通っていたわけではないからね」
ライラックはいたずらっぽい笑顔を浮かべて言った。
「でも、僕とクローネは戦友なんだ。だから分かるよ。彼女は君なんかよりもよっぽどか素晴らしい人間だということがね」
「あなたは……」
リーファは苦虫を噛み潰したような表情でライラックを睨みつけた。
「と、いう訳なんだ。君たちとの交渉は、これで終わりさ」
レンヌ財団のふたりはそれ以上は何も言わずに部屋を出ていった。
ライラックはほっとため息を着くと革張りの椅子に腰を下ろした。
「まったく……」
と、彼は独り言を言った。
「僕はつくづくこの仕事が向かないな……と思う時があるよ」
そして椅子を回して窓の外を見ながら続けた。
「まぁもっとも、それ故のやりがいというものも感じているんだけどね」
*
ザギム・レンヌとリーファ・レンヌは総督の執務室を後にして総督府のカーペットが敷かれた廊下を歩いていた。
「あの、お父様……?」
「お前……士官学校であのクローネとかいう防衛軍の中尉と何があった?」
「別に? ちょっと遊んでやっただけだけど……」
「軽率だな……」
ザギムは言った。
「何故それが後々の不利益になると予想してなかった!」
「それは結果論でしょう!?」
だがそんなふたりの前にアディーラ・マラガが現れた。
「どうやら揉め事のようですな」
「アディーラ……」
と、リーファが言う。
「アディーラ」
ザギムも言った。
「君たちの総督は、少し横暴が過ぎるのではないかね? 我々の出資を突如断りおった……」
「ふっ、実に総督らしい……」
アディーラは笑って答えた。
「確かに彼は有能な人物だ。しかし、その有能さは彼自身の独断の行動によるものだとも言える……。彼が総督府に入ってから植民地の生産力は飛躍的に向上したが……それは同時に本国からの支配命令を全く無視した政策のせいだとも言えるだろう」
「何が言いたい?」
ザギムが問うた。
「もちろん、本国政府は生産性の向上に免じてそこら辺を黙認しているようだが……私のような古くからいる総督府の役人にとってしてみれば……相当にやりづらい状態が続いているということだ……」
「アディーラ、では……」
「ご安心を、ザギム様」
と、アディーラは言った。
「間もなく、我々のクーデター計画が発動されます。それまでの辛抱です」
「そうか……」
ザギムは廊下の豪華な照明器具を見た。もうすぐ、ここが火の海になるのか……。我々を排除しようとした、この忌々しい空間が……。
*
その日の夜、ライラック・ソフィアは総督府にある自分の寝室で眠りについていた。だが、そこでけたたましい爆発音がひびき、彼はベッドから起き上がる。
すぐさま扉が開いて部屋の明かりがついた。秘書官の少女が飛び込んできた。青い眼をした黒髪ショートボブの少女だ。
「総督様!」
「い、今の音は?」
ライラックは水色のパジャマ姿のまま尋ねた。格好がつかないので水玉模様のナイトキャップはその場で脱ぎ捨てる。
「一階の入口付近で爆発です! それに、外を……!」
「外……?」
ライラックは寝室の窓に歩み寄り、カーテンを勢いよく開けた。
総督府は、十数機ばかりのRAに包囲されていた。紫色の装甲に赤く光る三つの目、ローマ連邦の量産型RA、レギオンだ。
「レギオン……。どうして……?」
と、ライラックが言った時だった。
「反乱です」
少女は言った。
「反乱?」
「はい、詳しい話は……」
少女がそこまで言った時、彼女とよく似たもうひとりの少女が部屋に飛び込んでくる。違いは、白と金色の連邦軍の軍服を身にまとっていることと、瞳の色が緑色をしていることだ。
「ラテ……!」
ライラックが声をかけた。
「総督! アディーラに率いられた兵士たちが寝室に向かっている!」
ラテはやや男っぽい口調で言った。
「アディーラ……」
「ラテ、それはボクが思うにきっとアディーラの手引きだ。彼は総督を裏切ったとしか……」
ライラックはベッドの上に座り込んだ。
「そうか……これは僕の不覚だった。彼の裏切りに気づいていなかったなんて……」
「総督!」
秘書官が言った。
「まさかとは思いますが、諦めるつもりではないですよね……?」
「え……?」
「ボクにはそう見えました……。でも、総督には生きてもらいたい……。それがボクの願いです」
「モカ……」
ライラックは秘書官に言う。
「でも、外も中も敵ばかり、この状況、どうすれば逃げられるんだ?」
「大丈夫だ」
ラテは力強く言う。
「大丈夫って……」
「総督の緊急用メッセージ回路を勝手に閲覧させてもらった。本来なら私だってそんなことはしたくないが……緊急時だから許して欲しい。それで私は独断で、総督が信頼を置いてそうな所に連絡をさせてもらった」
「どこなんだい? そこは……」
その時、総督府の前庭に一機のRAがこちらに背を向けて着地をした。背部にΩ字型のウイングが見える。機体色は濃い灰色と緑、ハイペリオンオメガだ。
「総督……僕は助けに来ました……」
オメガはコックピット内で呟いた。そしてハイペリオンオメガにビームセイバーを抜かせる。
「行くぞ……! 裏切り者ども!」
オメガはレギオンの集団に斬りかかった。
だがそんなオメガに神威からの通信が入る。
「待て、オメガ、お前は総督の救出を優先しろ。RAたちは俺が食い止める!」
ハイペリオンオメガとレギオンたちの間に月聖神が着地をした。月聖神は光刃刀の水色の刃を敵陣に向け、中段の構えをとる。
「わ、分かりました!」
オメガは背後を振り返ると、数歩ばかり機体を移動させ、ライラックの寝室の壁に腕を差し入れた。壁には大きな穴が空く。
「総督!」
ラテがライラックの手を取った。
「こ、ここを飛び降りるのかい……?」
ライラックは尋ねる。
「あぁ、掴まっていてくれ!」
ラテはその細い腕でライラックを軽々と抱えあげると、建物の2階から地面へと飛び降り、ひらりと着地をする。
モカは慎重にハイペリオンオメガの腕をつたって地上に降りる。
直後、ライラックの寝室に黒っぽい戦闘服を着た一団がなだれ込んできた。彼らは銃を構えている。
「こいつら……!」
オメガはコックピット内で呟くとハイペリオンオメガのプラズマライフルを抜き、銃口を兵士たちに向けた。
「オメガ! やめろ!」
ライラックが地上から叫ぶ。
ハイペリオンオメガの集音マイクがその声を拾いオメガは動きを止めた。
「で、でも……ライラさん……!」
もちろんその声はライラックには聞こえていない。だが、ライラックは続けた。
「僕はお前に殺戮者になって欲しくはない……!」
ハイペリオンオメガの動きが止まった。直後、オメガは何者かの気配を感じ、ビームセイバーを抜きながら機体を振り返らせた。
それは、エンディミオンラージャだった。エンディミオンラージャのビームフィランギがハイペリオンオメガのビームセイバーと交わる。
「はっ、この前の勝負の続き、つけちまおうぜ!」
エンディミオンラージャのコックピット内部で、ドゥルヨーダナはニヤリと笑った。
後半へ続く!