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悪役(ヒール)に祝福の雨は降る

作者: 森 有楽

「いけますの?」


 任務前、滅多に口を開かない的場が口を開いた。彼女の腰から太ももまでふんわり広がるチュチュが風に揺れた。

 私は手袋をはめて、何度か拳を握った。


「当然です。問題はないと…………それとも私では力不足、ですか?」


「無論信頼しております。でもこれでまた、悪役(ヒール)と呼ばれることになりますわね……と」


「良いじゃないですか。私をヒーローたらしめてくれるのは、世間の評価ではなくあなたです。あなただけが私をヒーローと呼んでくれた。ただそれだけで、私は頑張れるんです。誇りさえすれ、悔やむ事など欠片とてありません」


 滾る感情に任せに、にやりと笑みを浮かべた。昼に温められた空気は夜になっても冷めやらず、生ぬるい夜風が柔らかく、唯一空気に晒す顔を撫でた。


 私はビルの上から眼下に広がる町並みを見下ろした。どのビルも明かりが灯り、道路では赤いブレーキランプが光る車が何台も連なる。土曜の夜だ。出歩く人も多い。


「さすがに、骨が折れそうです」


 溜息を吐いた私を、的場が背後から優しく抱きしめた。こんな所で何を。そう言いそうなり、言葉を飲み込んだ。背中に的場のぬくもりも感じながら、私は目を閉じた。


「気をつけて……」


「ええ、もちろんですとも……」



 的場が背中から離れた。私は手に持っていた般若の半面で目元を覆うと、虚空へ向かって飛び出した。




 私はビルの合間の、小さな公園に一つだけあるベンチの下に発煙筒を投げ込んだ。他にもビルの上、ゴミ箱の中や路地裏。いくつもの場所で発煙筒を焚いた。


「ここで最後でしょうか」


 これで通報を受け、すぐにでもヒーローたちが集まってくるだろう。そうすれば、これから襲ってく敵の被害を、最小限に抑えられる。最終的には本体に止めを刺すのが目的だ。


 今度の敵は、核を正確に壊す必要があった。


 少しでもずれれば、周囲を派手に巻き込んで大爆発仕掛けになってるのだが、それを周囲に信じてもらえるだけの信用が、私たちにはなかった。



「守るためです……やるしかない」



 公園の中の空間が歪み、暗い大きな穴が下向きに空いた。



「おっと、お客様の方が早かったですか……」


 ボトリボトリと緑色をしたゲル状の物体が降ってくる。それらは公園内で分裂を繰り返し、瞬く間に増殖していった。



「箱庭より放たれた 自由を打ち込む楔たる光の根源 その一枝たる汝らが一人 カカ 契約に基づき私の言葉を聞け、炎花乱咲」



 地面で炎が噴き出し、花弁を広げるが如く渦を巻いた。それがいくつも現れ、次々にスライムを燃やしていく。


 おそらくは、今頃他の場所も同じ様に、スライムが現れているだろう。


「ヒーローたちが来てくれていると、信じるしかないですね」







 都内のいくつかの場所から煙が上がっていると、通報が入ったのは夜の八時頃だった。

 警察が現場に駆け付け、発煙を確認し悪質な悪戯であると判断するまで、実に早かった。


 この国の幸いは、交番システムにより常に迅速な対応が可能なところにある。

 的場が入手した時間よりも早まってしまった敵の攻撃も、発見したのが現場に来ていた警察なら、その後の対応はスムーズになる。


 警察から要請を受け、警備会社が特別警備部より。ヒーローを現場に派遣したのは発煙筒の確認から、実に五分後の事だった。



 町中にあふれたスライムが人を飲み込んでいく様は、地獄絵図としか言いようがなかった。しかしそれも何度目かになると、スライムへの対処も手慣れたものになる


 ヒーローたちはスライムを炎で燃やし、人を飲み込んでいるなどして、燃やせないスライムは直接核を破壊した。


 ヒーローは一人また一人と増えづ付け、通りを行く人や車はパタリと姿を消した。


 前回は、三時間程でスライムは姿を消したが、その前は実に十時間、朝まで続いた。終わりが見えない消耗戦が続く。


 この国を侵略する敵の正体は未だ掴めておらず、スライムを使った攻撃を繰り返す事から、スライムを初めて架空の生物として描いた作家に因み――ブレナン――と呼ばれていた。



 要請を受け、現場に駆け付けたヒーローたちが、すでにスライムと対峙する私を見つけ、嫌そうに顔を歪めた。


「漆黒の……」


 その彼は私の蔑称を言いかけ、小さく舌打ちした。


 私の蔑称に黒と付くのは、黒衣を纏っているからに他ならない。


 その服は動きやすい様上下ジャージなのだが、それ故か黒が多く、シルエットもどこか忍者を彷彿とさせるのは、太ももから膝あたりまでがダボっと膨らんでいるのに対し、脛を脚絆で締めているからだろう。ちょっとばかりダサいが、これが意外に動きやすいのだ。


 私と、私の恰好を蔑まれても、大して気にならないのは、私が黒を好んで身に着けるのも、戦場で嫌味な態度をとるのも、決して間違いではないからだ。


 初めは何かと傷ついた気分になっていたが、今では、言われても当然という認識しか持たなくなった。


 私はスライムの合間を颯爽と駆け抜け、迂闊にも棒立ちになっているヒーローたちを押し倒した。ほぼ同時に頭上からスライムが降ってくる。


「炎」


 スライムを燃やしながら、大きく溜息を吐いた。


「やる気がないのなら引っ込んでてください。危ないですよ」


「何だと……」


 言い返すヒーローの声が怒りに震える。


「それとも、私が守って差し上げましょうか?」


「くっ馬鹿にするな!」


 こんな事ばかりしてるから嫌われてしまうのだろう。せめて言い方を変えられたとも思うが、戦場に立っている時はなかなか難しい。いつも苛立ったまま、棘のある言い方をしてしまう。





 スライムと格闘する事五時間。中央公園の一角、木々をなぎ倒しながら、それはようやく現れた。


 小型のトラック程はある、実にふくよかな赤ん坊。行く手を阻む障害を物ともせず、四つん這いで進む。


 人間の赤ん坊と同じく言葉を喋らないが、屈託のない笑顔でよく笑い、その度、口からはよだれの様にスライムが滴り落ちた。


 近くにいた幾人ものヒーローが赤ん坊を止めようと試みるが、可愛らしい見た目に躊躇しているようだった。


 人気実力共にナンバーワンのヒーローが、唯一赤ん坊の柔らかな肌に刃を立てた。


 一度目は赤ん坊のゴムのような分厚い皮膚に阻まれた刃も、同じところを何度も切りつけている内に、傷口を深くしていった。


 誰も割り込めなかった。一瞬でも気が散れば、刃を振るう腕は振れ、赤ん坊の皮膚は再び攻撃を拒むだろう。


 他のヒーローたちはせめて、攻撃の邪魔をされない様スライムを排除する以外、できる事はなかった。



 右腕を関節から、左足を根本から削ぎ落した。左腕が肩に皮一枚でぶら下がっている状態まで持って行く頃には、いくらナンバーワンヒーローと言えども、疲労が滲み出るようになっていた。



 肩で息を吐き、乾いた喉が張り付く。左手一本では満足に前に進めなくなった赤ん坊を、鋭い眼光貫いた。



「すごい。さすがは……」


「ここまで追い込むなんて」


「後は核を破壊できれば……」


 地獄のような消耗戦の終わりが見え、希望が差し始めた。無事で立っている者など誰もいない。一人を除いて……


 私は木の上から、その時を待っていた。



 赤ん坊の動きが止まる瞬間を、体力を温存し、ただひたすら待っていた。


 ついにその時はやって来た。残っていた足がひざ下から切り落とさ、赤ん坊は歩みを止めた。うつ伏せに地面に倒れ落ちた。



 もうこれで終わる。誰もが固唾を呑んで、その様子を見守るのに、私だけが拳を握り、木の上から赤ん坊目掛け、大きく飛躍した。



 それまでずっと一人で攻撃を続けていたヒーローも、赤ん坊の背中によじ登ろうとしている。

 核を突き刺そうというのだろうが、満身創痍の身で、自由に核を動かせる赤ん坊の隙を付き、一撃で核を破壊するなど、到底無理であるように思えた。



「な、なんだ!?」


 木の上から飛んでくる私が、誰かの目に留まるのは早かった。黒というのは存外目立つのだ。


「炎よ 私を纏え 貫く刃となれ 」


 体の中が熱く燃え滾り、内側から光を発した。目は血走り、口からは赤く色づく吐息が洩れた。


――ギャァオォォ……――


 私の足は赤子の皮膚と溶かし、奥に隠れていた核を寸分違わず貫いた。同時に赤ん坊が悲鳴を上げる。

 手足を切り落とされても悲鳴一つ上げなかった赤ん坊が、笑顔を浮かべた無垢の仮面を被り続けてた赤ん坊が、初めて見せた本性だった。


 核を破壊された赤ん坊は、強固に思えた体がドロドロに溶け、数秒の内に僅かなゲル状の体組織を残し消えてしまった。


「油断しましたね。無理だと思っていたのでしょうが、残念でしたね」


 私は消えた赤ん坊に対して言ったのだが、それをすぐそばにいたヒーローが、自分に言ったものだと勘違いした。


「いや、大事なのは誰が止めを刺すかではなく、その後どうなるかだ」


 言葉とは裏腹に表情には悔しさが滲み、私への嫉妬が見て取れる。


 すごいな。私は素直にそう思った。


 これまで同じように、一番の見せ場である止めを横取りされた者は、誰もが怒りのまま私を罵倒した。


 ヒーローと言えども会社勤めの彼らは、活躍の有無で貰える報酬に差が生まれ、人気になればメディアに引っ張りだこで一躍有名人になれる。その為、慈善活動と称しつつも、実際は彼らの間には競争社会が出来上がっていた。


 見せ場を奪われ悔しいのも我慢し、そう言える彼は、きっと間違いなくヒーローなのだ。


「そう言っていただけるなら幸いです。では……」


 私は一礼した。周囲から、私への罵声が聞こえてくる。私はそれらすべてを無視し、その場で地面を蹴り、ふわりと空に浮かび上がった。


「後片付けをしないのか?」


 この場で唯一のヒーローが、私を見上げ言った。


「用事があるんです。後はよろしくお願いします」


「それはさすがにクソだろ……」


 思わず漏れた本音に、私は笑うしかなかった。





 私は元のビルの屋上ではなく、現場から少し離れた、小さな古いマンションへ向かった。的場と私が暮らすマンションだ。的場は戦いが終わるのを、いつもここで待っていた。



「まさか、これは……」



 マンションは炎に包まれ、周辺に火の粉と白い灰が舞う。


 私は仮面を外し、騒然とする群衆の中に的場を探した。人が多すぎるのか、またはいないのか、的場は見つからなかった。


「あの!」


 私は群衆の後ろの方で、火事を見ている男を捕まえ尋ねた。


「これはどうしたんですか?」


「ほら、例のスライムがさ、ここの近くにも表れて、火が燃え移ったって話だよ」


「そんな。ここは違うはず……」


「あんた、もしかして、ここに知り合いがいるのかい?」


「え?えぇ、まあ……」


「安心しなさい。中の人はヒーローが来て全員助けてくれたらしい。病院に運ばれた人もいるみたいだけど、ほとんどが無事だって話だ」


 その人にお礼を言ったかどうかも良く覚えていない。


 私は全員が無事だと聞いた瞬間、走り出していた。的場が生きているなら、無事なら、きっとこの辺りで私を待っているはずだ。私は人ごみをかき分け彼女を探した。



「…………」


 ふと、名を呼ばれた気がしたして振り返った。茂みの奥、薄暗がりに誰かを見た気がした。


「そこに……いますか?」


 誰がと言わずとも、彼女なら返事を返してくれると確信していた。


「はい」


 的場は顔が煤け、やはり火元にいたのだろうか、自慢のチュチュは見るも無残になっていたが、酷い怪我をした様子はなかった。

 まるで何もなかったと言わんばかりに、いつもの笑顔でそこに立っていた。


「無事で良かったです」


「私を心配しましたの?」


「もちろんです。心臓が止まるかと思いました」


 的場は私の手を、両手で包み込む様に握った。


「ふふ、可笑しいですわね。私、あなたに死ぬほど心配されるのが、嬉しいみたいですわ」


「揶揄わないでください」


「冗談ではありませんのよ。私、いつも同じ気持ちで、あなたの帰りを待ってますもの」


「いつも……心配かけてすみません」


「ふふっ……」


 的場が笑い、私も顔を綻ばせた。


「ねえ、灰が舞ってて綺麗だと思いません?」


「…………そうですか?」


「はい、まるで私たちを祝福する雨のようですわ。このまま生涯の誓いを立てても良いくらいです」


「ななな何を言って……」


 顔を赤くして慌てふためく私に、的場が悪戯な笑顔で抱きついてきた。彼女の華奢な体は小さく震えていて――――私は彼女の背中に腕を回し、しっかりと抱きしめた。


「私は、病める時も健やかなる時もあなたを敬い、共に助け合い、命ある限り真心を尽くすことを誓います」


 的場が目を丸くして、私を見る。


「……本気ですの?」


「もちろんです」


 的場の目から涙が零れ、私の肌を濡らした。





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