095 突入前
――話はそれから二時間ほど前に遡る。
私の言葉を聞いたヘルは、愉しげに唇を歪ませ、「へえ」と言った。
「帝国支部長アイへの伝手か。しかも王叔父ツェーデルのお墨付きと来る。それならわざわざこうやって話を聞いて、そしてお前のスパイとなったとしても、確かになお釣りが来そうだ。
……まあ、お前の言うことが本当なら、の話だけどな」
目を眇める。「……この期に及んで私がお前に嘘をつくと言うのか」
「信じられるだけの根拠がねェっつってんだよ。つうかお前強かろうが一介の伯爵令嬢で騎士見習いだろ。あの『王国最強』と知り合いだとしても、アイへの口利きをしろと要求できる立場にあるとは到底思えねぇな」
一理ある。
というか、怪しまれるのも当然と言えた。
ジークレインは隣でじっと黙り込んでいる。奴も、私とツェーデルが親しい関係であるというのははったりたと考えていることだろう。
しかし、私がツェーデルを通じてアイにコンタクトを撮れる立場にあるのは紛れもない事実だ。私が蒼月流の使い手であることを知っている師匠は、私が望めば、アイに口利きをしてくれるはずだ――アイがそれを受け入れるかどうかは全く別の話だが。
(それにしても……)
私はちらりとジークレインを横目で盗み見た。
……知らなくていいことを知らせすぎたな。
切羽詰まって闇魔法を使い、さらにこの場で新たなカードを切らざるを得なくなった、しかも、ジークレインのいる場で。
(この世界の私は、アルティスタ・ファミリーとの繋がりがあるかどうか調べようとも、当然に一切何も出てこないが……)
我ながら、――やむを得ないことだとはいえ――ジークレインの前で、不審な行動ばかり取ってしまっている。
こいつは今、私のことをどう見ているのだろう。
「何かお前の言葉を裏付けるものはねぇの? じゃないとノりたくたってノれねぇよ」
「ツェーデル閣下と親しくしている、という証明か? あるいは、アイがお前を幹部として受け入れるかどうかの証明か?
後者はさすがに保証はできない。あの女は誰の口利きだろうと自分の気に入らない人間を下に置いたりはしない」
「そこまでは望んでないって、さすがに。王族一人の口利きひとつで得体の知れない人間を幹部に招き入れるなんて、逆に信用ならねぇよ。口利きで人材登用する王侯貴族とやり方が変わらないだろ」
「……そういう貴族ばかりじゃない。勝手に一括りにするな」
ジークレインが苦言を呈するが、ヘルはふんと鼻を鳴らして柳に風とばかりに軽く受け流した。
「だけじゃァないかもしれないけど、ほとんどはそうだろ」
「……」
「つうか王宮仕えなんてその最たるものじゃねぇか。騎士には貴族しかなれないし、文官は国試を受ければいいことになってはいるけど、名ばかりだ。そもそも国試を受けられる頭がある人間は、それなりの教育を受けた人間だけだしな」
……で、と、ヘルがこちらを見た。
どうなんだ?
俺がそれに乗っかることができるだけの保証ができるのか?
――そう、油断のならない瞳が言っている。
私は目を細め、一歩ヘルに近づいた。
ヘルとジークレインが同時に、一瞬、面食らった表情になったのが見えた。が、構わずに、肩に手を添え――そのまま、顔の横で囁く。
「私の剣はアイの剣だ。東の帝国の居合術――曲がりなりにも芸術家のお前ならば、聞いたことくらいあるだろう。
あの女が、一子相伝の、東の帝国の秘剣を使うということを」
それが私に受け継がれているということ。
それが一体どういう意味なのか、少し考えれば答えは出るはずだ。
と――ぐい、と、腕を引かれる。
振り返れば、眉間に深い皺を刻んだジークレインが、これ以上ないほど低い声で言った。
「近い」
「……悪い」
妙な迫力に気圧されて思わず頷けば、ジークレインは不機嫌そうに舌打ちをした。
「そもそもなんだ今のは。今、あいつに何と言った? まさか俺に聞かせることができないことを――」
「別にそういう訳じゃないが」もちろん、そういう訳だ。「そもそも本当に秘密にしたいことなら、あえてお前の前でこんなふうに言う必要もないだろうが」
「なら普通に声を出して言えば――」
「どういうことだ」
ジークレインの抗議の声を遮るように。
ヘルの堅い声が、その場に落ちる。
「どうしてそうなる。ありえない。お前、自分が何を言ってるのか、わかってるのか? アルフィリアの貴族なんだろう、お前は――」
「……そうだ。調べてもらっても疚しいことはない」
「なら……はったりにしたって度が過ぎてる。そもそも俺はアイを知らねぇんだぞ。お前の主張を信じるとして、真偽を確かめようがない」
「そうだな。だが」
――見ればわかる。
私はきっぱりと明言した。
帝国最速の秘剣。
一目瞭然の言葉の通り――蒼月流を知っているものが技を見れば、一目でそうだとわかる。
そういうものだ。
「……ならどこでそれを俺に見せる」
「おあつらえ向きの試金石があるだろう? ちょうど私たちがやろうとしていたことだ。
私とジークレインを摘発に行かせろ。
あそこには腕利きもいるだろう。手っ取り早く、私の力を見せてやる」




