091 並ぶため
くそ、まずい……!
歪む視界に、思わず膝をつく。
遅効性というわけではないのは知っていたが、ここまで早く効果が現れるなんて。いや、そもそもあの程度の量で……!
薬に慣れていない状態、かつ少女の身体だとこれほど効くのか。想定外だ!
「クローディア、おい、しっかりしろ!」
「ッく……おまえは……これは、あの時飲んだ危険魔法薬の副作用、だ……っ」
「やはりそうか、だが俺はまだ何も……それよりお前だ!」
ジークレインが肩を掴む感触。しかし身体全体がふわふわとして、神経ごと煙に巻かれているかのように、五感全てが茫漠としてはっきりしない。
「まずいな、俺の魔法じゃ胃洗浄もできない……! とりあえず吐かせるか……?」
「いや、待て、」
そんなことを悠長にやっている場合ではない。
意識を失う前になんとか、アレンの命だけは繋がなければ。
朦朧とする中、なんとか崩れかけていた魔法を、気合で立て直す。……これでなんとかなったか?
いくばくかほっとしてアレンから離れた、その時。
――ドクン!
まるで耳のそばで鳴ったかのような心臓の鼓動とともに、魔法力が不自然に身体の中で膨れ上がった。
「ぐあっ……!」
「クローディア!」
(くそ……! どうしてジークレインと私でこうも違う! 薬の耐性がないのは同じだろうが……!)
身体の自由がきかない。魔法力が安定しない。ただでさえ使ってはまずい闇魔法を使っているのに、危険魔法薬の影響で暴走でもしたらどうなる? 想像もつかない。
思い出すのは殺戮だ。攻撃性の高い闇魔法を使って何百人もの民を葬った、革命戦争。
狂ったような雄叫びの中、辺りを覆う黒い闇に紛れる赤い血潮。影に押しつぶされる、肉。
(ダメだやめろ思い出すな……!!)
魔法を構成するのは魔法力と、そして魔法使いの想像力。『昔』の記憶を思い出せば、もし、このまま暴走した時に!
闇色の魔法力が私を取り巻く。
裏路地に闇魔法が広がっていくのがわかる。
顔から、体から、血の気が引いていく。
(許してくれ)
身体の中で、『クロード』が叫ぶのを聞く。
(フェルミナ、ジークレイン――)
「――クローディア!」
「っ、!」
「おい、しっかりしろ! く、なんだ、この、魔法力の濃度は……! お前のものか……!?」
ジークレインの声にはっ、と我に返る。
一瞬、正常に戻った視界に映ったのは、私の身体から漏れ出した魔法力のせいで、暗くなった路地裏。
ぞ、と背筋が冷える。
フラッシュバックした過去の記憶に、飲み込まれそうになっていたからか。
このままではまずい。
闇魔法を暴走させるわけにはいかない。
「ジーク、レイン……私の意識を落とせ……!」
「は!? 何を言って」
「いいからっ、早く……! このまま、では……私たちどころか多くが死ぬぞ……!」
「っくそ! あとで絶対に色々聞かせてもらうからな……!」
そう言捨てるや否や、首筋に感じた衝撃。
一気に暗くなる視界の中、これ以上となく焦ったような顔をしながら、私の身体を受け止めるジークレインが映った。
すまない、という言葉は、届いていたのか否か。
それでも抜けていく力と、消えていく魔法力の気配を感じて、私は少し安堵しながら、そのまま意識を失った。
✴
首筋に手刀を受け、力なく崩れ落ちるクローディアを受け止める。ジークレインの腕の中で、夜空色の長い髪がさらりと音を立てた。砂埃に汚れても、クローディアの黒髪はどこか艶である。
腕の中でぐったりしたクローディアの顔色はひどいもので、四年前のことを思い出して、ジークレインは血の気が引く思いだった。
あの白金色の枢機卿の攻撃を受け、血を流して倒れたまま、ぴくりとも動かなくなった彼女――。
それに。
「クローディア、お前、魔法が使えたのか……」
固く目を閉じたまま動かない少女を、眉を顰め目を細めて見下ろす。
四大属性以外の魔法。王族の光魔法と――深い憎しみを抱いたことのある者の中でも、素質のある者のみに発現する闇魔法。クローディアが瀕死のアレンに使ったのは、そして危険魔法薬のせいで暴走させかけた魔法は、恐らく、闇魔法だ。
……知識としては当然知っていたが、実際に見たのは無論、初めてだった。
自分にはあまり効いていない危険魔法薬が、彼女にこうも効力を及ぼしているのは、彼女の魔法適性によるものか。
「お前、どうして……」
一体何があって、その力を手に入れた?
類まれなる剣技の他にも、こんな力を持っていただなんて。
それに、闇魔法を使えるということは、深い憎しみを心の奥底に抱いたことがあるということだ。
(俺はこいつのことを、何も知らないんだな)
それを目の前に突きつけられたようで、ジークレインはクローディアを抱きとめたままの姿勢で唇を噛んだ。
……アレンを助けるのを躊躇った理由はわかった。この力をジークレインに見せたくなかったのだろう。
最終的に、闇魔法を使ってアレンを救ったのは、少しは自分を信用してくれたからだと思っていいのか――。
だが。
彼女は奥底に隠していることを、ジークレインに触れさせる気はないのだろう。
(……お前に並ぶためには、何をどうしたらいい? クローディア――)
何が足りない。何をすればいい。
強くなるだけでは駄目なのだとしたら。
唇を噛み、手荒いながらもアレンとクローディアを肩に担ぐ。……とにかく、この二人を助けなければ。そして、ヘルのところに戻るのだ。
(あの男……)
初対面のはずだ。初対面の、それも、犯罪組織の男。にも関わらず、クローディアはなぜか奴を非常に気にかけているようだった。
解せない。
……だからこそ、あの男こそ、クローディアの隠し事の鍵になるのではないかと思うのだ。
(知らなきゃいけない)
蚊帳の外にされるつもりはなかった。
彼女の隣に並ぶためにも。




