089 根底にあるもの
アレンがアグアトリッジにやられたのは確か、店の裏手でのことだったか。取引摘発のために、ジャズ・バーの人の出入りを見張るというのが目的としてあったはずだ。
ヘルと話していた時は、久方ぶりに再会した友人との会話で冷静さもあったが、改めて裏手に向かって走っていると、いやでもかつての部下の危機を思い出す。
――潜入のために着た、動きにくい衣装の裾を裂き、駆ける。
アグアトリッジめ、本当になんてことをしてくれたのか。
私がアレン・ツヴェルンを育てるために、どれほど労力を掛けたと思っている。
――【蒼】の隊長をしていたクラウド・リエルは『死んだ』。クラウドを殺して、改めてクローディアとしてここに来るために、一度白紙に戻した――確かに、アレンのことは既に手放したと言ってもいいかもしれない。
しかしどんな形であれ、アレン・ツヴェルンはマークス・ハースやコンスタンティンなど、近衛騎士隊の中でも数少ない信用できる人間だ。多くの人材が集まる弊害として、貴族内派閥が入り組みやすい近衛騎士隊では、いざという時頼れる人間は貴重なのだ。
だのに。
(それを……、くそっ)
やはりアグアトリッジをもっと警戒しておくべきだったのだ。アカデミーを卒業していない子供だからと甘く見た。
……その結果、私は奴の暴挙をまんまと見逃してしまった。
自分の見通しの甘さが不甲斐ない。自然と、アレンを探し回る足に力が篭もる。
「焦るな、クローディア。冷静さを欠くな!」
「わかってる。だが早く見つけなければ隊長殿が死ぬ」
ジークレインが短くクソ、と毒づき、舌を打つ。
「あいつは……アグアトリッジは、一体いつから犯罪組織と繋がってたんだ」
「さあな。だが、この四・五年で第二王子派の貴族は大分立場を弱めた。第二王子の生母ソフィアの死がそれを助長した……アグアトリッジはプライドの高い男だ。生家が没落していくのを見て、第一王子を憎み国を恨み、その結果国に仇名した」
「馬鹿なことを」
隣を走るジークレインが苦々しい顔をする。
そうだな、と同意しようとしたが、私が同意してよい場面でもないような気がした。
奴の背信は私怨と逆恨みによるものだ。かつて『俺』が望んだ革命とは一線を画しているはずだ。――しかし。
(『俺』の抱いていた革命への意志だって、フェルミナを殺されたことへの私怨に、復讐心に端を発していた……)
同種のものだ。同類だ。止めなければとは思うが、詰る資格があるのかと言われればきっと、そうではない。私――『俺』もきっとフェルミナや姉が死ななければ、自分が恵まれていることにすら気づかなかった。
真の意味で国を憎んでいたヘルや、他の仲間とは根本が違う。
私の根底は貴族だ。――嫌になるほどに。
「クローディア!」
「っ、どうした、突然立ち止まって」
「……あそこにいるのは、もしかして」
その言葉に弾かれるようにして、ジークレインの視線の先を見る。
暗く湿った、ジャズ・バーの裏手。黴臭く薄汚れた打ちっぱなしの壁に、背中を預けるようにして地面に座り込み、項垂れているのは。
「アレン……!!」
一目見ただけで、致命傷かそれに準ずる怪我を負っていることがわかった。
投げ出した手足の下まで、血が流れ出している。
「やっぱり隊長だったか! 怪我の具合は」
「……すこぶる悪い。アグアトリッジの言葉は間違ってなかったようだな。背後から一突き……油断しているところを刺されたか」
「脈は!」
「微かに。だが洒落じゃなく弱い。今すぐに医者……いや、光魔法の使い手に見せないと」
即死を免れたのは、アレンが完全に気を抜いていたわけではなかったからだろう。
新人どころか研修生だ。油断はあったのだろう。……が、油断し切っていた訳ではなかった。だからこそ心臓を一突きされるのを、避けることができた。
「光魔法? 治癒の魔法ということか? ……だが、誰がそんなものを使える? 王室の殿下たちならばあるいは使えるのかもしれないが、連絡を取っていたんじゃ遅すぎる」
「ああ……」
しかしこのまま放置すれば死ぬ。
医者に見せるならばこの場を離れて病院に駆け込まねばならないが、そうなればヘルを失い、アグアトリッジを失う。それは未来のためにも絶対に避けなければならない。
(優先順位としては、ヘルを監視下に置くことの方が上だ……)
――たとえ、信頼できる存在を見殺しにしても。
ぎり、と歯を食いしばる。
……ヘルは『革命戦争』の重要人物だ。アルフィリアへの憎しみは根深く――私が革命軍を作らなくとも、『第二のクロード・リヴィエール』とともに国を滅ぼそうとしかねない。
腐っているのは王侯貴族だ。罪もない人々を巻き込み焼き尽くす革命は、間違っている。
だが――。
(延命措置なら、私の闇魔法であるいは……)
治癒はできないが、止血をすれば、闇魔法の応用で強制的に低温状態を保ち、凍結睡眠状態にすることで、延命することは可能かもしれない。
(だが、闇魔法は……)
「……何か、手があるのか?」
ジークレインの声に、はっと顔を上げる。
彼はどこか怒ったような目で私を見ていた。
「お前のことだ。もう助からないことが間違いないなら、仲間の死という感傷に浸らず、すぐにあの男のもとに戻ると言うだろう。アグアトリッジを死なせる訳にもいかないしな」
「それは……」
「だが、すぐにそうしないということは、考えていることがあるんだろ。助けられる手立てが、可能性がある」
ジークレインの眉が、きつく寄る。
悔しそうな、そしてどこか寂しげな表情だった。
「お前は昔から秘密主義だ。なんでもかんでも一人で背負って、誰にも何も明かさない。……俺はお前のことを、何もわかっていない。そこそこの付き合いになるのに。何か大きな隠し事をしているようだと、漠然と感じるだけで」
「ジークレイン……」
「あの、ヘルという男はなんだ? お前に何を齎す? どうして伯爵令嬢がマフィアの内情に通じてる?
……何もわからない」
こちらに伸ばされたジークレインの手が頬を滑り、肩を掴んだ。
「お前は一体何を隠してる。お前の底には何がある? 俺には、フェルミナにも言えないことなのか。
――それほど、俺たちは頼りない存在なのか?」




