086 揺さぶり
更新再開です。
大幅改稿・推敲は別の場所で行うことにいたしました。こちらはこのまま進行いたします!
これからもよろしくお願いします。
「アグアトリッジ、お前……! どうしてこんなところにいる!?」
ジークレインが啞然と叫ぶ。
啞然としているのは私も同様だったが、しかし、心のどこかではやはりこうなってしまったか、という思いがあるのもまた事実だった。
嫌な予感が募る。――いや、これは最早確信と呼ぶべき感覚だ。
アグアトリッジの纏う血の臭いが、嫌な予感が現実となって実を結ぶ確信を抱かせる。
「どうしてだと思う」
「尋ねているのはこっちだ! 答えろ!」
「お前、そんなに吠えていられる立場か? 首元にあるものをきちんと理解しているのか?」
ジークレインが悔し気にアグアトリッジを睨みつけた。
嘲るアグアトリッジの瞳は淀んでいる。ヘルの、どこか澄み切った狂気と憎悪の瞳よりなお醜く。
ヘルが愉快そうに――いや、実際は愉快ではないのかもしれないが――笑い、暗器を私たちの急所へより強く突きつける。狂気じみていると思った。アグアトリッジよりもよほど。
私はフー、と息を吐き出した。
……なんであれ、これだけは聞かなければならない。
「――お前と二人一組を組んでた、隊長はどうした。
一体その血は、どこでついた?」
ジークレインが横で、唾を飲み下す気配がした。
息を詰め、真っ直ぐにアグアトリッジを見る。
そして不意に――けは、と、アグアトリッジが笑った。吐息のような、奇妙な笑い方だった。
「――隊長殿は裏手の方で眠っておられる。
そのうち永久の眠りにつかれるだろうな」
「貴様……ッ!」
ジークレインが激昂も露わに叫んだ。首の後ろに暗器を突きつけられたまま身を乗り出す。
――だが、今の言いようからすると。
「死んではいないんだな」
もうすぐ、ということはつまり、まだ、ということだ。きっとアレンは瀕死の重傷を負い、しかし生きている。
ジークレインも私の言葉に冷静さを取り戻したのか、元の姿勢に戻る。
しかし、くそ、これは私の落ち度だ。
アグアトリッジの監視。言葉にはされていなくとも、それは確かに私に課せられた役目だった。それなのに。
……事実、余裕はない。
今のアグアトリッジの口ぶりからすると、アレンが生きていたとして、このままではまずいのは間違いないだろう。重傷であることが間違いないのなら、このまま放置すればアレンは死ぬ。
ヘルを振り切ることは可能だ。しかし彼は近接格闘に長けている。剣を奪われている今、武器を自在に生み出せる私はともかくジークレインは危うい。そもそも首に刃があるのだ。 捕まえている二人、どちらもが逃げようとして身動きをするのを見逃すヘルではないだろう。
「入学した時からずっと、お前たち2人のことは気に食わなかった。……だから今のお前たちの状況が傑作で仕方ない。お前たちはこれから売られるんだ、俺たちの組織内での地位の向上のために!」
歪んだ笑顔を浮かべたアグアトリッジが、両腕を広げて言った。
ジークレインと二人そろって、怪訝に眉を顰める。
「イグニス、主席の貴様は常に目の上のたんこぶだった。魔法の使えない落ちこぼれのくせに次席の座にいるリヴィエールは尚更だ。……加えて四年前、第二王妃殿下が亡くなってから散々だ!アグアトリッジは侯爵家のままだが貴族社会から孤立し、親戚からは白い目で見られる!
――程度の低い輩に下に見られるほど、屈辱なことはない。……俺は侯爵家の子息!王族の親族! 公爵家に次ぐ上位貴族の息子だぞ!」
「……だからなんだ」
あまりに醜悪。
堪らず、口をついて侮蔑の言葉が飛び出す。
「アグアトリッジの没落は音に聞いている。だが、マリアはお前よりよほどあの件の中心に近い存在だったにも関わらず、自分の力で名誉を取り戻した。今は魔法工学の先駆者の一人で水の監督生――アカデミーの幹部だ。家に縋り続けるお前と違ってな」
「……貴様。まだ立場がわかっていないようだな」
アグアトリッジの粘つくような低い声は、そのまま奴の瞋恚を表しているようだった。
そして、おい、とアグアトリッジが言う。「そこのお前。……そいつを殴れ」
明らかにヘルに向けた言葉だった。
飄々とした態度を崩さなかったヘルが、はじめて片眉を上げた。
消された笑みが不快さを示している。
「は? ……もしかしてそれオレに言ってる?」
「貴様以外に誰がいる、平民風情が」
「……ここまで堕ちてきた奴が貴族ヅラすんの。センスのねえ冗談」
ハ、と嘲笑。
かっ、とアグアトリッジの顔が赤らむ。何かを言おうとして、しかし、ヘルの凍えるような声に阻まれた。
「――俺に命令してんじゃねえ、塵が」
ヘルの殺気で、びりびりと空気が震える。
アグアトリッジが怯んで一歩後ずさった。
……こいつらは行動を共にはしていても、真実仲間ではないらしい。道理だ。
ならば。
「おい」
……まだ交渉の余地がある。うまくいけば、アレンの命も助かるかもしれない。
私が視線だけ後ろを振り返れば、ヘルがこちらを見た。「……なんだよ、オヒメサマ」
「一つ聞きたい。
お前はどうしてアルティスタにしても、アルフィリア南部の支部なんぞに在籍している?」




