083 進退
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――どうすれば『ケツ持ち』のやつらを誘き寄せることができるのか。
恐らく店主は場所を提供しているだけだ。勿論、取引には関わっているが、深くは関わっていない。設立からしてどこかの息がかかっているという訳ではなく、この繁華街の店の『生き方』として、犯罪組織に阿っている。
「……初回からの『客』は前提としていないのかもな」
不意に、ぽつりと呟いたジークレインを見る。
「どういうことだ?」
「ほら……危険魔法薬には多少なりとも依存性があるだろう」
なるほど、と思った。初回の客には出した酒に少しだけ混ぜることで少量の薬を摂取させて、無意識のうちにもう一度来るように仕向けさせる。薬に慣れていないニュービーは盛られたことに気づかず、自分が何故どうしても『その店』に行きたいのかわからない――。
そのまま沼に嵌らせるという寸法か。ありそうな話だ。
それに、初めて見る顔の人間には危険魔法薬は売らない、という決まりを設ければ、少なくとも私達のような飛び入りで参加した潜入捜査官は撥ねられる。
「……有り得そうだな」
仮にそうだとすれば、このまま深追いは危ない。もともと初めて見る顔の客に薬を売る気がないのなら、『危険魔法薬がほしい』という態度をあからさまに見せることも悪手だろう。初見さんには薬のことは誰も話さないはず、なら何故その事を知っているのか――となりかねない。
ただしこのまま引き下がれば取引の摘発は難しい。私としても【マンティコアの涙】の流通がどうなっているのかは知っておきたいところだし、もしアルティスタが関わっているなら詳細を知っておきたい。
何より酒も飲まずに酒場を後にするのは不自然だ。
(……仕方ないか)
私は息を吐き出すと、ジークレインの腕にさらに身を寄せる。ジークレインがぴく、と肩を跳ねさせた。
「っティア、」
「ん、ねぇ、一杯目はあたしが貰ってもいい?」
ジークレインが片目を見開いた。何を言い出す、とそのルビーの瞳が言っている。
やむを得ない事態だ。私は何も言うなと目で制す。
「……いいの? ふふっ、ありがとレインさま♡」
艶めいた笑みを浮かべ、目の前に置かれたグラスを持ち上げ、飲み下す。安酒の味だ。アルティスタに拾われる前、最底辺の裏社会にいた時に飲み慣れた味。
次いで、自分の中の魔力が波打つ感覚。魔力がほんの少しだけ膨れ上がり、腹の底が熱くなる。酒を飲んだ時とは少し違う酩酊感が僅かに思考を覆う。これがこの危険魔法薬の、麻薬としての快感か?
「ンッ、」
飲み干し、グラスを置く。
量が少ないからか効きは悪いが間違いない、危険魔法薬だ。魔力が一時的に強化される感覚が、ほんの少しだがあった。
「ク……ティア」
「おいしかった、ありがとう」
言うと、頭を引き寄せられる。耳許に当てられた口が動いて、「おい」と音を紡いだ。
「……なんの真似だ?」
「ここで何も飲まないってのは不自然だろう。問題ない、後で吐く。それか騎士団に帰った時に治療を受ける」
「大丈夫なのか?」
問題ない、と言うと、顎を掴まれた。不機嫌そうな両眼がこちらを捉える。
「顔が赤いが?」
「は?」
そんなはずがない、と思って眉をしかめそうになり、そこではっとする。
……そうだ、クローディアになってからは、ほとんど飲酒はしていなかった。クロードの身体と違い、この身体は酒や麻薬への耐性はないのだ。
「……酒を飲み慣れていないんでな」
「それでグラス一杯一気飲みしたのか?バカかお前は」
「……」
くそ、これだから。
久々に自分の迂闊さに吐き気がする。頭脳労働は元々そこまで得意じゃないんだ、と、心の中で言い訳しながら軽く唇を噛んだ。
そこで、ジークレインが手を挙げた。
「店主」
何をする気だと思っていると、ジークレインは店主を呼びつけ、「酒を」と言った。
「俺にも一杯、口当たりのいいものを」
「了解だ。それで、そちらの人には?」
「とりあえずは俺のを。美味かったらまた頼むから」
頷いた店主が、胡散臭い笑みを浮かべたままカウンターの方へ戻っていく。
どういうつもりだと問えば、「お前にだけ飲ませて俺が飲まないというのも変な話だろう」と言う。
「……ジークレイン、お前」
「レイン、だ、ティア。……問題ない、俺も後で吐く」
そう言われてしまえば言い返せない。たしかに、ここで退くにしても、深入りするにしても、どちらも酒を飲まねば不自然だ――特に、一見の客に薬を売らないと決まっていた場合は。
「とりあえずここは酒を飲んで、一度店を出る。隊長に一度どうすべきか聞くほうがいい」
「……そうだな」
「それに何か」
嫌な予感がする、とジークレインが呟いた。
「……いやな予感?」
「ああ。どうにも、裏が騒がしいと思わないか?」
裏、というとこの店の裏手のことだろうか。騒がしい、というのは恐らく音のことではないだろう。
続きを促すと、ジークレインは「俺は最近、魔力を使って気配を読む訓練をしている」と言った。知らなかったことで、私は目を丸くした。
諜報などを担当する近衛騎士には確かに、そういった技術を持つ騎士がいるはずだが、ジークレインがその訓練をしているとは知らなかった。
「それで何か……多く、人が集まっているような気がするんだよ。ここの店員というよりは――」
「……」
私は応えず、横目で裏手の方を見る。
……何にせよ、とっととアレンと連絡を取った方がよさそうだ。




