081 潜入②
薬物の吸引に慣れていないニュービーには食事や飲み物に混ぜるのが常套手段、というのは、治安が悪い貧民街や繁華街では国歌より知られている常識だ。ここで妙に高価な食べ物を購入するというのはとりもなおさずそういう意味となる。
「……混ぜ物がされていると」
「驚かないんだな」
酒を見下ろすジークレインが冷静なのをやや意外に思って言うと、まあな、と彼は苦々しい声で言った。
「味の強い茶や酒に毒物を仕込むのは、昔からある暗殺の手口だろ。……それと似てる」
「……なるほど」
ジークレインは長男だ。跡目争いをする兄弟はいないはずだが、四大魔法の名家の継嗣としてそれなりの苦労をしてきたのだろう。
もしくは何か伝え聞いたものがあるのか……いや、今の苦々しい顔からして、経験だろうな。
「天才様は苦労もせずに、と妬まれることもあるだろうが、お前もお前で苦々しい過去があるんだな。私は女で、しかも次女。うちはそういうのからは縁遠い」
「からかうな。……というか、俺にとってはお前に負けたことが一番苦々しい過去だ」
「は? いつお前が私に負けたんだ?」
私の時も『俺』の時も、ジークレインに勝ったことなどほとんどない。いつだって奴は俺の前にいた。
「……まず、入試の時」
「まあたその話か。お前も飽きないな。しかもあれはお前が主席なんだから、私の勝ちじゃないだろう」
「俺は認めてないからな」
「はあ……。しつこい男は嫌われるぞ」
……まあ『俺』が言えたことではないがな。
前世、『俺』ほどジークレインにしつこく付きまとった人間はいないだろう。何度も何度も戦いを挑み、その度に負け、フェルミナに泣きついた。フェルミナも出身のせいで女子とうまくいかずに落ち込むこともあったので、励ましあったりもしたのだが、大体は『俺』がジークレインへの愚痴を言っていたのを聞いてくれていた。
……今思えば、どちらもよく付き合ってくれていたものだ。
フェルミナはいつだって優しく可憐だったし、ジークレインも邪険にはすれど、結局勝負を受けてくれていた。
「……そんな目をするな」
「は?」
すると、なぜかやや不機嫌になったらしいジークレインが低い声で言った。
「嫌われるぞ、なんて言いながら懐かしむような目をしてる。……お前はよくそうやって、懐古するような遠い目をする」
「そうか?」
そうなのかもしれない。
前世の二人――フェルミナとジークレインは、私にとってあらゆる意味で特別だ。
「それが不服か?」
「不服だな」
「何故」
「なんでもいいだろ」
はあ、とこぼす。
私の懐古が不服だと。……よくわからないが、こういう時のジークレインは本当に頑なだからな。
「なあ、クロ……」
「ゴホン」
「……ティア。お前はどうして気づいた?」
ジークレインの質問に、目を細める。……混ぜ物に、ということだろう。
簡単な話だ。家と騎士団を出奔したあと、しばらく貧民街に身を寄せていた。そこでそこそこの時間暮らせばいやでも理解する。
貧民街及びそこに近い繫華街を住処にしている保護者のいる子どもは、気を付けなければならないのは人攫い・人買いの次に薬だ、と教わって育つ。依存性の高い薬物に吞まれてジャンキーと化せば、満足な治療を受けることができない貧民街の人間は二度と戻ってこられなくなるからだ。
貧民街やここいら繁華街に出回る薬物はことさらに悪質であるため、もし一度手を出せばあとはずるずると堕ちていって最後は野垂れ死ぬ――もっとも、そんなことを教わらずに育つ子どもの数の方が多いので、所謂ドラッグをそうと知らずに日常的に摂取し、いつの間にか正常な思考回路を奪われてしまう者の方が多いが。
「兄の知人に、このあたりのことを少し聞いたことがある」
「水の聖騎士様の……憲兵に知人がおられるのか?」
「まあ、そんな感じだ」
嘘だが。……まあ、下手に誤魔化すよりはいいだろう。
私は肩を竦め、そっと周囲を窺う。
……あからさまにではないが、観察はされている。一応メニューは見ている振りをしているが、どちらも振る舞われた酒に手をつけておらず、注文もせず、しかも私がジークレインを誘惑する様子も薄れたから気にされているのだろう。
……ふむ。
「よっ、と」
「っわ、おい……!?」
立ち上がり、ジークレインのすぐ隣に腰掛け、しなだれかかるように肩に凭れかかる。
ジークレインが肩を揺らして目を剥くので、私はすかさず「騒ぐな」と小さく告げた。
「何のつもりだ……!」
「設定を忘れたか? ただ談笑しているだけだと怪しまれる」
「そっ、れは……そうだが少しは慎みというものを」
「下町の女には毒牙と色香はあっても慎みはない、それが生きるすべだからな。そして今の私は下町の女だ」
「お前は減らず口しか叩けないのか……!」
やや赤くなって抵抗するものの、理はこちらにあることはわかっているのか、奴の反論する声はどことなく弱い。
……まあウブな貴族の息子としての振る舞いとしては及第点か。
「いいかジークレイン」凭れかかって、男に甘えるような体勢のまま、声を低めた。「……この酒では動けない。騒ぎ立てれば逃げられる。ただ、この感じ、取引のケツ持ちの組織の者が奥にいる」
「……っわかってる、俺が『本物の客』だとわかれば出てくるんだろう……ああだから近い!離れろ!」
「やだ、邪険にしないで? 照れてるの? ……まあ、そういうことだな。どうにかしてお前を『客』だと認識させなきゃいけないわけだ」
「馬鹿、今のは演技じゃない……!」
どうするか。
メニューに何かヒントが……あるいは、危険魔法薬を売買するために使われる符合でもあるのか?




