080 潜入
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そんな訳で私とジークレインは今、こうしてくだんのジャズ・バーを訪れていた。
ジークレインの腕に寄り添うようにして密着し、この身体になってからこの方浮かべたことのないような、婀娜っぽい笑みを浮かべて店内に入る。
「……っ、」
「もお、何してるの? 行きましょ、レインさま♡」
裏で生きる女というのは強かだ。
特に、男に搾取されるのではなく、男から搾取する立場を得た女は強い。容易く人心を掌握し、武力を持った男すら骨抜きにして自分の前に跪かせてみせる。
私は彼女らにいいように動かされ、破滅した裏の人間を何人も見てきた――私が手本にするのはそんな女たちだ。
……しかし、なんとも動きにくい衣装である。
胸元が大きく開いた、扇情的なデザインの青いドレス、それはいい。下町の娼婦が身に纏うのはこういったドレスだ。……が、太腿に張り付くようなスカート。これがどうにも慣れない。
人魚スタイルとはよく言ったもので、足の可動域が極端に狭い。この状態で蒼月流を使うならば、スカートの裾を引き裂くしかなさそうだ。
「レインさまったら、緊張してる?」
……と、いうか。
先程から動揺をあらわにしたジークレインが動かないのだが、なんなんだこれは。少しは合わせろ。
「……おいジークレイン、何を狼狽えてる。さすがに遊び慣れてない貴族令息を装うにしてもやりすぎは怪しまれる」
「う、うるさい……!」
声を絞って文句を言えば、こちらも声を絞って……と言うよりは、息も絶え絶えにそう返される。
そこまで嫌か、引っ掛けられるカモの役が。
「プライドを捨てろジークレイン。潜入調査では貴族の誇りなどクソの役にも立たないぞ」
「そういうことじゃないっ」
「はァ?じゃあどういうことだ」
「っやめろ顔が近い!」
「近くしなければ小声で話もできないだろうが」
なんだと言うのだ本当に……。
私とてやりたくてやっているわけではない。むしろ、ジークレインが私で、私がフェルミナであればよいのにとすら思う――いや、もちろん、フェルミナにいかがわしい恰好をさせたいという訳ではない。断じて。
……なんであれ、何が楽しくてお前に縋りつかねばならない。自分ばかりが被害者だと思うなよ。
「……なんでもいいから、とっとと席へ行くぞ」
あまり突っ立っていては怪しまれる。私は、密着したままぐい、とジークレインの腕を引く。
今はニヤついた店のものに見せ物にされているだけで済んでいるが、不審に思われれば調査は終わりだ。
「っバカ、引っ付くなクロー、」
「ティア! ……って呼んでね♡」
ジークレイン貴様。打ち合わせして設定した偽名すら忘れたか。
……ダメだなこれは。ジークレインに潜入の適性はないと、のちほどアレンに進言しておこう。
――それにしても、薬臭い店だな。
ジークレインを無理やり席につかせ、酒を頼み、私は不自然に思われない程度に辺りの様子をうかがう。
この様子では危険魔法薬のみならず、依存性のある違法薬物の取引も行われているだろう。師匠の率いるアルティスタ・ファミリー帝国支部では魔法薬はともかく違法薬物の売買はご法度だったので私は詳しくはないが、そういう類のものは臭いが独特なのでわかる。
憲兵の管轄なので首を突っ込む気はないが、さすがは繁華街――私の記憶通りの治安の悪さだ。
「……随分手馴れていたな」
「は?」
幾分か落ち着いた様子のジークレインがぼそりと呟いたのが聞こえ、私は軽く片眉を上げた。「何が言いたい」
「伯爵令嬢として生きてきたはずのお前が、あんな……『らしい』演技ができるとは思わなかった、と言ってるんだ」
「……私の演技が上手いというよりはお前がポンコツなんだろう」
「なッ……、」
言い返そうとしたのだろうが、しかし途中で口を噤むジークレイン。足を引っ張った自覚はあるようで結構である。
「……けど、もう少し……その衣装はなんとかならなかったのか?」
「は? 衣装? ……まあ確かに多少動きにくくはあるな」
「それもそうだがそうじゃない。……露出はもっと控えめにならなかったのか、ということだ」
「露出を控えめにしたら今回の意図にそぐわないだろうが。……それともジークレインお前、意外とムッツリなのか? は、まさかお前がそんなはず……、」
ないだろう、と言いかけて、止まる。
ジークレインが真っ赤になっていたからだ。
「…………お前……」
「っバカふざけるな、俺はただ……ッ!」
と、そこまで言ったところで、ジークレインがさっと口を閉じた。ウェイターらしき若い男が席に飲み物を持ってきたからだった。
そして、ジークレインが運ばれてきたグラスを見て、軽く眉を寄せる。
「……頼んだ酒とは違うようだが?」
「こちら当店からのサービスです。よろしければ」
男が笑い、一礼すると背を向けて去っていく。
……ジークレインが頼んだ酒は、ある程度体内を巡る魔力で酔いや毒を鎮められる貴族ならば、飲んでも酔わないような弱い種類だった。
そして今運ばれてきた酒は、味が濃く、明らかに度数が高いもの。
混ぜ物をするにはうってつけの酒だ。
「……ジークレイン」
「ああ」
「飲むなよ。お前が貴族であることを見越して出された酒だ。
おそらく――依存性のある危険魔法薬が混入されている」




