076 記憶
「いきなり任務か。あの内容で、一体何をさせようというんだか……」
「『特務隊』の名前の時点である程度予想出来ていたことではあるだろう」
それもそうだな、と、ジークレインが臙脂の外套を羽織りながら応えた。話す間にも、彼は足を止めていない――当然、私もカタナを腰に佩いたまま、早足で歩く。
……即時任務に就くための準備をしてこいと、あの場で私たち特務隊Aのメンバーは、一度解散を申し渡されたのだ。そして、訓練のために近衛騎士たち各々の武器――研修生の自前の武器も含め――が安置してある本部奥の武器庫へ赴いた。そうしてそれぞれにとって必要な武器を装備するなり、さっさと集合場所に戻るべく足を動かす。
再集合は十分後と命令された。ならば研修生であろうと、それには必ず応えなければならない。
「……それにしても嫌な名前を聞いたな」
「ああ……」
本部の建物の南にある出口から出て、小路を突っ切っていけば、そう時間をかけずに修練場に辿り着くことができる。近衛騎士隊の本部は建物そのものも大きく、騎士の宿舎も近いため敷地面積は、他の四隊には及ばないと言えどもそこそこ広い。武器庫は無論いくつかあるので、所属する班ごとに使用する武器庫は違うのだが、今年研修生に使え場所は本部の南側に位置している。
そこから修練場までの道も、出るべき出口を間違えるために新人は迷いやすいと有名だが、『前』にしばらくの間近衛騎士隊に籍を置いていた私にとっては慣れ親しんだ道だ。
ジークレインは研修の初日に、既に本部の敷地内にある建物、建物の中にある部屋に至るまでの位置関係を把握したようだった。アグアトリッジを含めた五年生――研修生たちは少なからず迷い、再集合と定められた時間に間に合わなくなるのだろうが、親切に道を教えてやる義理もない。
私はもちろん、ジークレインもあまり他人に興味を抱かない性質だ。協調が必要な緊急事態であればともかく、遅刻は遅刻をする者の責任である。
「またあの危険魔法薬の名前を聞くことになるとは」
ジークレインの言葉に、私は黙って目を細めた。
――【マンティコアの涙】。
つい先程説明された、特務隊Aに課された任務内容は、それにまつわるものだった。
魔力増強、そして使用者の戦闘能力そのものを無理矢理引き上げる効果のある危険魔法薬。アルフィリアでは全面的に禁止されているその魔法薬の密売人が王都に入り込み、近日うちの国の売人と取引を行うという情報が入った――と、ユルゲン・ヴィーマンは私たちに告げた。
特務隊Aはその取引を、いくつかの小隊で分かれた上で、叩き潰して売人を検挙することを、今回の任務の達成目標とした。
「とはいえ、妙じゃないか」ジークレインが、こちらを見ずに呟くように言った。「違法薬物の取り締まりは基本、憲兵の仕事だろ。たしかに司法警察の役目を負うこともある近衛騎士隊が携わることもあるが、中心になって検挙をした前例はないはず。……なのに、今回の任務では憲兵の協力しろということはなさそうだ」
「――まあ、騎士団の上層部が気にしているのは、取引されるのが【マンティコアの涙】であるという点だろう」
言うと。
ジークレインがピタリと足を止めた。
私もそれに倣って足を止めると、ジークレインはその赤い両眼を、どういうことだと言いたげに丸くして――すぐに、眉をしかめてみせた。
「なるほどな、そういうことか」
「ああ。……要は、内輪で処理したいんだろう。憲兵には平民出身も多い」
何せ、4年前に【マンティコアの涙】に関わった王妃の一人が死に、枢機卿までが出張って王政ががたついたのだ。アンディヌス公爵家も、騎士系貴族においてある程度発言権を強めたマリアがいるものの、実質没落したようなものだ。
【マンティコアの涙】は、ユリウスが王太子となったとはいえ、未だ第二王子との確執があるままの王宮にとっては名前すら聞きたくないような代物――トラウマの起爆剤だろう。王政がぐらつく原因を作った危険魔法薬、その事件に平民を関わらせたくないということだ。
アルフィリアの貴族社会は変わらず隠蔽体質で閉鎖的だ。……反吐が出る。
「俺やお前、アグアトリッジがいる『特務隊』なんてものが作られたのもそれが原因か?」
「……そうかもしれない」
私たちは4年前の【マンティコアの涙】事件に関わりが深い。私やジークレインは言わずもがな、アグアトリッジは一連の事件の中心にいた第二王妃ソフィアの甥である。
さらに、【マンティコアの涙】が売買されている中心地は、基本的には共和国の闇マーケットだ。【マンティコアの涙】、共和国と聞いて連想してしまうのはやはり枢機卿だろう。私、ジークレイン、アグアトリッジは全員、枢機卿を目の前にしている。
――とはいえ気になるのは、4年前の騒動で死んだネズミ、サーシャ・デイヴィスだ。
彼女はアルティスタ・ファミリーの作法で自殺した。ならば今回の事件には、アルティスタが関わっている可能性もあるのか?
『我らが王。俺たちは、あんたに着いていきます』
――そこまで考えたところで、不意に。
頭の中に、懐かしい声が蘇った。
集合場所、つまり修練場をすぐ目の前にして再び立ち止まった私を、ジークレインが怪訝そうに振り返り「クローディア?」と名前を呼んだ。
……蘇った声。
それは、かつて私――クロードが率いた革命軍で、俺の右腕を務めていた男の声だった。
(どうして今、お前の声を思い出す……?)
私は、俺は、何かを忘れているんだろうか。




