006 覚悟
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「それで、クローディア。当然、今日の振る舞いには相応の理由があるのだろうな」
……やはり来たか。
長く広い真白のテーブルに、兄と姉、それから自分の3人のみが席に着いている酷く静かな食事の時間。
デザートであるタルト・タタンをフォークで切っていると、食器の音しか聞こえていなかったダイニングホールに、出し抜けに兄の冷たい声が響いた。
このまま平和にハイ、ご馳走様というわけにはいかないとは思っていたが、ここで来たか。食後の紅茶の時間は追及の時間というわけだ――実に兄上らしいことである。
「兄様……」
「黙っていろ、ノエル。お前はクローディアに甘すぎる」
不穏な空気を察した姉が口を挟もうと兄を見て、それをぴしゃりと封じられている。姉は口を噤むと、俯いた。
……兄上はやはり、父上によく似ているな。
私は、水の聖騎士長を引退したのちも、外交官として国のために世界中を飛び回っている父伯爵を思い出しつつ、切ったタルトの欠片を口に放り込んだ。
「聞いているのか、クローディア」
「はい、お兄様」
……と、いう呼び方で合っていたか?
ちら、と兄の様子を窺うと、仏頂面は変わらないが不審に思った様子はない。なるほど、クローディア・リヴィエールは姉上を『お姉様』、兄上を『お兄様』と呼んでいたようだ。
ますますクローディア・リヴィエールが自分なのかそうでないのかわからんな、と思いながらも私はフォークを動かす手を止めて兄の顔を見る。
「では説明しろ。何故屋敷を飛び出し、夕方になるまでうろうろと辺りを歩いていた理由を」
兄が視線を尖らせ、音を立ててフォークを皿に叩きつけた。
その甲高い音と兄の表情に姉が眉を寄せるが、それを気にした様子もない。
「水魔法がほとんど使えない分際で、ロイヤルナイツアカデミーに入学したいとお前はのたまった。しかし今日、お前は水魔法の修練も座学も放り出し、屋敷を出ていった。一体どういうつもりだ?」
「……私は」
考え込むフリをしつつ、視線だけで辺りを探る。
そしてダイニングホールの奥の壁に貼り付けてあるカレンダーを見つけ、今日の日付を確認する。
それを見て、なるほど、と心の中で頷いた。
やはり私は十歳であり、次の年にアカデミーの入学可能年齢に達するようだ。
そして、来年の新入生になるための入学試験が近い。
つまり今の私、クローディア・リヴィエールが置かれている状況は、『魔法が使えることが前提とされた入試の直前にも関わらず、魔法が全く使えない受験生』といったところか。
……ならばただでさえ常から不機嫌な兄が、憤懣やるかたない様子なのも納得だ。
「ごめん、なさい」
しかし、兄を納得させられるような言い訳はなかなか浮かんでこなかった。
屋敷を飛び出した理由は簡単、ただ意味の分からない状況から逃げ出したかったからだ。しかしこの世界が夢ではなく現実だと認識した今、本当の理由を話す訳にもいかない。気が触れていると思われてしまう。
「ふん……やはりお前は我がリヴィエールに相応しくない落ちこぼれだな。あれ程の口を叩いておきながら、結局は逃げ出すか」
「あれ程の口、」
「それも忘れたか? お前は一年と半年ほど前に、魔法が使えない分際で『水の聖騎士になる』と言ったのだ。ロイヤルナイツアカデミーにも最低年齢の十一歳で必ず入学してみせる、とな」
「……!」
息を呑む。
それがあまりにも、聞き覚えのあるセリフだったからだ。
自分も……『クロード・リヴィエール』も確かにそう言った。自分を落ちこぼれと言う兄に反論し、必ず聖騎士になると、そう宣言してみせた。
つまり、クローディア・リヴィエールも、『クロード・リヴィエール』と同じことを、兄に対して言ったのだ――。
「私、は」
意図せず、声が震える。
私は一体、どうすべきなのだろうか。
言葉に詰まりながら、自分の手のひらを見下ろす。
「あ……」
子供らしく、白く小さい手のひらだ。しかし決してふくふくと柔らかいわけでななく、指の付け根には大人の男でもなかなかないような、大きく固い剣ダコがあった。
その硬い手のひらが、かつての自分の手のひらと重なった。
十歳、落ちこぼれの自分は、魔法の才能のなさを認め、ひたすら剣を振るっていた。強くなるために、あの公園の広場で、師とともに。あの時の自分の手のひらも、剣ダコで随分固くなっていたのを覚えている。
剣の修練と筆記試験の対策に励み、入試の直前には師と別れた。
この世界で、かつての師と出会っているのかはまだわからない。だが、
――『クローディア・リヴィエール』も、“私”と同じ努力をしてきていたのだ。
「私、は……」
しかし、今の私が、ロイヤルナイツアカデミーに入ることは、果たして正解なのか。
このまま入学しては、『前回』の、つまり『クロード・リヴィエール』の軌跡をたどることになりはしないか。そうなればきっと、前回のように姉上は死に、フェルミナも命を落としてしまうだろう。今の私は女であるため、近衛騎士隊に入ることは叶わないだろうが、フェルミナは土魔法の使い手だ。彼女が危険である時に一緒にいられないという点では変わりがない。
――死なせたくない。
かつて散々アルフィリアの騎士を殺し、誰かの大切な人間を奪った私が、こんなことを望むのは間違っているのかもしれない。
だが、死なせたくないと思った。
姉と、フェルミナを救いたい。
兄を、この手にかけたりなどしたくはない。親友を、傷つけたくない。
――せめてこの世界では、大切な人を失いたくない。
だがそのためには、どうすればいいのだろう。姉を殺した者も、フェルミナが死んだ原因も、未だ何もわかっていないのだ。
……救いたいならば、知らなければならない。なんとしてでも、彼女らが死んだ原因を。
そして、彼女らの死を、止める。
そうすれば、私はもう、間違いを繰り返すことはないはずだ。革命戦争さえ起らなければ、きっとジークレインが間違いだらけのこの国を、よくしていってくれる。
そのための、近道は、なんだ――?
考えて、考えて、考えて。
その末に、そして私はすう、と息を大きく吸い込み、兄を見た。
「……兄上」
声の震えは、止まった。
静かな呼びかけに。兄が、軽く目を見張ったのがわかる。
「これからアカデミー入学試験までの間は、どうか私の好きなようにさせてください」
「なんだと……? 何を馬鹿なことを言っている」
「私には水魔法の才はない。故に今の修練では強くはなれない」
はっきりとそう言い切ると、兄がきつく眉を寄せた。
「お前に才能がないことなど、言われなくともよく知っている。それでなぜ、未熟者、嫌落ちこぼれに好き勝手をさせることになる? 冗談も休み休み言え」
「私は、私のやり方で強くなるまでです」
「お前のやり方? ……ハッ。くだらん」
忌々しげな表情を浮かべ、そう吐き捨てる兄。
姉はおろおろと私と兄を見比べながら、いつ止めに入ろうか困惑している様子だ。
そういう反応をされるのはわかっていた。だが、兄に認められるのは後回しだ。
――決めたのだ。
私は、この世界でも、近衛騎士隊に入隊すると。
王太子の直属である近衛騎士隊は、他の隊よりも自由度が高く、そして最も騎士団の中で裏社会に近い場所だ。 故に、情報が入りやすい。
姉の死、フェルミナの死の原因に近づくためには、近衛騎士隊に入り、その立場を利用して情報を集めるのが最も得策だ。国を捨てて裏社会に行っても情報は手に入るかもしれないが、リスクが大きすぎる。
そして、男しか入隊できないあの特殊部隊に入るためには、自分が他とは違うということを示さなければならない。
……だから、まずはアカデミーに入り、飛び級で卒業する。
この際、もはや居合い術を隠すことはあきらめる。……ただ闇魔法を使うわけにはいかないため、それを使わずに飛び級卒業を果たすためには、この小さな身体でかつての自分のように自在に剣術を扱えるようにならねばならない。
そのために無駄な時間を使っている暇はない。
水魔法は使えない。そして、今の私がアカデミーで習う座学で四苦八苦するはずもない。
この家で行う修練は、私にとってはなんら意味のないものなのだ。
「もちろん、ただで好きにさせろと言っているわけではありません」
「どういう意味だ」
「私がこの入学試験に落ちれば、リヴィエール家の名に泥を塗ることになってしまうということは、わかっています。兄上がそれを避けるため、私の今年の受験に反対しているということも」
「その通りだな」
「ですから、私も相応のリスクを背負います。今年、私が入学試験に落ちることがあれば……私はこの家を出ていきます。そして二度と、リヴィエールの名は名乗りません」
「ロディ!?」
私の宣言に、姉が思わずというように立ち上がり、悲痛な声を上げた。
兄は眉間に皺を寄せたまま、唇を引き結んで黙っている。
「だめよロディ、何を言っているの!? この家を出ていくなんて、そんな……だってあなたはまだ十歳なのよ!? 兄様、黙ってらっしゃらないで、何か」
「――いいだろう」
「兄様!?」
姉が目を見開く。何か言おうとする彼女を目で制した兄は、ゆっくりと顔をこちらに向けた。
「やってみろ。やれるものならな」
「はい。それともう一つ」
「なんだ?」
近衛騎士隊に入隊するには、力がいる。
故に、居合い術をもっとも有効に使える武器が、早々に必要だ。
「もし、私がアカデミーの入学試験に『主席』で合格することができたなら、東の帝国の『刀』を頂きたいんです」
「カタナ、だと? 何をいきなり言い出す? そもそもそんなものがお前に扱えるわけが」
「兄上。いいでしょうか?」
言葉を遮って紡いだ問いに、兄の眉が一瞬ひくりと動いたのがわかった。
彼は黙ってこちらを睨んでいたが、ややあってから「いいだろう」と同じように言った。
「お前が主席など。それこそさらに、有り得ない」
たとえ天地がひっくり返ろうとも。
そんなことがあるはずがない、と、兄はそう言って目を伏せた。