072 研修開始
「傾注!」
近衛騎士隊本部。
雲ひとつない蒼穹の下、新入隊員の入隊式が執り行われることもある訓練場に響き渡るのは、私のよく知る声だ。
コンスタンティン・ド・アルフィリア。近衛騎士隊の副隊長であり、王族の末席に名を連ねるその男が、磨かれた鎧を纏った姿で仁王立つ。
そして、訓練場を見下ろせるバルコニーに顔を出しているのは他ならぬ近衛騎士隊隊長――王太子ユリウス・ル・アルフィリアだ。真意を悟らせない美しい笑みを湛えたまま、しかし優雅なだけであるという印象を抱かせない立ち姿で、次期王たる風格を漂わせている。
「――近衛騎士隊へようこそ。雛鳥諸君」
風が王太子ユリウスの黄金の髪をさらう。光を受けて眩く輝く金に、私は思わず目を細めた。
――ああ、眩しい。まさしく彼はアルフィリアの光、若き太陽だ。
しかし同時に、私は知っている。光が強ければ強いほど、この国に落ちる影が濃く暗くなるということを。
「本日より、アカデミー最高学年たる諸君らの、実地研修が始まる。諸君は我が国の魔法騎士としての心構えを身につけ――実際に騎士となった時、配属される隊がここでないどこかになろうとも、我が近衛騎士隊にて学んだことをゆめゆめ無駄にすることのないよう、時間を過ごすように。……我らがアルフィリアと、若き才能に栄光あれ!」
おおお、と集まっている五年生たちが興奮まじりの雄叫びを上げる。
私は口を閉ざしたまま、王太子ユリウスを見上げる。王国の光そのものである王子は、こちらの視線には気づかず――あるいは気づいた上で微笑みを浮かべたままであるのかもしれないが――ただ静かに、私達を見つめていた。
*
正式に配属先が決まると、私達五年生はすぐに実地研修先に赴くことになった。
実地研修先では数ヶ月に渡り、正規隊員たちとほとんど同じ任務にあたることになる。……とはいえ、あくまでそれは建前であるため、アカデミー生は雑務を振られることの方が多い。前に『俺』が実地研修に赴いた時は、大した仕事をさせて貰えず、やや鼻白んだものだった。熟練度を思えば妥当な扱いだったと今では思うが、当時は不満を抱いた覚えがある。
…
……ただ、今回が前回と同様であるとは限らない、とも思う。私が『クラウド』であったこともそうだし、コンスタンティンが私を知っているということもそうだが、何より数年前の枢機卿襲来を受け、近衛騎士隊は長く緊張状態が続いている。
研修期間中に何もないといいが、と。……そう思うばかりだ。
「ここに来るまで、フェルミナの様子は変わらずだったな」
「まったく変わらず、というわけではなかったようだが……」
アカデミー生の仮入隊式を終えたあと、水の寮の生徒たちと共に割り当てられた宿舎に向かおうとしていた私を呼び止めたのはジークレインだった。
足を止めて振り返ると、話題にのぼるのはやはりフェルミナのことた。
「私が近衛騎士隊へ行くことにはやはり思うところがあったようだが、面と向かって止める素振りはなかった。お互い頑張ろうね、と言われただけだった」
「そうか……」
フェルミナの配属先は当然、土の騎士隊だ。
平民出身とのことでまたも色々あるかもしれないが、今の彼女ならば上手くやるだろう。土の監督生として、今世のフェルミナは求心力も高い。降りかかる火の粉は彼女自身が、そうでなくても土の同期たちがどうにかするはずだ。
(改めてそう考えてみると、私の知るフェルミナとかなり違いが出ているんだな……)
前回のフェルミナは優秀ではあったが、リーダーシップを取るような剛毅さを持ち合わせてはいなかった。研修先でも多少の苦労をしていたという印象があったが、対して今回の彼女には、心配する必要は何もないだろうと思わせる強かさがある。
「……何が嫌なのか、何があったのか、話す気はないみたいだな」
……お前にも。
ジークレインの言葉に幻聴が付け加えられ、私は軽く眉を寄せた。
しかし、実際、彼女は何も言わない。私が、そしてジークレインが助けになりたいと考えていることはわかっているだろうに、何もなかったように笑顔を繕っている。寮長会議でのことなど、なかったことにしようとしている。
私は足元に視線を投げた。
「無理に聞きたいとは、思わない。だからいい」
本心だった。
もとより、私はフェルミナの心に深入りする気などない。
どうしても傍にいたくなってしまうけれども――本来、私は彼女やジークレインの隣に立っていていい人間ではないのだから。
「……嘘ばっかりだな」
ふん、と鼻で笑ったジークレインが、小さく何かを呟いた。なんだ、と聞き返しても、別に、と返すだけのジークレインは、こちらを見ようとはしない。
私も特に追及する気にはならなかったので、黙ってついて歩くことにした。向かう先は宿舎だろう。
……そして案の定と言おうか、二人で並んで歩くと同学年からも、近衛騎士隊の騎士たちからも、視線が向けられるのがよくわかる。一方は火の聖騎士長の座を継ぐと思われている天才で、一方は研修とはいえ『初めて』近衛騎士隊に配属された女騎士の卵なのだ――当然と言えば当然なのだからいちいち気にしている訳にもいかないが、中には無遠慮な視線を向けてくる者もいて辟易する。
「……そういえば」ふと、足を止めたジークレインが言った。「念の為気をつけておけよ、クローディア」
「なんだ、藪から棒に」
「アグアトリッジも実地研修先に近衛騎士隊を選んだそうだ。同じ水の寮生だから知っているかもしれないが」
ああ、と思い出す。
そういえば、見かけたような気がしないでもない。
「最近は言葉を交わしていないが、確かにいたな。それがどうした?」
「……いや、別に気にしないなら構わないが。あいつは未だにお前を敵視しているきらいがあるから、一応な」
「そうか」
学年が上がるにつれて関わりが薄くなってきても、一年の頃の因縁はまだ残っている、ということなのだろうか。
一応心に留めておこう、とそう思った時。
「クローディア・リヴィエール」
聞き覚えがある声が響き、私は急いで振り返った。
……そこには、久しく顔を見ていなかった、マークス・ハースが立っていた。




