069 フェルミナ・ハリスの動揺
「――どういうことですか!?」
意外なことに。
学園長の衝撃の発言に、もっとも大きな反応を示したのはフェルミナだった。
もちろん、想定していない事態に、幹部陣が私を含め全員驚愕で固まっていた中で、一番早く気を取り直したのが彼女だったとも言えるのかもしれないが――私の目にはどうにも、彼女がこれまでにないほど動揺しているように見えた。
いや、正確には、これまでにないほど、ではない。
前世を含めて、フェルミナ・ハリスがここまで血相を変えたところを、私は見たことがなかった。
「学園長先生、それは……それは一体どういうことなんですか。何故、どうしてそんなことに……」
「ハリス君――土の監督生。驚きはもっともですが、落ち着きなさい」学園長もフェルミナの異変に気がついたのだろう、怪訝そうに眉を寄せながらも、彼女を宥めた。「幹部とはいえ、この場には後輩もいるのですよ。監督生らしい振る舞いを心がけねば」
その言葉を受けて、フェルミナがグッ、と何かを堪えるように唇を噛むのが見えた。視線はせわしなく辺りを彷徨い――何より、こうしている間にもフェルミナの顔色はどんどん悪くなっていっていた。
(フェルミナ……?)
どうして、そうまで近衛騎士隊の女性禁制解除に動揺を示すのだろう。フェルミナは近衛騎士隊の在り方を熱心に論じるようなタイプではなかったはずだ。何か特別な思いを抱いているなど、知らなかった。
これもまた、イレギュラーなのだろうか。
「フェルミナ、どうした。お前がそこまで取り乱すなんて珍しいな」
「ジークレインくん……」
「ただ――驚くのも当然だが、学園長先生の言う通り、議長のお前がその様子じゃ会議が滞るだろう」
「……そうね」
ジークレインの言葉を受け、フェルミナの翠の瞳に、徐々に冷静さが戻ってくる。そして、ややあって彼女は大きく息を吸い込むと、頭を下げた。「皆さん、申し訳ありませんでした」
フェルミナが落ち着いたことで、張り詰めていた空気がようやっと弛緩する。どうしたのだろうという疑問はあるが、皆、とりあえずは大丈夫だと思ったらしい。
……ただ、ジークレインは変わらず難しい顔だ。こちらが見ていることに気がついたのか、軽く眉を上げた彼は、すぐに何か心当たりが?というように目を細めてみせた。何も知らない、と私は首を横に振った。……むしろ、こちらが聞きたいくらいだった。フェルミナの異変は、私にとっては大事だ。
ジークレインは肩をすくめると、仕方なしとばかりに「学園長」と、自ら口を開いた。
「俺――私の実地研修先は近衛騎士隊です。実際に配属される舞台になるかはわかりませんが、関係なしとは言えません。詳しいことを知りたいのですが、教えて頂けるのでしょうか」
「……頷きたいところではあるのですが。生憎私も一線を退いた身ですからね、なんとも。まあ、理由を簡単説明するだけであれば……近衛騎士隊隊長殿の意向、とだけ」
「コンスタンティン・ド・アルフィリア閣下の……」
コンスタンティンが最強の名高い父、ツェーデルの息子であり、今だなお近衛騎士隊はツェーデルの影響が強く及ぶ部隊だということはそれなりに知られていることだ。今の言葉で、今回の決定にはある程度ツェーデルの意向も鑑みられている、ということを、この場にいる者は正しく理解したに違いない。
(と、いうか。……ある程度どころか絶対、間違いなく、あの人の仕業だろうな)
ツェーデルの力押し。そうとしか考えられない。
学園長がひたすらに苦々しい顔をしていることからも、もはや明白だろう。……言い換えるならば、私が原因だ。 もちろん、近衛騎士隊の女性禁制を保つのに現在強い理由が存在しないのも理由ではあるだろうが。
……たしかに今のままでは、私は上手く動けない。女であるということを隠しながら活動するのでは、動きの幅に制限が出来てしまう。しかし女性が近衛騎士隊に入れることになったのなら、状況は大きく変わる。
幸い――いや、こうなると敢えて、と言うべきなのかもしれないが――私は他の隊員とは関わりがあまりない。男として活動している今の私を死んだことにしてしまえば、クローディア・リヴィエールは大手を振って近衛騎士隊に所属できるだろう。勝手知ったるマークス・ハースやコンスタンティンが騎士隊にいるので、新人でもある程度の自由は保証されるだろう。
助かるには助かるのだが――。
(なんだろうな……この……なんとも言えない気持ちは……)
なんというか、申し訳なくなってくる。我が師がすまない、と。
ツェーデルが勝手じいさんであることなど、もちろんコンスタンティンはいやというほど理解しているだろうけれども。
何より、革命軍の頭として人々を殺して回った過去のある私が、今更罪悪感を抱くなど、なんともおかしい話だが――。
「ということは、学園長先生。クローディアが近衛騎士隊を研修先に選ぶことができるということでしょうか」
「ジークレイン!?」
話が飛びすぎだ。
いきなりのジークレインの言に、私は思わず目を剥いて声を上げたが、ジークレインはこちらに視線を向けようともしない。おい。
「ちょっと待て、ジークレイン。というか、そもそも私がどこを研修先に選ぼうが、お前には関係ないだろう」
「先程も言ったが、お前が水の隊に行っても意味がない。騎士団全体の質を上げるためにも、相応しくない隊で時間を潰すのは無益だ。俺はアカデミーの今期の幹部として、言うべきだと思ったことを言っている」
「無益かどうかは――」
「わからないなんて言わせない。水の魔法が使えない水の騎士がどこにいる?……お前は強い。女性禁制が解かれた以上、自分に合っているのは近衛騎士隊だということもわかっているだろう」
「それは……、」
言い返せなかった。事実だからだ。
……というか、そもそも既に近衛騎士隊に所属しているので、なおさら。
私が言葉に詰まったタイミングで、学園長がため息混じりに「そこまで」と告げる。
「……女子実習生の受け入れの可能性はない、とは言えません。ただなんとも微妙なところですので、近衛騎士隊の女性禁制解除に関する研修先の変更に関しては、教師陣の決定を待つように。……まったく、連絡事項を伝えるのに随分と時間がかかりましたね」
「う……」
会議を踊らせた自覚はあるのか、ジークレインが黙り込む。
私はうまく収束した話にほっと胸を撫で下ろし――そこで、ハッとあることを思い出した。……そうだ、フェルミナ。
「……フェルミナ」
視線を向けるが。
彼女は変わらず青い顔をしながら、じっと虚空を見つめて、黙り込んだままだった。




