066 寮長会議
「……さて、そろそろ行きますわよ」
「は? どこへ」
徐に立ち上がったマリアを訝しげに見てそう言うと、彼女はあからさまに眉を顰めてこちらを睨めつけた。紫水晶の瞳の中で、ぐるりと感情が渦巻く。怒りが爆発する寸前の、一瞬の『溜め』。それに気が付き、まずい、と頬を引き攣らせる。
そして次の瞬間、「何を言っていますの!」と案の定、マリアの怒号が落ちた。
「数日前から言っていたはずでしょう!貴女本当に話を聞いていませんのね、そのやたら固い頭蓋の中には何が詰まってらっしゃるの!?」
「お前も令嬢らしくない直截な罵倒に慣れてきたな」
「お黙りなさいな」
マリアは寮長室の執務机に置かれていた紫檀の扇子を手に取ると、カン、と甲高い音を響かせ、扇根を机の角に打ち付けた。こういうところは相変わらずだ。彼女が薬缶であれば、さぞ短時間で湯が沸くことだろう。
自分が責任であることを棚に上げてそんなことを考えていると、苛立しげな声でマリアが「寮長会議ですわ」と続けた。
――ああ、寮長会議か。
「……そんなものもあったな」
呟けば、他人事じゃないんですのよ、とマリアが目を吊り上げる。
寮長会議はその名の通り、四つの寮の監督生が集まる会議のことを指す。ひと月に一度、あるいはふた月に一度開催されるその会議には、基本的に各監督生の寮弟が同行するしきたりとなっている。寮にて絶大な権限を持つ監督生にのみ適用される寮弟制度は、自分専用の補佐を得ることが出来るというもので――要するに、監督生の寮弟は基本的に次期監督生ということになる。
しかし今期の監督生たちは四名中二名が寮弟を作っていない――マリアと、なんとフェルミナのことだ――ため、その二人は寮長会議に一人で出席している。
の、だが。今回ばかりは大きな議題が設定されているということで、各寮二名が出席するようにと学園長からお触れが出されたのである。
「……何も私でなくて、四年生を連れて行けばいいものを」
「今回の議題は、どちらかと言うと五年生が中心になるものですわ。寮弟でない四年生を今回の寮長会議に連れていく意義はありませんわね」
まあ確かにそうか。
確か、今回の寮長会議の議題は、五年次に予定されている研修についてだったはずだからだ。
――二人で寮長室を出て、水の寮の寮舎から会議室のある本校舎へ向かう。
「アンディヌス先輩、こんにちは!」
「ええ、こんにちは」
「クローディア先輩、ごきげんよう」
「ああ」
すれ違う後輩たちの挨拶に軽く応えつつ、歩を進めていく。
愛想をよくしているわけでもないのに、後輩たちは幹部でもない五年生のことをよく覚えている。……そんなに悪目立ちしているつもりはないのだが、やはり魔法が使えない元次席は目立つのだろうか。
「あら」
会議室を、すぐ目の前にしたところまで来たところで。
ふとマリアが――微かにだが――ピンと気を張ったことに気が付き、わたしは視線を上げる。……マリアがこういう空気になったということは。
(ああ……)
案の定、廊下の向こう側からジークレインが歩いてきていた。寮弟らしき四年生を連れて。
向こうもこちらに気がついたらしく、歩みを止めないながらも片眉を上げた。一年の途中から妙に仲の悪いマリアとジークレインは、目が合うと空気の温度が下がる。
「……ごきげんよろしゅう、ジークレイン様。寮長会議で顔を合わせるのはお久しぶりですわね?」
「お変わりないようだアンディヌス公女」
穏やかに会話を交わしているように見えるが、なんとも不穏な空気である。ああ、陽だまりのフェルミナ、早く来てくれ。もしくは風の監督生でも可。
(なんというか、あいつらを見ていると、昔の私とジークレインを客観的に眺めているような心地になるな)
……いや、正しくライバル関係となったクロードとジークレインはあそこまで殺伐とはしていなかったか。
何にせよ空気が悪くなるので、仕方なく二人の間に割って入る。
「そこで火花を散らしてないで、とっとと会議室の中に入るぞ、マリア、ジークレイン。通行の邪魔だろう」
「何を貴女他人事みたいな顔で仲裁してるんですの」
「他人事だろうが……」
なんで当事者みたいな扱いを受けなければならないのだ。意味不明な物言いをするな。お前たちがいがみ合っているだけだろうに。
「全く…………、どうしたジークレイン」
そして、ジークレインはこちらを見て黙り込んだままだ。
なんなんだ一体。最近のジークレインは挙動不審だ。私の知っている十六歳のジークレイン・イグニスは何か文句を言えば、嫌味も添えた上で百倍にして打ち返してきたが、こちらのジークレインはそういうこともない。本当にどうした。
フェルミナへの対応しかり、ジークレインは女子に優しい傾向があるので、そのせいか?だがマリアへの対応を見る限り、女子全員に対してそうしているという訳でもあるまい。
ふむ……?
私は眉を寄せ、ジークレインの顔を下からじっと覗き込む。すると、ジークレインは唇を引き結んだ仏頂面のまま一歩後退った。
……本当に、なんなんだ、まったく。




