065 責任
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『弱い。嗚呼、弱いな。憎しみだけが己を動かす源か。周囲も何も見えていない盲が一体何を為そうというのか、甚だ疑問だな。滑稽ですらある』
私の――『俺』の第二の師匠・アイは横暴と不遜が服を着て歩いているような女だった。
だが彼女は目が醒めるほどに強く、人の心を掴む孤高のカリスマを持っていた。
菫色がかった真っ黒な瞳には温度はなく、表情はまるで東の帝国の演劇で使われるという、能面という名の仮面を被ったように色がなかった。木剣で強かに急所を打ち据えられ、血を吐き、冷たい地面に転がされている俺の背中を踏みつけて、彼女はそう言って淡々と俺を罵倒した。アイという女に、容赦の二文字は存在していない。
敬愛する姉を殺され、最愛の少女を殺され、王侯貴族諸共アルフィリアを恨んだ当時の俺、クロードは、そうやって転がされても下から彼女を恨みがましく睨みつけたものだった。そうして、こちらからの視線を受けたアイの眼差しは一層冷たく凍えるようなものとなり、彼女は『この無能が』と更に俺を罵るのだ。
『何度言えばわかる? 憎悪に狂いたいなら理性を保ったまま狂え。何、できない、だと? ……我の前で、できぬなどという愚かしい言葉を吐くとは度胸があるな。覚悟とやらはどうした腰抜けが』
『一時の感情に支配されるなど、馬鹿のすることだ。獣のような思考回路に陥るな。飼い慣らせ。この我の剣を受け継がんとする者が、弱者で在るつもりか? まったくもって許されんな。死にたくなければ立て』
アルティスタ・ファミリー帝国支部の支部長、アイ。
刀使いで、最速の剣術を自由自在に操る。俺、否、私に蒼月流抜刀術を伝授した鬼女は、まさしく最強の剣士だった。
彼女のことは今でもよくわからない。帝国支部の頭目であったのだから、恐らくは東の帝国の出身だったのだろう。顔立ちからもそうだと予測ができた。
しかし、彼女の素性は全く不明であると言ってよかった。
明らかに当時二十歳にならんとしていた『俺』よりも老成しているようであるのに、彼女は艶々とした緑なす黒髪を靡かせる、年端もいかない少女の風貌をしていた。若返りなど魔法でも不可能であるのに、しかし見た目通りの歳には到底思えない。冷徹と不遜そのもの、といった少女の姿をした怪物は、存在からして不可思議な人間だった。
だが、そんな不遜の化身であった師は、『俺』がアルティスタを離れると聞いても、特に何も言わなかった。
それだけではない。俺は革命戦争を起こすため、帝国支部から何人か引き抜こうとしていたにも関わらず、だ。
俺の事情――復讐など猿の毛ほども興味はなく、とりあえず蒼月流を伝えてもいい程度の使い手であったからこそ、育てた。そういう風であったから、まさかアイに『好きにしろ』と言われるとは思っていなかった。俺は、あの時、師と殺し合うことすら、いっそそこで無惨に殺されることすら覚悟していたのに。
『何もかもがお前のものよ。復讐を果たす達成感も――これから人を殺す罪も、後悔もな。
自由に付随する責任も全て背負わんとする弟子を止めるなど、この我がするものか』
アイはそう、大層面倒臭そうに言った。
そうして、俺は、信頼できて腕も立つ数人を連れて、彼女の下を去った。
それからずっと、彼らと共に、アルフィリアの王政を斃すために、修羅の道を邁進したのだ。
なぜなら皆――アルフィリアを憎んでいた。
クロード・リヴィエールの『仲間』――革命軍の幹部は、殆どがアルフィリア王国の貧民街か平民階級の出身だった。幹部には一人だけ王侯貴族に嫌気が差した元高位貴族がいたが、幹部のほとんどが虐げられてきた者たちであり、扇動したのもそういった人々だった。虐げられた怒りに、憎しみに、悲しみに呑まれた数千数万の単位の人々を、彼らを飲み込んでうねる感情の渦ごと国王を殺せと旗を振った。王国の未来のためと銘打って――心のどこかで無意味だと、分かっていながら。魔法を使える騎士たちに、徒手空拳で平民たちが勝てるはずないだろう、と。
憎悪に囚われ視界を見失い、そのまま大罪を犯した俺たちは、アイの言う通り確かに確かに弱かったのだろう。
それでも『俺』たちが諦めなかったのは、憎かったからだ。この国が。
この国の、腐敗した権力者たちが。
『俺たちはお前についていく』
『キミならこの国を変えられる』
『伯爵子息とか関係ない。僕らは同じ志を持ってる。そうだろ?』
アイの弟子となる前からの付き合いのやつも、アルティスタに居ついてからできた仲間もいた。
ジークレインやフェルミナとはまた違う、『俺』の共犯者――。
(この世界では、革命戦争は、起きるんだろうか)
かつての世界での戦争は、『俺』――クロード・リヴィエールが始めた。
しかし恐らくかつての『仲間』たちは前世同様、この国を憎んでいるだろう。奪われ虐げられ、その果てに選んだのが剣を掲げることだったのだから。
クロード・リヴィエールが煽らずとも、火種は最初からあった。
火を熾したのが、たまたま『俺』であったというだけで。
バタフライエフェクトが起きている。
もはや、未来は予測がつかない。
だからこそ、私ではない誰かが――たとえば、かつての戦友が火を熾そうとするのなら、私は止めなければならない。
私には、その責任がある。




