063 五年生
第二章(五年生編)開始です。
――王都の郊外。
中心街から少し外れ、治安の悪いストリートが多くなるダウンタウンの一角。そこは下級貴族や富裕層も買い物に訪れるが、裏路地にはストリートチルドレンや孤児たちも住み着いているというような、そんな場所である。
……そして、昼間でありながら、どことなくアンダーグラウンドな空気を漂わせる通りの居酒屋、その三階にて。
少し離れたところから、どうん、と大きな爆発音がしたのが耳に届き――私は閉じていた目を開けた。そして手にしていた望遠鏡を覗き、そこから見える光景を確認する。
隣の通りに止められている馬車が大きく炎上していた。なんだなんだと野次馬が集まってきている。
私はすぐさま、部屋後方にて構えていた細身の杖を下ろした部下を振り返り、告げる。
「――炎上確認。離脱するぞ」
「ハッ」
アカデミーを卒業したばかりの若い部下――アレン・ツヴェルンは僅かに緊張を滲ませながらも短く首肯を返し、持っていた木の杖を自身の火魔法で燃やした。次に持参した着替え――富裕層のお嬢様の侍従といった恰好だ――に身を包む。
部下が眼鏡を掛けたのを確認すると、私も晒しを巻いて潰した胸にさらに詰め物をし、一つに纏めていた髪を下ろした。そして下級貴族の令嬢然としたワンピースに身を包むと、自分も同じように眼鏡を掛ける。付けていたチョーカーを外し、ポケットに突っ込む。ワンピースは喉元までが隠れるデザインになっているので、喉仏の有無で性別は判断できないだろう。
「……いつみても隊長の女装は鮮やかですね」
「軽口を叩いている暇があるなら行動しろ」
「うわ、声も凄いな……女声そのものだ」
的外れな感心をしている部下に溜息を着くと、持ってきていた楽器のケースを押し付け、とっとと階段を下る。あわてて後ろからついてきているのを確認すると、店の裏手に止まっていた、なかなか上等と言えるような二頭立ての馬車に乗り込んだ。御者が前を向いたまま、少しこもった声で言う。
「完了を確認しました。お疲れ様です、クラウド隊長」
「ああ。出してくれ」
言うと、馬の嘶きとともに、馬車が走り出した。
王都の中心街や貴族街に比べ、数段ガタガタとした道に車体が揺れる。石畳の、盛り上がった石を踏むたびに大きく上下に揺さぶられることに眉を顰めていると、ふと道の向こうに人影がいるのが見えた。
道を塞ぐように立っているのは、憲兵の制服を纏った数人の男たち。
「検問か。……どこから情報が漏れた?」
「近衛騎士隊の協力者にネズミがいたのかもしれませんね。それか今回僕が爆破したターゲットの所属組織が何かしたか……」
「可能性として濃厚なのは前者だな。……まあいい、偽装は打ち合わせ通りに」
「習い事帰りの富裕層の娘とその従者、ですね。了解です、隊長」
フゥ、と息を吐き出しつつ、私は楽器のケースを膝の上に載せる。
――女装がそれらしいのも、声が女のものにしか聞こえないのも、当然だ。近衛騎士隊は女性は禁制ということで、その先入観から気づかれることはないが、
生物学上、私は正真正銘の女であるのだから。
*
「まァた休日で何か『遠出』をしてきたんですのね。貴女、最終学年の女生徒としての自覚はありますの? 隈がとんでもないことになっていますわよ」
「……放っておけ」
――ロイヤルナイツアカデミー、水の寮の寮長室にて。
紫水晶の目を吊り上げ、苛立たしげな声を上げるのはマリア・アンディヌス。
アンディヌス公爵家の三番目――否、今は二番目の公女であり、今年の水の寮の監督生である。
私の言葉を聞き、マリアは更に眦を吊り上げた。「放っておけ、ですって?」
「わたくしは、『下級生に示しがつかない』と申し上げているのですわ。わたくしたちは五年生。しかも女なのだから、下級生の貴族令嬢にも模範となるような生徒であらねばなりませんのよ。それをわかっていて? それに……」
貴女が、休日に何をなさっているのかは存じ上げませんけど――とマリアが椅子に深く腰掛けてこちらを睨みつけた。
「貴女の男装を手伝っているのはわたくしであるということをお忘れなく。その男声を出すことができるチョーカーを作ったのはこのわたくしなのですから!」
「……」
それを言われると弱い。
かつては高飛車で高慢ちきであった――否、性格だけ見ると変わらずそうだが――マリア・アンディヌスは、この数年で最も大きく実力をのばした生徒であった。
一年次の、危険魔法薬の件が無罪放免になってからというもの、勉学に精を出し始めた彼女は、魔法を応用した技術の分野で頭角を現し始めた。私が男装に利用しているチョーカーも、水魔法を応用した変声器という名の彼女の発明品だ。
マリアの騎士としての実力及び魔法の腕は、寮の同期の中でも中の上から上の下と言ったところだが、その大学レベルの研究内容が認められ、彼女は五年生に進級してすぐに監督生となったのである。
そして、彼女は私に事情は何も聞かず、私にこういった発明品を融通してくれる。何を恩義に思っているのかは知らないが、利用させてもらえるものは利用させてもらっているという訳だった。
姉を、そしてフェルミナを救うためには、近衛騎士隊に籍を置いていた方がやりやすい。
十六歳となり、体付きから男装がきつくなってきた私からすると、こういう道具はたいへん有用だ。
「……ま。ジークレイン様に先立って頼られるのは悪い気はいたしませんけれど」
「何か言ったか?」
「いいえ?」何か呟きが聞こえたので尋ねてみれば、マリアは唇の端を吊り上げて笑った。「ただ、水面下での争いは継続中ということですわ」
「……何の話だかさっぱりわからないな」
私は唇を歪める。




