閑話1 とある公女の宣戦布告
――初めて彼女を認識した時、覚えたのは反発だった。
栄えある、ロイヤルナイツアカデミー入試首席。わたくしたちの代は天才児と名高いジークレイン・イグニス様だった。火魔法の名門イグニス伯爵家のご長男で、強く、見目麗しく、そして聡明。
我がアンディヌス家には家格こそ数段劣るが――騎士系貴族としては、火のイグニス、水のリヴィエール、風のヴェントゥス、土のスケアクロウの四伯爵家の影響力は、侯爵家を凌ぐどころか公爵家に準ずると言えるほど。
だからこそ、わたくしは、彼を一目見た時、彼こそわたくしの隣に立つに相応しいと思った。将来王族の外戚となる、アンディヌス公爵家の令嬢たるわたくしが嫁ぐに値する、と。
入学式には何故か、『落ちこぼれ』と有名であったリヴィエール家の次女が彼の隣、次席の席に着いていた。けれどその時、わたくしは彼女など眼中になかった。認識すらせず、気にも留めていなかった。ジークレイン様と同じ四大名門の娘とはいえたかが伯爵令嬢、しかも後継ぎですらない、次女。公女のわたくしにとっては取るに足らない存在だ、と、無意識に考えていたのだ。
……けれどそれは、彼女が新入生歓迎会の前に、ジークレイン・イグニス様と仲睦まじく話しているのを見かけて、すぐに変わった。認識外の存在から、目障りな存在となった。
ろくに魔法を使えぬ落ちこぼれのくせに。
わたくしに遥か劣る家格の家の娘のくせに。
わたくしでさえジークレイン様の視界に入っていないのに、不正で次席となったにしか思えないクローディア・リヴィエールが、彼と楽しげに話している。気に入られている。許せない。どうしてあんな子が。
……わたくしは彼女が憎たらしくて仕方がなかった。
だから、お姉様の言う『願いの叶う薬』を使って、クローディアに恥をかかせてやろうとした。魔法も使えないのに次席であるという不正を暴き、わたくしがこの手でジークレイン様の目を覚まして差し上げようと思った。
……それが、違法の危険魔法薬である、【マンティコアの涙】だったとは知らずに――。
『……それでは君は、危険魔法薬をそうとは知らずに、服用したということだな』
『仰る通りにございます。コンスタンティン・ド・アルフィリア閣下』
そして、近衛騎士隊本部にて。
此度の一連の騒動における聴取のために召喚されたわたくしは、発された問いに背筋を伸ばして答えた。
わたくしが召喚を受けたのは、共和国枢機卿の襲撃事件から暫く経ってからのことだった。……恐らく、お姉様がユリウス殿下に正式に婚約破棄を言い渡されて、すぐのことだっただろうと思う。
お姉様もわたしと同様、【マンティコアの涙】のことは知らなかった。しかし、大量に所持しさらに何度も使っていたということで、お姉様は家を追放されて修道院に行くことになった。お父様曰く、危険魔法薬使用にあたっての療養の意味もあるらしい。
お姉様に【マンティコアの涙】を渡していたであろう第二王妃殿下だが、今回の件への殿下の関与は証明されず、また襲撃事件との関係性も不透明らしい。コンスタンティン閣下の口ぶりから察するに、第二王妃殿下はきっと、全てをお姉様に押し付けてお逃げになるつもりなのだろう。……もちろん、今回の件で騎士団から目をつけられた殿下が、今後王妃としてうまくやっているかは別の話だろうけれども。
……でも、よかった。
お姉様は死なずに済んだ。
とはいえ、だ。わたくしもアカデミーを辞めさせられ、平民の身分に落とされるかはともかく、きっとお姉様と同じように修道院に入れられることになるだろう。そう思っていた。
それなのに。
『マリア・アンディヌス。裁定に基づき、拘束を解く。危険魔法薬を投与したことを考慮し、必ず治療は騎士隊本部にて継続的に受けるように』
……わたくしは、見逃されたのだ。
被害者であるとして。知らなかっただけであるとして。
そして、わたくしがクローディアに危害を加えようとしたことは、『なかったこと』になっていた。ただ好奇心で薬を誤って使っただけだ、と。それに関係する被害は何も出ていない、と。
……その処分にはもちろん、公爵家からの圧力もあったのだろう。我がアンディヌス家は、王族であれどそう簡単に排斥できない規模の名家だ。
けれどまさか無罪放免になるとは思ってはいなかった。
『やれることはやってやる』
公女を前にしているというのに、不遜にそう言い放つ彼女――クローディアの姿を思い浮かべる。わたくしを『お前』と呼び、王家の方々のことすらどうでもいいとすら思っているその態度には腹が立ったものだが……、クローディアがきっと助けてくれたのだ。そう約束してくれたから。
彼女は普通の少女ではない。わたくしは今回の騒動を終え、アカデミーに戻ってから、それをようやく身に染みて理解した。実感した。次席とか、落ちこぼれとか、そう簡単に語れる存在ではないのだと。
わたくしは襲撃事件の現場からはすぐに逃げたので、その時の詳細はわからない。けれど、我らが監督生たるアレクシス・ヴォジャノーイ様や、ソフィア殿下の甥御であるウィンダム・アグアトリッジ様の言によれば、彼女はあの場に残っていたらしい。
――ウィンダム様はまだ、クローディアを『落ちこぼれ女』だと思っているようだ。認めたくないのだろうと思う。確かに、彼女が魔法において『落ちこぼれ』なのは間違いないだろう。
けれど。きっと今回の事件も、クローディアがなんとかしたのだ。わたくしはそう確信する。
……クローディアは気づいていないようだが、ジークレイン様はあの事件以来、今まで以上に彼女を目で追っている。
彼を好ましく思っているのは今でもそうだ。素敵な殿方。
でも今のわたくしはジークレイン様への好意以上に、この思いの方が強い。
だからこそ本部からアカデミーに帰ってきて、ジークレイン様にお会いする機会があるとすぐ、わたくしは彼に話しかけた。
「ジークレイン様。突然ですが、よろしくて?」
「……なんでしょうか」
淡々とした、冷ややかな対応。今までのわたくしの振る舞いを見ていれば当然だ。
けれど今はそんなことはどうだっていい。
「決めましたの。わたくしは、クローディアに助けられました。……ですから。きっと将来、クローディアに一番に頼られるような存在になってみせますわ」
「……は?」
途端、ジークレイン様の視線が、尖る。
冷ややかな目が、がらりと色を変える。そこあるのはわたくしの言葉への苛立ちと、それから――嫉妬。
やはり彼は、クローディアの役に立ちたいと……否、一番になりたいと、無意識に思っているのだろう。
ギラギラと怒りに燃える瞳を見て、わたくしはなんだかいい気分になって……フフンと鼻を鳴らしてみせた。
「負けませんわよ」




