062 予感
「……なんですって」
「事実だ。近衛騎士隊に正式に連行される前に、監視していた教員の隙をついて奥歯に仕込まれた毒物を呑み、死んだ」
「……」
最悪だ、と思わず舌打ちをする。……これで貴重な情報源が一人消えてしまった。
奥歯に毒物を仕込んでいたなど、ただの子爵令嬢の考えることではない。裏社会で生きてきた者か、諜報員として教育を受けてきた人間くらいにしかない発想だ。
「彼女は、一体なんの毒を吞んだのですか」
「東の帝国の付近に住む生物から抽出して作った神経毒だ」
「神経毒、ですか――」
意図せず、声が苦いものとなる。……馴染みのある自害方法に、聞き覚えのある毒物。
表情でこちらの考えたことがわかったのか、ツェーデルが灰青の目を細めて「ああ」と言った。
「アルティスタ・ファミリーの構成員が自害の時によく使う手口だな」
「……ええ」
そうだ。
私の、蒼月流の師たるアイが支部長を務めていた東の帝国支部でも、構成員は憲兵や警察に捕縛された時のために、自害用の毒物を懐や身体のどこかに忍ばせているのが常だった。アイは忠誠心を強制するようなタイプではなかったが、いざという時組織を売らないようにと自害用の毒物を持たせることはしていた。他の支部では、捕まったら即時に自害せよと洗脳教育を施していたところもあっただろう。
そして、自害用の毒に選ばれていたのは、もっぱら東の帝国産の神経毒だった。比較的に苦しまずに死ぬことができる即効性の毒として。
ふむ、と学園長が呟き、手を顎に添えた。
「アルティスタ・ファミリー……ですか。私も現役時代にも何度か耳にしましたが、アルフィリアではあまりお目にかからない犯罪組織ですね」
「あの組織の活動範囲は基本東の帝国や聖シャルル、南方諸島だからなァ。アルフィリアにも支部はあるだろうが目立つ活動はしていないだろうよ」
「けれど、サーシャ・デイヴィスは、アルティスタの作法で自害をした……」
となると、サーシャ・デイヴィスはアルティスタ・ファミリーの構成員だったのか?
(……いや、断定はできないな)
神経毒を使って死んだこととファミリーは必ずしも結び付くわけではない。そもそも、あの枢機卿ならばアルティスタのやり方くらい熟知しているはずだ。理由はわからないが、あの枢機卿がそう見せかけたかっただけかもしれない――あるいは、彼女を直接雇っていたウェスタ侯爵家あるいは第二王妃の意向だった、か。
(なんにせよ、死なせてしまったのが痛いな……)
アルティスタ・ファミリーの活動範囲内に入る国の憲兵局では、かの組織の構成員を捕らえる時は、必ず四肢を拘束し、猿轡を噛ませて自害を防ぐように徹底されている。しかしそれをアルフィリアの、アカデミーの教員が把握しているはずがない。それを責めることはできないだろう。
「あの、閣下。サーシャ・デイヴィスがただの令嬢ではないというのはさすがにはっきりしたと思いますが、正体はわかったんでしょうか。デイヴィス家に調べは入れたのですか」
「それはまだ途中だが、ある程度はわかっている。恐らくだがデイヴィス家当主と夫人は今回の件では無関係だろうな」
「……つまり?」
「死んだ『サーシャ・デイヴィス』は、偽者だろうということだ。親に知られぬ間に娘と入れ替わり、虎視眈々とユリウス暗殺の機会を狙っていたと思われる。そもそもデイヴィス家は、十歳かそこらの子どもに、王室の政変のゴタゴタに関与させるような教育を施すことができるようなデカい家ではない。そうまで後ろ暗い家門であれば、とっくに近衛騎士隊に目をつけられているはずだ」
……確かにそうだ。
もちろん絶対とは言えないが、サーシャ・デイヴィスが家の教育で王太子暗殺のための先兵にさせられたとは考えにくい。となるとやはり『サーシャ・デイヴィス』は本物のデイヴィス家の娘ではない、と考えるべきだろう。
「……ですが、なりすましなど、簡単にできるものではありません。違法に出回っている魔法薬でもそんなことは不可能だ」
「それはそうだろう。だが、魔法ならばどうだ?」
「それこそ不可能だ。四大魔法ではそんなことはとても――いや、まさか」
はっと息を呑むと、ツェーデルは低い声で「そうだ」と言った。
「サーシャ・デイヴィスは闇魔法使いだった可能性が高い」
「――!」
学園長も表情を変えないことから、これは二人で出した結論なのだろう。
……ありえない話ではない。私も闇魔法使いであるからこそわかる。
闇魔法と光魔法は、四大魔法に比べてはるかに汎用性が高い。聖女と王の血筋にしか使えない光魔法を除外するならば、闇魔法しか可能性が残らない。
加えて、闇魔法は六つの魔法属性の中で唯一、アルフィリアの平民でも使える魔法だ。
発現の条件はただ一つ――並々ならぬ憎悪を抱くこと。
「偽サーシャ・デイヴィスの正体については調査中だ。いずれ第二王妃も聴取されることになるだろうが……枢機卿が引っ搔き回してくれたからな。しかもアンディヌス公女の【マンティコアの涙】問題もある。混乱に続く混乱で近衛騎士隊の足並みが乱れていることもあって、王妃にはうまく逃げられるかもしれん。貴重な証人も死んだことだしな」
「王室の騒動の火種は完全に消せないだろう、と……?」
ツェーデルが珍しく堅い表情で首肯した。
「何にせよ、だ――偽サーシャが闇魔法使いであった可能性と、自害の手口がアルティスタを想起させるものだったことには留意しておかねばならん。
この一件――ただの『枢機卿のいかれたお遊び』だったわけではなさそうだ」
その言葉に、腹の底が重くなった気がした。
――何かとてつもなく大きな、得体の知れない『渦』に飲み込まれるような、そんな予感がしたからだった。




