060 生還
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――私の、名前を呼ぶ声がする。
そうだ、あの時も同じような声を聴いた気がする。
あの男は最期の最期までひどくうるさかった。子どもの頃から口うるさいところはあったが、最期は今までの中で一番うるさかった。アカデミーの高学年となってからはあまりぶつかることはなくなっていたが、離れていた数年で変わったのかもしれない。
否。変わったのは『俺』か。
あいつはいつだって、真っ直ぐだった。人を知り、自分を知り、天才と呼ばれる聖騎士長となっても、ずっと己を見失わなかった。
あいつも、フェルミナを亡くしたのは、同じはずなのに。……聖騎士長となったならば、私よりも、貴族の汚らしいところを見ていたはずだろうに、それでも。
……なあ、ジークレイン。『俺』とお前は、なぜこうも決定的に違うんだろうな。
ジークレインは天才で、『クロード』はそうじゃない。だがきっと、それだけではないはずだ。たぶん――『お前』が『クロード・リヴィエール』であれば、きっとあんな革命戦争を起こすことはなかったろう。あんな『愚かな選択』をすることはなかっただろう。
『クロード! クロード……! なんで……!』
嘆くなよジークレイン。咄嗟だったが今なら思う。お前を守れてよかったと。引き返せなくなって、どうしようもなくなっていたけれど、最期は満足だった。
……それで。それで……あれ?
そう、そのあと、確か誰かの声を聴いたんだったな。私の名前を、『クロード』の名前を呼ぶ声だ――『クローディア』を呼ぶ声ではなかった、気がする。
あれは一体、誰の声だったのだろう。
「――ディア! クローディアっ」
「ッ!」
はっ、と、一気に意識が覚醒した。まるで雷に打たれたような感覚が――より正確に言うならば、夢の中でヒヤリとしたという感覚が鮮明に残ったまま。
「っクローディア……」
「ジーク、レイン?」
ぱちぱちと何度か目を瞬かせると、そこはアカデミー本校舎の保健室だった。私はそこの寝台の一つに寝かされていたらしい。
既に手当を受けたのか、腕や頭に包帯を巻いたジークレインが、こちらを覗き込み――表情は険しいままではあったが――ほっと息を吐き出す。そして「目を覚ますのが遅い」と文句を言う。
「ふん、それは悪かったな。……ここは保健室か?」
「……、ああ、そうだ。お前は、貧血と魔法力の枯渇と疲労で倒れて運び込まれたんだ」
「魔法力の枯渇と疲労、おまけに貧血か……まあ、さもありなんか」
私は僅かに痛む頭をおさえながら、上体を起こした。何故か怪我は治っていたが、それなりに血が失われたのは変わらない。おまけにそれなりの規模の闇魔法まで使った。この子どもの身体では倒れもするだろう。
「あれからどのくらい経った?」
「まる一日は経っていないくらいだ。……その、クローディア……」
「なんだ?」
ジークレインが何かを言いたげに視線を彷徨わせている。
しかし、なんだ、改まって――と首をかしげたその瞬間、「ジークレインくん!」という声が弾けた。ジークレインが驚いて声のした方向を振り向き、ついでに私もびくりと両肩を跳ねさせる。……この声は、
「フェルミナ……」
「ロディの様子は……って、ロディ!? っよかった、目が覚めたのね……!」
「あ、ああ。フェルミナも無事なようでよか、」
言い掛けたが、声は出なかった。
次の瞬間、彼女に抱き着かれていたからだ。
「もう、あんな無茶しないで……っ!」
「フェ、フェルミナっ?」
意図せず、声が裏返る。彼女を包む甘い花のような香りにものすごくいたたまれなくなり、慌てて身体を離そうとするも、意外に力が強くて外せない。もちろん、私に彼女の手を強引に振り払うなど、できようはずもない。
それに、フェルミナの身体は小刻みに震えていた。時折、小さく鼻をすする音がする。
「敵に立ち向かって、怪我して、倒れたって聞いて、わたし、気が気じゃなくて……」
「あ、ああ……ごめん、フェルミナ」
「ロディが保健室に運び込まれて、何度もお見舞いに来たけど、全然目を覚まさなくて、わたし、不安で……」
「本当にごめん、泣かないで……もう怪我は治ってるんだ、大丈夫だから」
必死に宥めるも、フェルミナは無言で私に抱き着く力を強めるばかりだ。
弱ったな。彼女が泣いていると、どうすればよいのかわからずにパニックになる。ただひたすら謝って落ち着かせることしかできない。
「……」
「……なんだ、ジークレイン」
不満そうな視線をこちらに投げてくるジークレインに問うと、彼は「別に……」とこれまた明らかに不満げな声で言う。
「お前、本当にフェルミナとその他の扱いが全く違うよな」
「当然だな」
「……」
自明の理である。
……が、まあ、私にとって『特別』であるのがフェルミナだけ、というわけではないが。心情的に強く出られないのが、フェルミナと姉上というだけの話であって。
ジークレインはしばらくこちらをジットリと睨んできていたが、ややあってから、目を伏せた。
そして、小さな声で言った。
「……俺も、感謝してる。ありがとう」




