059 収束
刀を鞘に納めた状態から、自分のできる最大の速さで抜刀。魔法力を纏って風を切り裂いた刃が、途中で四つに分かれ、四方向からそれぞれ猛スピードで枢機卿に襲い掛かる。
《紅》――今私が扱える技の中で、もっとも速い居合術。もちろん手に馴染んだ愛刀を振るっていた全盛期、つまりクロードであった時には劣るが、《紅》であれば今でも十分な威力と速さがあるはずだ。
(ここまで来て、見逃すはずがないだろう……!)
そして、襲い来る四枚の、花弁のような斬撃に気づいたらしい。枢機卿が、今度こそというように目を見開いた。
届く。いける。
永遠のような一瞬ののち――、刃が何かを両断するような音がして、私たちの頭上に生暖かい鮮血の雨が降り注いだ。
そして私が、額に降りかかった、不思議なくらい錆臭くない血を手の甲で拭ったその瞬間、どさり、と重い何かが地面に落ちる音がした。はっと顔を上げ、瓦礫に落下した『それ』に駆け寄っていく。
「……くそっ」
抜いたままになっていた剣を鞘にしまい直し、短く毒づく。
そこにあったのは、審判の服を纏った、腕だった。枢機卿は、消えていた。
「逃げたな」
「し――ツェーデル前騎士団長閣下」
「だがまあ、上出来だろう」ゆっくりとした足取りで近くまで来たツェーデルが、切り落とされた腕を見下ろしながら肩を竦めた。「俺たちの拘束を解いた輩に、片腕を失わせる手傷を負わせたのだからな。よくやった、クローディア・リヴィエール」
上出来、か。
私は感情を滲ませない声で「恐縮です」とだけ答え、奥歯を噛みしめる。
……傷を負わせようが負わせまいが、虚仮にされた挙句逃げられたのは事実だ。
あの男は内乱の火種どころか、戦争の火種すら残して消えた。捕らえ、全てを吐かせ、全ての陰謀が明るみに出た上でようやくつり合いが取れるくらいの出来事だったはずだ。
それを、わかっていた上でみすみす取り逃がした。……学園長やツェーデルに比べ学園内で自由に動け、かつ実際に枢機卿と相対したことのある私が、もっと的確に対処しなければならなかった。私の、ミスだ。
正直、アルフィリア王国それ自体に興味はない。貴族社会も王族も、私の守るべきものではない。
だが――アレはここで殺すべきだった。
いずれ騎士になるフェルミナのためにも。そして何より、聖騎士長となるジークレインのためにも。
「驚いたな」
ふと耳に届いた、聞き覚えのある声に、顔を上げる。
すると、すぐ目の前には圧倒的なまでの美貌を携えた、黄金の髪を持つ男が立っていた。白い騎士の礼服に身を包んだ第一王子だ。
気配なく接近されたことに驚きながらも、私はそのまま騎士礼を取る。「……気づかず、失礼いたしました。ユリウス殿下」
「いいや、構わない。クローディア・リヴィエール……クロヴィスの二番目の妹か」
「はい、殿下。リヴィエール家次女のクローディアと申します」
「大叔父上殿がアカデミーの新入生を気にかけていると聞いたが、なるほど興味深いな。この年で既に隙がない。しかも……不思議な剣術を使う。それに偶然とはいえ、あの怪物の腕を切り落とすとは、胆力もまた素晴らしいな」
「……恐れ入ります」
もはや『訳アリ』なのは隠しようもないが、偶然と判断されたのであればありがたい。
私が近衛騎士隊に入隊していることは、騎士隊内ではコンスタンティン副隊長とハースしか知らない機密事項だ。女性禁制の騎士隊に女が、しかも子供が入隊しているなど、立場的にも現騎士団長であるユリウスが承認するはずがない。故に、『私が近衛騎士であること』は基本、彼に露見してはならないことなのだ。
だが、どうやらさすがの第一王子もそこまでは気づいていないか。枢機卿を捕まえられなかった上に、必要以上に目立ってしまったところに、さらに余計なことまで露見するかもしれないと焦ったが――なんとかなったようだ。
「ユリウス、サーシャ・デイヴィスはどうする? 今コンスタンティンが捕らえているが」
「そのまま近衛騎士隊に任せようかと。構いませんか」
「構わん構わん。そも、もうアレは俺の部下ではないしな。お前が騎士団長だ。お前が好きに使うといいさ」
「ありがとうございます。……イグニス伯爵もご苦労だったな。加勢にいけなくて済まなかった。拘束ももう少しうまくいくかと思ったのだが、まさかあそこで魔法が振り払われるとは」
「いいえ、ご無事で何よりです、ユリウス殿下。私こそこの度はみすみすあの男を逃がす始末、お詫びのしようもございません。まさに怪物……共和国の動向を以前にもまして警戒しなければならなくなりましたな」
「まったくだな」
イグニス伯爵の言葉に、ユリウスが肩を竦める。私はそれを見てふと目を細めた。
……だが、まあ。本当の『最悪』は回避できた。
今はそれでよしとしよう。
……それに。さすがに、この子どもの身体で無茶をしすぎたようだ。あの男が消えた瞬間から、どうにも朦朧とする――。
「ああ、それから、リヴィエール嬢……リヴィエール嬢?」
ぐらり、と傾ぐ視界の端。
そこに、こちらを見て目を丸くするイグニス伯爵とジークレインが映る。
しかし、私が何かを言う前に……ぶつりと途切れるように、暗闇が訪れた。
何も聞こえない。




