004 ジークレイン・イグニス
……しかし、精神を研ぎ澄ませた上で居合いを放ち、脳内をクリアにしても、依然思い出したい記憶には靄が立ち込めるばかりだ。
クロードであった頃の自分の力がまだ残っていることがわかっても、現状の解決にはならない。
要するに――手詰まりであった。
「はあああ……」
一体何をどうしろと言うのだ。
仮に、仮にだ。この世界が幻でもなんでもなく、十年以上も前のアルフィリアだと認めるとして。何かしらの要因で時間が巻き戻っているとして。
ここは本当に、『クロード』のいた世界の過去なのだろうか。
『クローディア』は、家族や家名やおそらく魔法の才能の有無もかつての自分と合致しているが、名前と性別は変わってしまっている。同一人物でありながら全くの別人という意味の分からない状態になっているのだ。
ふと、私は『クロード』である時、ロイヤルナイツアカデミーで読んだ書物の中で、『平行世界』や『異世界』という概念について記されたものがあったことを思い出す。
それはおよそ現実的とは言えない、ほとんど空想小説の延長のような内容だったが……ここはその『平行世界』というもう一つの世界なのではないか。そしてなんらかの理由で、クローディア・リヴィエールという少女の身体に、クロード・リヴィエールという男の魂が入り込んでしまった、と――そういうことなのかもしれない。
「いや、だから、結局何をどうしたらいいと言うんだ……」
冗談じゃない。
また姉を失って、フェルミナを失って、兄を殺して、かつての仲間を殺して、挙句の果てにジークレインを散々傷つけた挙句に目の前で死ぬという過去を繰り返せと言うのか。
神など信じたことはなかったが、さすがに恨み言を連ねたくなる。いったいどういうつもりだはっきりしてくれ、と。
それともこの繰り返しは、大罪人である『クロード・リヴィエール』への罰なのか。
「おい」
だとすれば、私はもう一度、かつての人生をそのまま繰り返すべきなのか。
それが前世の贖罪に繋がるのか?
「……おい」
しかしもう、私はあの時程アルフィリアや王国騎士団に憎悪を抱いているわけではない。
あの革命戦争でジークレインに諭され、そしてフェルミナの死について誤解があることを聞かされた時から……いや、正確にはその後、ジークレインを守って死んだあの時から、私の憎しみはほとんど昇華されているからだ。
もう一度、兄を手にかけ、ライバルを傷つけることになる戦争を起こしたくはない。
それに私は、姉を……何よりフェルミナを、もう二度と失いたくない。
『クロード・リヴィエール』の人生を繰り返すことは、私にはできない――。
「おいっ、聞いてるのか!」
「っ、一体なんださっきから! 私は今考えごとを、」
しているんだ、と。
そう言いかけた口のまま、私は固まった。
目の前に立つ、自分よりも僅かに高い身長を持つ少年。
十に届くかどうかの、私と同じ年ごろのその少年は、見覚えのある金髪と、見覚えのある赤い瞳を持っていた。
なぜ。
どうして、お前がここにいる。
「ジークレイン……」
「お前、俺のことを知ってるのか」
少年らしい高い声でそう言い、眉を寄せるジークレインそっくりな――いやもう認めよう、本人だ。推定年齢十歳のジークレイン、私のかつてのライバルが、眉根を寄せる。
ああ……この生意気というかすかした物言いに態度、まさにジークレイン・イグニスだ。
信じたくなかったが、やはりここは過去の世界らしい。
だが、なぜ? 確かに『クロード』だった時も、アカデミーに入学する以前からジークレインのことは知っていた。稀代の天才として名を馳せていたからだ。
しかし『以前』では、ジークレインと実際に顔を合わせたのはロイヤルナイツアカデミーの入学式が最初だった。
ここでも自分の知る『歴史』と齟齬が起きている。
やはり、この世界は私が生きた世界の平行世界なのだろうか――。
意味が分からないことが多すぎて頭を抱えたい思いを堪えつつも、私はなんとか「まあな」とだけ言って頷く。
「……有名だからな。ジークレイン家の長男は火魔法の天才だと」
「ふうん。まあ、俺もお前のことは知ってる。水魔法の落ちこぼれとかいう、リヴィエール家の次女だよな?」
名前はたしか、クローディア・リヴィエール。
おそらく悪意はないのであろうその言葉に、私は自分のこめかみがびきりと音を立てたのを聞いた。
……随分とまあ初対面で喧嘩を売ってくれるものである。
あまりに自分の知っている幼少期のジークレインと印象が合致して涙が出てきそうだ。
「それで、リヴィエール。さっきから散々無視してくれたけど、お前に聞きたいことがある」
「なんだ。手短にしてくれ、私は忙しい」
「忙しい? 何もせずに公園の芝生に突っ立っているのにか?」
「…………」
すう、と息を吸い込む。そして吐く。
相手は十歳。子どもだ。堪えろ。裏社会の五年間に比べたらこの程度の忍耐、どうということはないだろう。
そもそも子どものころのジークレインは終始こんな感じだったではないか。
こいつが丸くなるのはアカデミーの高学年になってからだ。それまではその才能の異端さ故に、ずっと周囲を醒めきった目で見ていた。
「お前には関係ない。それで、聞きたいことというのはなんだ?」
「あの林」
ジークレインが例の林を指し示した。
「昨日まではあんな有様じゃなかった」
そうだろうな。
「俺は日々の勉強や家での魔法の修練を終えると、いつもここに来て火魔法を練習してる。広場は開けているし、火事になる心配もあまりないからな」
「へえ」
「でも、林があんなふうになっていることは見たことがない。誰かが故意に切り倒したんだ。……もともと手入れされている林ってわけじゃなかったけど、さすがにあれじゃ公園の景観を損ねる」
何を考えているんだ、犯人は、とジークレインが眉を寄せている。
私から言わせてもらうと、犯人はきっと何も考えていなかったのだろうと思う。そう、恐らく、ただ精神統一のために居合いの技を放ったら、存外強力な斬撃が飛び出てきてしまった、というのが真相だ――。
「リヴィエール、お前、犯人を知らないか」
「さあ」
さてそろそろ帰らなくては。
今の兄上ならばせいせいした顔をしているかもしれないが、少なくとも姉上はきっと心配している。
「おい、待てよ」
そそくさとその場を立ち去ろうとする私を、目敏く見つけたジークレインが引き留める。
「なんでそのまま帰ろうとしてるんだ」
「もう質問は終わっただろう。私は帰る」
「けどまだ犯人がわかってない」
何だと言うんだ本当に……。
「犯人探しなら一人でやればいい。それに何故そんなに、ただ木がいくつか倒れていた程度のことを気にする?」
はあ、と大袈裟に溜息をついてみせる。
そう、だからここで引き下がれジークレイン。犯人なんか見つけても何の意味もないぞ。ただ私の手間が増えるだけだ。
「そもそも犯人を見つけてどうするんだ。憲兵に引き渡して林の木を植え直させるのか? それに関してお前のメリットはどこにある」
「剣を教えてもらう」
いきなり何を言い出すんだこの男。
「見てみろよ、リヴィエール。この木の切り口、こんなに滑らかだ。幹の高さがほとんど同じなのを見ると、この倒れた木々は、一太刀で切り飛ばされたということになるよな」
脂汗が出てきた。
私は、『クロード』であった時、ジークレインはアカデミーの筆記試験でも常に上位であったことを思い出す。机にかじりついていたわけではないのにも関わらず、だ。
「きっと相当の腕前の人間に違いない。だから憲兵に突き出さない代わりに、剣の教えを乞う」
「それは乞うというよりは強請りじゃ」
「俺は、将来、火の聖騎士長になると決めてる。天才だのなんだのと持て囃されていても、俺は現火の聖騎士長である父様には遠く及ばない……。だからもっと強くならなきゃいけないんだ」
こちらの言葉を完全に黙殺して宣言したジークレインを、半目で見つめる。
盛大に頭が痛い――いくら木の枝だからと言って、迂闊に居合いの術を使うのではなかった。
「俺やお前が姿を見ていないということは、夜中にこれを……? 人目を忍んで鍛錬でもしていたのか? なら、王国じゃあまり歓迎されない闇魔法の使い手とかが犯人……」
私は今度こそ空を仰いだ。
――勘弁してくれ。
「リヴィエール、本当に見てないのか?」
そもそも勘が良すぎではないのか。お前はまだ十歳だろうに。
ああ、これだから天才は……。
どうしてこう、世の中は不公平にできているのか。魔法の才能の有無で差別されるこの国しかり、こいつと私の生まれ持ったモノの違いしかり――。
「おい、ちゃんと聞いてるのか?」
「……見てない、とさっきから言っている。もういいか? 私はもう行く」
「なっ」
待て! と追いかけてくる声を無視し、踵を返してとっととその場を立ち去る。
早く帰って寝たかった。