056 『死ぬほど嫌』
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抜けがあった為前話を修正しました。
「ああッ……」
目を灼く光が消え、観客席のその下で、黒煙がもうもうと立ち込めているのを見下ろす。煙で覆われてなお無残な様子になっていることがわかるリングを見て、絶望の声を漏らしたのは逃げ遅れた観客たちのうち誰だっただろう。
「そんな、火の聖騎士長、イグニス伯爵まで……」
「有り得ない、なんだ今の爆発は……ま、まさかあれが、共和国の技術だとでもいうのか」
やがて、風に流れ、煙が少しずつ晴れていく。
粉々に破壊されたリングの上には、血に塗れて横たわる聖騎士長と、子どもたちの死体が――なかった。
「ゲホッ、ゲホゴホ、」
「こ、これは……どういうことだ」
リングの上から聞こえてくる、煙を吸って咳き込む音と、驚愕したような声。
私だけではなく、観客席に残っていた者たちもその声を聞いたらしい。戸惑った様子で視線を交わしている。
(……間に合ったか)
額に滲む汗を拭い、私は掲げていた右手を下ろす。
そしてほう、と息を吐き出した途端に、どっと疲労が肩にのしかかった。どうやら久々に高難易度の魔法を使ったために、身体がうまくついていっていないらしい。……まったく、子どもの身体というのは本当に厄介だな。
……リングの上には煤をかぶって汚れてこそいるものの、殆ど無傷のイグニス伯爵、ジークレイン、アグアトリッジがいた。
ひたすら咳き込んでいるのは、咄嗟に身体を守る回避行動を取れていなかったアグアトリッジだった。そのアグアトリッジにも目立った怪我はないようで、咳き込みながら細かな火の粉と服に着いた砂を払っている。
「おお……! 無事だ! 伯爵もご子息も、アグアトリッジ侯のご子息もだ」
「さすがは火の聖騎士長閣下だ、なんと素晴らしいご判断だ……!」
賞賛を浴びた当の伯爵はしかし、唇を引き結び、眉間に皺を寄せている。
……気づいているのだろう。今の爆発から自分と、息子たちを守ったのが自分の魔法ではないということに。
確かにその通りだ。あの一瞬、三人を守ったのは私の闇魔法だった。咄嗟に魔法を発動させ、生み出した質量のある闇――魔法で生成された物質のため、便宜上そう呼んでいる――を盾のように、結界のようにして三人を包み込んだ。その壁が爆炎と爆風を阻んだのだ。
しかし、イグニス伯爵が爆発に反応できていなかったわけではない。枢機卿の、殺気とも言えないような殺気にも気づき、魔法を展開しようとした。あの一瞬で。あれが何かしらの爆発物だと分かった人間はこの場にはいかなかっただろうが、イグニス伯爵はたとえ私が何もしなかったとしても、完璧にあの爆発から身を守っただろう。火の魔法は爆炎を阻むのになかなか相性がいい。
……そう。一人だったならば。
あの一瞬、イグニス伯爵は迷ったのだ。
炎の壁でこれから来る攻撃を阻めるのか。どれほどの威力があれば、攻撃から身を守り切ることができるのか。魔法の威力を高めれば、ほぼ間違いなく敵の攻撃を弾くだろう。しかし、炎の壁は両刃の剣だ。調節を誤れば、壁の中にいる魔法行使者にも危険が及ぶ。
イグニス伯爵はいい。彼は魔法力そのものに対する耐性も、火魔法使いの頂点として炎への耐性も高いだろう。……だが、ジークレインは。アグアトリッジは?
そしてその迷いが、彼の初動を遅らせた。
私はそれに気づき、闇魔法を発動させたのだ――。
「――素晴らしい」
不意に。
パチパチパチパチ、と拍手が上空から降ってきた。
まるで風に包まれているかのように……あるいは、背中に生えた羽でゆっくりと舞い降りたかのように、ふわりと着地した枢機卿が、銀の双眸を細めて微笑む。
足先が地面に触れると同時に手を打つのをやめた枢機卿は、「驚いたよ」と愉快そうに言った。
「殺傷能力が上がるようにカスタマイズした最新型の手榴弾だったのだけれど、見事に防がれてしまったね」
「ハンド・グレネード……? あの筒は貴様の国の武器なのか」
「その通り。投げれば爆発する武器だ、と考えてもらって構わないよ。ただ、そうだね……今回、君と彼らを守ったのは君ではなかったようだけれど」
え、とジークレインが目を丸くして横のイグニス伯爵を見る。イグニス伯爵は何も言わずに枢機卿を睨みつけている。
「それに、この魔法……感じたことのある気配だ。それから聖女の匂い。これは――ああ、そうか。いるのかな、あの子が。ここに」
「聖女だと? 一体何の話を」
「気になるなあ。あの子が一体、何者なのか。僕でもよく掴み切れなかったのだよね。君たちを守ったということは……彼らに攻撃をすれば出てきてくれるだろうか」
イグニス伯爵を気にせず喋り続ける枢機卿が、吐息と共に目を伏せる。
何をする気だ。あの男の言う『あの子』というのは、悍ましいが私のことだろう。
その時――意図せず殺気が漏れてしまったのだろうか。不意に、枢機卿がつ、と顔を上げた。そして、視線が合った。
枢機卿の顔が、喜色に染まった。
「ああ」彼は柔く、悍ましいほどに美しく、微笑む。「君のことは知ってるよ。僕も審判をやっていたから。……やっと会えたね」
「――初めまして。クローディア・リヴィエール」
……何が、初めまして、だ。白々しい男め。
リングの上にいたイグニス伯爵をはじめとした三人が、こちらに視線を移す。イグニス伯爵とアグアトリッジは当然私がとうに逃げているものだと思っていたのか目を剥いており、ジークレインはその口をどうして、という形に動かした。
そして、イグニス伯爵が目を剝いて硬直していたのはほんの僅かな間だけだった。瞬時に我に返り、観客席から自分たちを見下ろしている私を見て叫ぶ。
「君は一体そこで何をしている、早く逃げろ!」
「……おや、逃げてしまうのかい?」
すると、彼の言葉を受けて。
枢機卿がわざとらしく目を瞬かせ、こちらを見たまま残念そうな表情を作ってみせた。「せっかく会えたというのに」
――逃げるのかい。君は、僕を逃がしてしまっていいのかな?
枢機卿は、一切口を動かしてはいない。残念そうな顔をしただけだ。
しかし、私は……枢機卿がそうのたまう幻聴を聞いたような気がした。そんな声が聞こえてくるはずがないのに、その銀の瞳を見ていると、脳に直接響くように語り掛けてきている声があったと、認識してしまった気がした。
気持ちが悪い。吐き気がしそうだ。
(ああ、くそ……!)
そして……的確な挑発だ。
この男の言う通り、私はここから逃げるという選択肢を選ぶことはできない。イグニス伯爵の前で、ジークレインの前で、自分の力を使うのは避けるべきだということはわかっているが――この男を置いてこの場を後にするわけにはいかない。
こいつがここに来たのが、初めから自分の愉悦のためであるならば。
――私に興味を持ったこいつは、私がここを離れようとしたその瞬間に、ジークレインを手にかけるかもしれない。
奥歯を噛みしめた瞬間、耳慣れた声が弾けた。
「お前、どうして……どうしてクローディアのことを知ってる!」
叫んだのはジークレインだった。眉を顰めたイグニス伯爵が「ジークレイン!」と短く制止の声を上げる。
「父上は黙っていてください! ……おい、答えろ! どうして共和国の枢機卿があいつのことを知ってるんだ!」
「気になるかい? ……でも、それは君が知る必要はないことだよ」
「必要があるかないかは、聞いてから俺が決め」
る。
ジークレインが言い終わるのと、枢機卿が懐から取り出した何かを彼の前に突きつけるのは、殆ど同時だった。銀の瞳がきらめく。
「え、」
枢機卿が持っているのは、黒い、何かだった。
あれは――もしや、銃か? かつて『クロード』であった時に(師範)アイの部下が持っていたものと形状が似ているような気がする。銃は、主に共和国の裏社会で出回っている火器だったと記憶しているが、あんな色をしていただろうか。私の知っている銃はもっと、ゴテゴテとした装飾がされた、重そうなものだったはずだ。
否、だが、迷っている暇はない。あれが本当に銃だとしたのなら。
……そしてその刹那、枢機卿が微笑んだ。ヒュ、と喉の奥で短く音が鳴る。
それは息もできなくなるような微笑だった。そして憎悪も怒りも何も混じらない、ただただ純粋な殺意――。
「ッ炎よ!」
私と同じ悪寒を覚えたのか、イグニス伯爵が手を翳した。瞬く間に、彼の上空に生まれた巨大な炎の玉が、また一瞬にして拳大の大きさの白い球に凝縮される。見るだけでわかる、あれは触れればその部分が消し飛ぶような代物だ――まさに小さな太陽。それを枢機卿に向かって放つつもりだろう。
だが間に合わない。
闇魔法を発動し、足に魔法エネルギーを集中させる。そして、思い切り地を蹴った。ジークレインめがけて。
枢機卿は、白い太陽にも、イグニス伯爵にも、一切目を向けなかった。彼が一体何をしているのか、まったく興味がないかのように、ただ微笑んだまま引き金に指を掛けた。
「第二王妃の甥はともかく――この場に君は、いらないかな」
「ジークレイン!!」
イグニス伯爵の悲鳴のような怒号がとどろく。
そして次の瞬間、パン、と乾いた音がして。
「あ……」
私の脇腹に、熱い衝撃が走った。
「っぐぁ……!」
私に思い切り突き飛ばされたジークレインが、リングの端へ転がっていく。それに視線を向けるより先に、一瞬遅れてやってきた脇腹の鈍く重い痛みに、呻いて蹲る。
殴られる痛みとも、剣で突かれる痛みとも違う。ひどく小さい焼き鏝で脇腹を抉られているかのようだ。
しかし、なぜだろう。
これによく似た痛みを、私は知っている気がする――。
「おや」
ぱちり、と。ゆっくりと瞬きをした枢機卿が、さも驚いたというように目を丸くした。「これはさすがに意外だね。君にとって彼が、身体を張ってまで守るべき相手だったとは」
「はッ……、」
馬鹿を言うな。血が噴き出す脇腹をおさえながら、私はそう毒づく。
私にとってジークレインは、守るべき相手などではない。そんなふうに思ったことなど、ただの一度もない。
私は、ただ――。
「っ、くそ、なんなんだ、」
突き飛ばされて倒れていたジークレインが身体を起こし、こちらを見て……零れ落ちそうなほど大きく目を見開いた。「……クローディア?」
こんなところでこいつに死なれるのは、こいつが私以外の誰かに殺されるのは――死ぬほど嫌だったというだけだ。




