054 双銀
「うわああああっ」
「なんだ、今の音は!」
そして――一拍遅れて、観客たちの動揺が膨れ上がって、弾けた。
アカデミーの学生たちは緊張に身体を強張らせたり、腰に提げた騎士剣に触れたりはするものの、あからさまに怯えを見せる者は少ないが――一般客は、闘技場から逃げるべく、我先にとその場から走り出す。
「落ち着いてください! 避難の誘導は学生がしますので、皆さま落ち着いて! ……四・五年生はお客様の避難を手助けしたまえ! 三年生は一・二年生の様子を見つつ本校舎への避難をはじめること!」
「は、はいッ」
風の監督生と思しき緑の髪の学生が立ち上がり、指示を飛ばす。
寮生達はその言葉に頷くも、皆状況を理解しきれず不安げな表情で辺りを窺っている。客たちも足を止める様子は見せず。早くも闘技場内はパニックに陥りかけていた。
「くっ、ダメだ、全く皆こちらの話を聞かない……」
「ルーク!」
「アレク……来ていたのだね」ヴォジャノーイの呼びかけに気が付いた風の監督生――たしか、ルーク・リーゼと言ったか――が目を瞬かせた。「これは一体どうなってるんだい? あそこはユリウス王子殿下がいらっしゃるところだろう。あの光はなんなんだ……っ!?」
「それは……俺にもわからないが……」
そこでヴォジャノーイが、ちらとこちらを見たのがわかった。それにリーゼも気が付いたのか、軽く眉を寄せてこちらを見た。「今年度の次席がどうしてここに」と呟くのが耳に届く。しかし彼はすぐに、とにかくだ、と言ってヴォジャノーイを見た。
「公子である君すらも理解できていないだなんて、相当な緊急事態だろう。君も水の寮生たちの席に戻って、避難誘導をするといい」
「……ああ、そうだな。状況によっては学園長への報告もせねばならない」
ややあってから、ヴォジャノーイが絞り出すようにそう言った。そして彼はもう一度こちらを見てから、急いで水の寮生が集まっているエリアへ走っていく。私はその背中を見送り、ふうと一つ息をつく。
それにしても――今のはなんだ。光魔法か?
……いや、魔法を使ったのであれば、あそこまでの音が出るのが不可解だ。光魔法で単純に目くらましをすることだけならば、武器生成に特化したツェーデルであってもできるだろうが、あんな耳を抉るような轟音を生み出すのは無理だろう。ではいったいなんだ。
「もしや、デイヴィス……」
使ったのは、聖シャルルの道具か。それならば納得がいく。
王族の専用席にはツェーデルがいる。近衛騎士隊副隊長のコンスタンティンや、ユリウス王子自身も指折りの実力者だ。……とはいえ、見たこともない武器の影響をごく間近で受けてしまえば少なからず動けなくなるだろう。
――まずい。
サーシャ・デイヴィスが使ったのが聖シャルルの武器だったとして、使う本人が対策をしていないとは思えない。となれば、ユリウス王子が危ない。
しかし、近くに潜んでいるであろう枢機卿を無視はできない。私の役目は、枢機卿の対処だ。
(どうする……!?)
一瞬、迷いかけて――すぐに決断する。……私は、私の役目を全うしよう。
不測の事態があったとして、あのツェーデルが何もできなくなるとは思えない。ならば彼に任せるべきだ。王族専用席に気を配っている暇はない。すべききことを、しなければ。
枢機卿が風の寮の生徒達のエリア近くにいることは恐らく間違いない。生徒に紛れているのか、あるいは一般客に紛れているかはわからないが、リングと王族専用席をよく見ることができる場所にいたいのであれば、きっと、その場を動こうとはしないはずだ。
つまり――動揺が走る観客たちの中で、一人平然としている者がいたら、それが枢機卿だ。
私は、逃げ出す観客たちの波の中から、動揺して顔を見合わせている風の寮生達の中から、全く動く様子を見せない者、あるいは平気な顔をしている学生を探す。
しかし。
(くそ、見つからない……! 逃げ惑う貴族たちが邪魔で仕方ないな!)
こうなったら、いっそ逃げる観客たちを無理やりかき分けてでも、探すか?
そこまで考えた、その刹那。
「きゃああああっ!」
どこかで甲高い女の悲鳴が上がり――私ははっとして周囲を見回した。声の主が誰だかはわからなかったが、近くで寮生に指示を出していたリーゼが蒼褪めて硬直しているのを見て、その視線を辿る。
そして、彼が見ている先を見て、私は目を丸くし、鋭く息を呑んだ。
「そんな」
――審判役の教師が、剣を、尻餅をついたアグアトリッジの喉元に突きつけていた。
何が起きてる。あの教師は、なぜアグアトリッジの喉元に剣を?
すぐ近くにいるジークレインも驚愕に目を見開き、動けないでいるようだ。いや――まだ騎士剣を握ったままの手が震えている。まさか……怯えているのか? あの、ジークレインが? 現役の二級騎士相手にも、善戦したあいつが?
そこまで考え、私は、とある可能性に気が付き、一気に蒼褪めた。
まさか、そんな。そんなことが――。
「悪くないところまで推理をしたのだと思うよ、キミのことだから。……でも」
柔らかな声が。けれど――本能的な恐怖を煽るおぞましい声が、響く。
「僕にとっては、こちらの方が特等席だから」
ね、と言った審判役の教師が。
その銀色の瞳を、こちらに向けて、そう言った。




