053 ニード・ノット・トゥ・ノウ
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どこだ。
階段を駆け上り、観客席に降りる。王族専用の観客席の正面にある一般観客席だ。
そこは風の寮の寮生達が集まって座っているエリアにごく近く、突然姿を現した水の寮の寮生である私とその監督生であるヴォジャノーイに、訝しげに視線を向けてくる。「あれって今年の次席だよな?」「水の監督生の方が風の寮のエリアに何の用だ?」と囁く声が聞こえてくるが、この際気にしている暇はないので、構わず辺りを見回した。
……きっと枢機卿は、この辺りにいるはずだ。
唾を飲み下し、腰に提げた剣の柄を握る。
ネズミ狩りといこうか――そう言ったからには、サーシャ・デイヴィスを捕らえる役目はツェーデルが負ってくれるということだろう。ならば私は枢機卿を探す。
サーシャ・デイヴィス――本物かどうかは今はおいておく――は恐らく、第一王子ユリウスの命を狙っている。正確には、本当に命を取ろうと思っている訳ではなく、命を取ろうとする行動に重きを置いているのだ。そして、捕らえられたサーシャはこう答える――これは、第二王子殿下からのご命令である、と。
そうすれば簡単に第一王子と第二王子が敵対することになる。枢機卿の言う、『アルフィリア王家の潰し合い』が見事現実になるわけだ。
(くそ、早く見つけなければ。サーシャ・デイヴィスがいつ動くのかわからない)
私は唇を噛み、今まさにツェーデルが向かっているであろう王族専用席と、それからアグアトリッジとジークレインが戦いを繰り広げているリングの上を順に見る。
(『見物に来た』枢機卿が隙を見せるとするなら、サーシャがユリウス王子に刃を向け、捕らえられたその時のはず。その瞬間が一番、傍観者である枢機卿の愉悦が高まるときだ)
一般の生徒や貴族たちが観戦のために座る一般観客席と王族専用席は離されているが、正面にいればその様子がわかるかもしれない。さらに王族専用席は一般観客席とは比べて高い位置にあるが、一般観客席の最上段の席よりは僅かに低いので、立ち上がって背伸びをすれば王族専用席の様子が見下ろせるだろう。
この試合を、あるいは『ネズミ』の行動を見物に来た第二王妃や第二王子がどこにいるのかは知らないが、少なくともあの枢機卿ならば――。
「おい、リヴィエール、どういうことだっ」
せわしなく辺りを見回す私にしびれを切らしたのだろう、ついてきていたヴォジャノーイが苛立たしそうに声を上げた。
「ネズミとはどういう意味だ。サーシャ・デイヴィスが一体なんだ? どうして閣下は俺にデイヴィスの行方を探させた。お前が何か知っているんだろうっ」
「先輩、私のことは放っておいて、水の寮のエリアに帰っていてください。私は同じ寮の友人を探しているだけですから、こちらには構わず」
「それで納得できると思うか!?」
ヴォジャノーイが叫ぶように言う。しかし風の寮生達の視線を受け、少々気まずそうにしながらもすぐに口を噤んだ。
ツェーデルの様子から、あまり目立つのはよくないだろう、ということはわかっているらしい。……なるほど、孫とはいえツェーデルが動かそうというだけある。
「……リヴィエール、誤魔化さないで教えてくれ。今、一体このアカデミーで何が起きている? 何故新入生であるお前が閣下に協力しているんだ。そしてどうして俺にはそれが知らされず、お前には知らされている?」
「先輩が何をおっしゃっているのか、よくわかりませんが」
言外に話すつもりはないと告げると、ヴォジャノーイの顔がわかりやすく歪んだ。
だが、そう、これは監督生とはいえ一学生に知られていいことではない――今この場に、聖シャルル共和国の枢機卿が潜んでいる可能性があるなどと。王国騎士団でも、関係者しか知らない高位の機密なのだから。
「リヴィエール!」
「……閣下が、あなたにこれ以上踏み込むなとおっしゃっていたでしょう」 風の寮生達の顔を一人一人確認していくのを中断し、振り返ってそう言う。「つまり、この件に関して、あなたが何かを知る必要はない、ということです」
「っお前は……」
こわばった表情のまま、ヴォジャノーイが口を開いた。
「お前は一体、何者なんだ? クローディア・リヴィエール」
「それこそ」
私は目を細めた。「あなたが知る必要のないことです」
ヴォジャノーイが目を見開いて硬直するが、私は彼から目を逸らした。
そして――枢機卿を探す。
気配を消しているのか、それとも姿を変えているのか、いっこうに見つからない。聖シャルル共和国には魔法はないが、技術がアルフィリアとは比べ物にならないほどに発展している上、さらにこの国で禁じられている魔法薬まで出回っている。姿を変えることができていてもおかしくはないかもしれないが――。
(くそ、あの枢機卿なら、『面白いこと』がもっともよく見える場所に陣取っていると思っていたが……読まれていたのか? それとも、他に何かしようとしているのか?)
行動が読めない。真意が読めない。おおよそ同じ人間とは思えないような思考回路を持っているようなおぞましさが、あの枢機卿にはあった。あるいは、聖シャルル共和国の教皇や枢機卿をはじめとする高位の神官が軒並み『ああ』なのか。
やがて、観客席のボルテージが上がる。ジークレインとアグアトリッジの試合に決着がつかんとしているのだ。審判が手を挙げる。それまで、と声が張り上げられる。
「勝者、ジークレイン・イグニス!」
拍手が沸き起こる。
そして――轟音とともに、王族専用席に、眩い光が炸裂したのがわかった。




