003 齟齬
近衛騎士隊は、護衛とは名ばかりの、王太子の手足たる集団だ。
そもそも王族と、千年に一人現れるという救国の聖女しか持たぬという光魔法の力を振るう騎士団長ユリウスは、四人の聖騎士長と同等以上の戦闘能力の持ち主である。王太子という立場上護衛が必要というだけで、真の意味で最強の男を守れる者など存在しないのだ。
――ただし、近衛騎士に選ばれることで、各隊の幹部たる聖騎士に選ばれることとは別の名誉を得られるのは事実だ。
近衛騎士には、ジークレインのように完全無欠のエリートだけではなく、人脈・頭脳・意外性など、ある分野において突出した才能を持つ騎士が選ばれることが多いとされる。つまり近衛騎士隊は、近衛という理由から男のみしか所属できないものの――強さだけが価値とされない、騎士団唯一の特殊部隊なのだ。
つまり、近衛騎士になれた者は自分の長所を認められたことになり、騎士以外の道を示されることもある……高級官僚や国王直属の近衛など、進路が開けるのだ。
そんな異例の出世を果たすようになると、クロードはもう『落ちこぼれ』とは呼ばれなくなった。
今までクロードを疎んじていた兄のクロヴィスも、彼を認めるようになった。
あれほどの落ちこぼれだったお前が、よくぞここまで。
私の人を見極める目が、甘かったということか――。
『よくやった』、とそう初めて兄がクロードを認める言葉を吐いた時には、涙すら出そうになった。
……そう。
魔法がほとんど使えない落ちこぼれだったはずのクロードは、その時までは確かに夢に向かって着実に歩いていた。
何もかもがこれからよくなっていくと、その時のクロードは信じていた。
――悲劇の始まりは、姉・ノエルが任務中に不審死するという事件だった。
『どうして姉上が死んだ!? なぜ誰も真相を知らないんだ! 姉上はどう考えても誰かに殺されていた!
兄上は一体、何をしていたんだ! 何が水の聖騎士だ……! 兄上や水の騎士隊の者が殺したようなものだ!』
『口を慎め、クロード! ノエルが死んだのはアレ自身の力不足ゆえ。近衛騎士隊にいるとは言え、お前はリヴィエールの人間だ。水の騎士隊を愚弄するなど許さんぞ!』
『いいや慎まない! 騎士隊の人間がどうして仲間の死について口を閉ざすんだ!? そんなのおかしいだろう!
それに兄上は姉上が死んで平気なのか……!? 自分の妹なんだぞ!?』
上手くいくかのように思われたクロードとクロヴィスの間に亀裂が走ったその事件が起きたのは、クロードが17歳の時だ。
そしてさらにその一年後、クロードが家と国と決別する決意をするに足る、決定的な事件が起きる。
――フェルミナ・ハリスが、自身の仲間である土の魔法騎士隊に殺されたという情報が、クロードとジークレインのもとに入ってきたのだ。
彼女が殺されたのは、貴族制度を不満に思う勢力の蜂起をおさめる任務の途中のことだったらしい。報告書では、任務放棄・暴走により彼女は隊の聖騎士に『処分』されたことになっていた。
フェルミナが死んだ経緯は明かされなかったが、死の理由は暗黙の了解だった。
貴族たちは、平民であるにもかかわらず、頭角を現す彼女が疎ましかった。
だからこそ、任務中のどさくさに紛れて彼女を殺したのだ。
……また情報によると、何故か彼女の死体はハリス家に渡されなかったという――無惨に殺されていたため、家に返されなかったのだ。さらには、フェルミナの才能だけを欲していたハリス男爵が、平民の遺体などいらんし知らんと突っ返したのでは、という噂も流れた。
クロードは絶望した。
姉の死に続き、フェルミナの死の真相まで隠蔽する騎士団に。
平民というだけで差別されるアルフィリアの貴族社会に。
貴族と平民であまりにも差がある、苛烈な身分制度に。
そして何より、フェルミナを守ることも、大切な存在のはずの彼女の苦しみに気付いてあげることもできなかった自分自身に。
……そしてその翌月には、クロードは家を出て、騎士団をやめ、そのまま行方を晦ましていた。
王国の身分制度と、王国騎士団への憎悪を抱き――それらに反旗を翻し、王政を打破するための力を手にする、そのために。
そうしてクロードは、闇に堕ちた。
――さらにその五年後。
クロード・リヴィエールはアルフィリア王国騎士団に宣戦布告をし、王国史上最大の革命戦争を仕掛けたのである。
*
――つまりは、それが私だ。
思い出すだけで気分が降下するが、クロード・リヴィエールは、王国史上でも五指に入るであろう大犯罪者として暗躍し、国に戦争を仕掛けた。
そしてその革命戦争で、兄を始めたくさんの騎士たちを殺し……果てに、最期はジークレインを守って命を落とした。
故にありえないのである。
私は私であり、クロード・リヴィエールであり、間違ってもクローディア・リヴィエールなどという少女ではないのだ。そのはずだ。
絶望的な気分になりながら、屋敷を出て当てもなくフラフラと歩く。
一度も長く伸ばした覚えがないのにも関わらず、背中まである黒髪が歩く度に風に揺れ、それが一層絶望感を誘う。この年頃の自分は果たしてロングヘアであっただろうか。否。短髪である。クロヴィス兄上は肩口あたりまで髪を伸ばしていたが――。
「はあ……」
道端にあるベンチに腰掛けると、深い溜息をつく。
当てもなく歩いて走ってを繰り返していたら、いつの間にか王都の外れまで来てしまっていたらしい。
ベンチから、見覚えのある大公園の入口が見えてさらに気が滅入る――かつて師に剣を教わっていた場所だ。
屋敷から、王都の様子から、何から何まで記憶の通りで、先ほどから胃痛が酷い。
……タチの悪い幻と思いたい。
やたら長い上にアレンジの効いた走馬灯であると誰か言ってくれ。アレンジが効きすぎだが。
その場合人の人生を捏造しないでいただきたいと文句を言いたいところだが、実際にこの世界は走馬灯ですよと誰かに言われたら、その人の手を取って小躍りする自信がある。
……私は潔く地獄に往くつもりだったのだ。
頼むからとっとと死なせてくれ。
「もう、いっそのこと自ら死ねば全てカタがつくか……?」
だが残念なことに、今の自分には自死に使うための武器も道具もない。
……それに、不可解なことを残して死ぬのもいい気分ではない。
ままならない状況にもう一度溜息をつくと、私は大公園に足を進めた。
公園の入口を抜ければ見事に手入れされた薔薇の庭園が見えてくる。そしてそれを突っ切って真っ直ぐ進めば、開けた芝生の広場に辿り着く。
……やはり、記憶と何も違わない。
そう、かつて聖騎士を目指してきた時のクロードが師と修行していた芝生の広場こそ、ここのことだった。
「仮にここが過去の世界だとして……どうして私は生き返って、しかも女になったんた……?」
そもそも私はジークレインを守って死んだ。だが、どうやって死んだ?
……何故だろう。死ぬ間際のことをあまり思い出せない。
国に革命戦争を吹っかけた私が、ジークレインを守ったその経緯には記憶があるが――もちろん、あまり思い出したくないことではあるものの――その後のことがぼんやりしていて霞がかかっている。
あの時。
私が、クロード・リヴィエールが指揮する革命軍は、王都を防衛する騎士団を破り、王城の前に集う火の騎士隊と向かい合っていた。
そして、最年少で火の聖騎士長に上り詰めていたあいつと相対し、刃を交わし、言葉を交わし、そして……。
「そうだ、あの時……飛んできたんだ。攻撃が」
ジークレインに向かって。
風を切り裂いて飛んできたその攻撃は恐らく、魔法だった。だがその魔法は、当時騎士団を滅ぼすため古今東西の魔法について知識を得ていた私にも、見覚えのないものだった。小さい、光の弾のようなものが、高速で飛んできたのが見えたのを覚えている。
私は、咄嗟にジークレインを突き飛ばし、代わりに自分でその攻撃を受けた。
それで私は命を落とした。
だが――おかしいな。
ふとあることを思い出して、顎を触って首を捻る。
あの攻撃は、私の背後から、つまり革命軍の方向から飛んできたものではなく、
ジークレインが背にしていた王城の方角から飛んできてはいなかったか。
「……覚え間違いか?」
駄目だ、どうにも死ぬ直前のことを思い出すと記憶に霞がかかる。
私は本日何度目になるかわからない溜息をつくと、足下に転がっている細い木の枝を拾い上げ、左腰に当てるように持った。そして周囲に誰もいないことを確認してから、右手を木の枝の端に添える。
――居合いの構え。
国を飛び出してから、専ら私の武器は東の帝国から伝わってきたという片刃の剣・『刀』になった。そして私は五年間、アルフィリアで学んだ剣と、裏社会で学んだ東の帝国の剣術・居合いを、どちらも弛まず磨き上げてきたのだ。
この木の枝が愛刀であったなら、もっと容易に精神統一ができていただろうが、と思いつつ、静かに息を吸い込み、そして。
横に、一閃。
刹那、木の枝が僅かに黒く光る。
同時に、枝の軌跡と同じ形の"黒い弧"が飛び出し、大気を切り裂いて芝生の広場のその端まで凄まじいスピードで飛んでいく。
そしてその黒い弧は広場の端に位置する林の入り口にまで到達すると、手前の木を数本幹から切り飛ばし、最後は空気に溶けるように消えていった。
ドズーン!
切り飛ばされた木が腹の底に響く重い音を立てて倒れ、地面を揺らした。
「……なるほど。できることは"前"と同じという訳か」
筋力がないせいか多少威力は弱いが、と呟いて木の枝を地面に投げ捨てる。
――蒼月流抜刀術ウの型参番『草薙』。
かつて学んだ東の帝国の居合術をアレンジした“飛ぶ斬撃”だった。