030 近衛騎士隊仮入隊試験
*
「では」
私と、試験官を務める若い近衛騎士以外は、誰もいない会議室。
目の前の机には薄い冊子と真っ白の用紙が置かれており、目の前の壁には小さな時計が備え付けられている。
「――はじめ!」
秒針が数字の十二を指したと同時、鋭い開始の合図があった。
私は反射的にペンを取り、冊子を捲り、そして――。
「ほう、これはまた見事な」
学園長が手元の書類を見るなり、形のいい眉を僅かに上げる。
――マリア・アンディヌスによる学内の【マンティコアの涙】事件が収められてからおよそ二週間が経った頃。
私は、数日前の放課後に受けた仮卒業試験の筆記試験の結果についての報告を、学園長室にて受けていた。
「ふむ……君は確か以前、どちらかと言うと頭を使うより体を動かす方が得意なのだ、と言っていませんでしたか?」
「性質としては、頭を使うのはそこまで得意な方ではありません。ただ、まあ、学問も策謀も、死ぬ気で訓練をすればある程度はどうにかなるということですよ」
私は、ジークレインに比べるといい出来だとはとても言えなかった頭の中に知識を叩き込んだ『クロード』のアカデミー時代と、知識も策を練るやり方も身体に物理的にたたき込まれた裏社会での五年間を思い出し、そう言う。
「成程」
私の言葉を受けて軽く頷いた学園長が、手元の書類を表に返し、私に見えるようにして執務机に置いた。
「――仮卒業試験の筆記は満点です、クローディア・リヴィエール君。君の筆記試験の合格を認めましょう。次は実技試験に臨んでください」
「ありがとうございます」
まあ、当然だろう。
そう思いつつも頭を下げ、私は合格通知書と共に紐で綴じられた自分の答案用紙を見下ろす。点数の記入欄には最高得点が記入されており、その横には学園長アレイスター・スケアクロウのサインがされていた。
異例の事態であるため、実際の卒業試験の筆記よりも難易度は上がっているが、求められている内容はあくまでアカデミーの学修範囲の延長に過ぎない。筆記のために読んでおかねばならない論文も易しいものが多く、レポートの作成もない。
近衛騎士だった頃にジークレインと受けたことがあるからわかるが、王宮に仕える官僚を目指す文官系貴族が通う大学の試験の難易度には遠く及ばない。あくまでもアカデミーは高等学院の扱いで、卒業したからと言って学位を取得できるわけではないからだ。
「ハッハ! よくやった、リヴィエール。まあ、お前さんならばこのくらいはやれるだろうとは思っていたが」
愉快そうに笑うツェーデルが、強い力で私の肩を連続で叩く。
私はさりげなくツェーデルから距離を取る。
「ウソだろ……まさか満点だなんて、こんな子供が」
眉間に皺を寄せてこちらを見ているのは、試験官を務めた若い近衛騎士だ。
年の頃は十八、九と言ったところだろうか。若いが、ツェーデルがわざわざ連れてきたと言うことは信用できる人間なのだろう――まあ私が顔を知らないということは、五、六年後には異動しているか死んでいるかしているのだろうが。
するとその、恐らくは信奉者であろう若い騎士が苦々しい声で言う。
「どうやって解いたんだ。到底信じられない。他の問題はともかく、最後の問題をこんなに完璧に解けるだなんて……」
「……というと?」
言っている意味がよくわからずに首を傾ける。
筆記試験最後の問題は、アルフィリア王国の古代魔法道具の解釈についての問題だった。確かに長い記述問題であり、厄介と言えば厄介だったが、最も難しい問題という訳ではなかったように思えるが。
「試験二日前に、新しい論文が発表されただろう。この問題は、その論文が発表される前に作成された。しかし、君はそれを取り入れてこの問題を回答しているじゃないか」
「え?」
「まさか、あの新論文に目を通していたのか? 大学の学生でもなかなか読みこなせない難解なものだぞ?」
なんだって? 新論文?
そんなものは知らない。アルフィリア古代については『前回』の得意分野だったため、その範囲は殆ど復習をしていないため、最新の論文になど目を通していないが。
そこまで考え、首を捻ったところで、ようやく気が付いた。
……そうか、ここで発表された新論文が、『数年後には常識になっていた』のか。
だから私は難なく、その『新論文の内容を取り入れた』満点回答が書けたのだ。
「……どうやら、認識を改めなければならないようですね。成程、君はやはり頭を使うよりは身体を動かす方が……」
呆れたような学園長の呟きに、ぐうの音も出ない。
『クローディア』となってから、自分の迂闊さを嘆く羽目になるのは一体何度目だろう。
やはり訓練を積んだところで、私の生まれ持った性質は肉体労働側なのか。
「フ、成程な。さすがは麒麟児という訳だリヴィエール。フフ、あらゆる分野の新論文に目を通しているとは。フッ、まあ歴史という学問は移ろいやすいからな、フフフ」
「……光栄です」
全く笑いを堪えられていないツェーデルのフォローに頬を引き攣らせつつ、未だ苦い顔をしてこちらを見ている若い近衛騎士に視線を動かす。
もはや騎士団長ではないツェーデルの指示に従い――もちろん、上司であるコンスタンティンに命じられた可能性もあるが――ここに来ているのだ。彼はきっとツェーデルが認めた『特例』である私をよくは思っていないだろう。
否、というより恐らくこれから同僚となるであろう多くの近衛騎士たちも、彼と同じように私をよく思わないはずだ。何せ、今の隊はツェーデルの信奉者が多い。
そのためにも、実技試験ではきちんと実力を見せなくてはならないだろう。
でなければ、私は近衛騎士隊に入ることが認められない――。
「と、いう訳でだ、ハース。お前がこれからこのクローディア・リヴィエールの、近衛騎士隊内での目付け役となる。いいな?」
……ん?
私はツェーデルの言葉に眉を寄せる。
……実技試験はどうした。
何故、当たり前のように入隊後の話がされているのか。
「……ですが、やはり閣下の御言葉と言えど、納得はできません。彼女は女ですし、それは男装をして誤魔化すにしても、何より子供です。近衛騎士隊に相応しいとはとても思えません。そう考えるのは、騎士隊内でも俺だけではないでしょう」
全くもってその通りの言い分である。
私の立場からすれば、彼の言い分を認めるのは多少の不都合があるが、言っていることが尤もであるために何もツェーデルに加勢できない。
……いやそれよりも、実技試験だ。何故実技試験の話を飛ばして目付け役がどうのということになっているのだ。
「その、彼女が性別及び年齢を飛び越えてまで近衛騎士隊に入る、という人材として相応しいかどうかについての実技試験を、これから行うのでしょうに。あなたがたはいったい何の話をしているのです?」
呆れたように言う学園長も、私と同じ疑問を抱いていたらしい。
すると若い騎士が「おや」とでも言いたげな怪訝そうな表情となった。
「彼女はもう、近衛騎士隊に仮入隊するのではないのですか? 俺は閣下からそうお聞きしておりましたが」
どういうことだ。
私がツェーデルにそう問う前に、学園長が疲れたような溜息を吐き出した。そして、じろりとツェーデルの方を睨みつけた。
「どうやら私どもとあなた方の間には、認識の齟齬があるようですねえ」
「ハッハ、そう怒るなアレイスター」あくどい笑みを浮かべ、片頬の肉を吊り上げたツェーデルが言う。「まずは話を聞け。状況が変わったんでなあ、コンスタンティンと話をつけてきたのさ」
「状況が変わった?」
「そう、だから実技試験なんて悠長にやってる暇はなくなった。学内で自由に動け、かつアンディヌスの人間から話を聞ける手駒を早く手に入れたい。故に、仮入隊という名目でこいつと組ませ、そこで任務を遂行してもらうことにした。そのでき次第で正式に入隊させるか否かを判断するという訳だ」
成程。
つまり、仮入隊し、彼と二人一組で行る任務の出来が、実質仮卒業試験の実技試験の代わりということになる訳か。
とはいえ、随分な強行策だ。ツェーデルは私の『中身』のことを知っており、年齢も性別も特に任務遂行に支障を来す要素ではないとわかっているからこそ『仮入隊での任務の出来』を合否の基準にするという案を持ち出せたわけだが――若い騎士にとっては子供と共に任務に当たれと命じられているようにしか思えないはずだ。
納得がいきません、というより、上司でもない癖に無茶な命令をするな殺す気か、と斬りかかっていってもおかしくないような無茶ぶりだ。そうしないあたり、彼も立派なツェーデルズであると言えよう。
とはいえ、だ――私は若い騎士とツェーデルに向き直る。
「わかりました。このクローディア・リヴィエール、正式な近衛騎士の方のご迷惑にならぬよう、任務に当たります」
悪いが、こちらとしても彼の不満をわかってやることはできても、それを汲み取ってやることはできない。
近衛騎士であった期間はあまり長くはないが、人生経験は多少私の方がある。
「これからよろしくお願いいたします」
「……」
黙り込んだ若い騎士の眉間には、海よりも深い皺が刻まれている。
彼の不満は至極尤もだ。ツェーデルに憧れていると言うのであれば、恐らく近衛騎士隊に入ることを長く目標にしてきたはずだ。しかし近衛騎士は他の四隊のように、アカデミーを卒業すれば自然と入ることができる訳でもなく、入隊基準も設けられていない。故に近衛騎士になれるかどうかは団長や近衛騎士隊副隊長の胸先三寸で決まるため、彼も近衛騎士になるには相当の苦労をしただろう。
しかし、頭の出来がいいだけの強さも曖昧なアカデミー入りたての子どもが、その近衛騎士隊にコネ入隊しようと言うのだ。不満があふれて止まらないというのも当然だろう。ツェーデルや学園長の前で、正当な不満とはいえそれをぶちまけない当たりが、やはり学生とは違う。
「近衛騎士隊所属マークス・ハース二級騎士」
「……はい」
「この度の特例に関して、お前さんの気持ちもわからんではないが、これは俺だけの決定ではなく、近衛騎士隊副隊長――コンスタンティン・ド・アルフィリアの決定でもある。上司たる副隊長の命令はしっかりこなしてもらわんと困る」
私は無言で、騎士団全体に多大な影響力を持つ父親に無理な決定を押し通され、苛立ちながら胃薬を飲むコンスタンティン副隊長の姿を想像する。
しかし若い騎士、マークス・ハースは違うことを思ったようで、唇を噛み頭を下げる。
「……心得ております。大変、失礼しました」
「いいや構わんさ。もとより無理を言っているのはこちらの方だからな。……だが、リヴィエールの目付け役は頼んだぞ、ハース」
「はっ」
「任務の詳細はコンスタンティンから告げられるだろう。決行日は次の休日だということは覚えておけ。退室して構わんぞ」
「はっ。では、失礼いたします」
そう応え、騎士礼を取ったマークス・ハースは私を苦々しい顔で一瞥したが、それ以上は何も言わず素直に学園長室を後にした。
そして、彼が去った学園長室に三人が残され――短い沈黙を破ったのは「勝手じいさんに振り回されて近衛騎士隊の皆は苦労されていますねえ」という、学園長の言葉だった。
「なんだ、アレイスター。その勝手じいさんというのは俺のことか?」
「閣下以外に誰がいらっしゃるのか、逆にお聞きしたいところですねえ」
「これは手厳しい」
そう言って呵呵大笑するツェーデルからは、反省の色は全く感じられない。
とはいえ、師匠が傲岸不遜な勝手じいさんであることは何年経っても変わりはしないので、今更それについて私が何か言うことはないが――。
「閣下。さすがに今回の予定変更は強行でしたが、そうしなければならなくなった『状況』というのは、一体何のことなんですか」




