022 マリア・アンディヌス
女になってしまった以上、女のコミュニティの中に飛び込まねばならないということは理解していたつもりだったが、甘かった。想像以上にきつい。
「それに、イグニス様とも親しげでいらしたし!」
「あら、そうなの?」
「いえ別に、親しいという訳では」
先輩がまた目を輝かせたので即座に首を横に振る。男女という立場上、あいつとおかしな噂が立っては溜まったものではない。
一生表に出すつもりはなくとも、私が想うのはただ一人、フェルミナ・ハリス。あくまでジークレインは親友だ。今のあいつはまだ友人にすら数えていないが。
「え、でも昼食を一緒に摂っていたじゃない」
「それは……」
向こうが勝手に割り込んできただけだ。
そう答えようとすると、暫くの間黙り込んでいたアンディヌスが不意に口を開いた。
「……デイヴィスさん、おやめになって差し上げたら? リヴィエールさんが困ってらっしゃるでしょう? ジークレイン様とは親しいわけではないと先程からおっしゃっているではないの」
公女の剣呑な口調と視線に、デイヴィスと先輩方が同時に固まる。
……しかし、口調こそデイヴィスを責めているものであるのに、彼女の敵意は私の方に向けられているように思えるのは何故だろうか。
「そ、そうよね。ごめんなさい、アンディヌス様、リヴィエールさん」
「わたくしたちも勝手に騒いでしまって……」
顔色を変えたデイヴィスと先輩方が、慌ててアンディヌスと私に謝罪をし、頭を下げる。そこまでしなくても、と私は困惑し眉を寄せる。一方アンディヌスは謝罪をされるのが当然と言いたげなすました顔で「あら皆様、わたくしのことはマリアでよろしいですわよ」と言い放つ。
公女の言葉を受けての手のひら返しが早すぎではなかろうか。何が起きたのかさっぱりわからないのだが。
「はあ。私は別に大丈夫ですが……」
「そ、そう? でもごめんなさいね。わたくしたち、ついはしゃいでしまって」
「あなたたちが、とても素敵な子達だったから……」
「そろそろいい時間だし、お開きにしましようか?」
いそいそと紅茶とお菓子を仕舞い出す先輩方の顔色は僅かに青ざめている。
……そこまで公女を怒らせるのが怖いのだろうか。
五年生と同じく公子であるヴォジャノーイが話をしていた時は、そこまで萎縮している様子はなかったようだが。
それとも女同士ゆえの何かがあるのか。
「では新入生の皆さん、先程それぞれの部屋をご案内したけれど、消灯時間までは自由時間ですから、私室で過ごすなり、浴場で過ごすなりして、好きにお過ごしになってね。明日からの講義に備えて、教材も私室で準備なさるとよろしいわ」
五年生の先輩が立ち上がると、妙な空気を変えるように明るい口調で、私達新入生に向かって言う。
デイヴィスはオドオドし、アンディヌスはツンと澄まし顔、先輩方は微妙に動揺。
アンディヌス公爵家に気を遣うような、何か特別な事情があっただろうか。アンディヌス、アンディヌス、はて――。
「では、これで歓迎会はお開きとします。皆さん、ごきげんよう」
先輩の言葉に周りが一斉に立ち上がったので、私もそれに倣って立ち上がる。空気が悪くなったからだろうが何だろうが、この貴族女性のサロンじみた空間から解放されるのであれば有難い。必要ないかもしれないが、消灯時間までに図書室に行き、アカデミー五年生の学習範囲をあらかた確認しておこう。
そんなことを考えつつ、皆に続いて談話室を出ようとした時だった。
「リヴィエールさん、少々よろしくて?」
こちらを呼び止めたアンディヌスの紫水晶の瞳が、苛烈な光を宿して私を見る。
ああ、そういえば。
「……おや、私に何か? アンディヌス公女」
アンディヌス公爵家の長女……つまり彼女の姉が、第一王子ユリウスの婚約者に決まっていたな、確か。
なるほど、先輩方含め、皆がご機嫌を伺う訳である。
未来の王太子妃の妹ということはつまり、数十年後には王叔母となる可能性も否定できない、限りなく王族に近い存在だ。不興を買えばそれなりに困るということだろう。
「リヴィエールさん。ジークレイン・イグニス様と親しくないと先程はおっしゃっていたけれど、今日一緒にお食事をしていらしたのは何故?」
「友人と昼食を摂っている時に、彼が来たので。それで流れでご一緒することになりましたが」
正確には、ジークレインが私とフェルミナの間に割り込んできた、だが。
まあ敢えて正す必要もあるまい、と事実はぼかして伝えることにする。
「あら、そうなのね? 流れで……」
しかし何故か彼女は多少なりとも機嫌を損ねてしまったようで、その声には棘が混ざった。 ああ、全くもって、女性の沸点がどこにあるかさっぱりわからない。
あるいは、この『わかりづらさ』はアンディヌスだけのものなのか。もしかするとただ私が鈍いだけなのか。
「それがどうかなさいましたか?」
「いいえ? さほど親しくない殿方とあまり仲良くなさるのは、騎士を目指しているとはいえ、貴族令嬢としてふさわしくない振る舞いかと存じまして。ご忠告差し上げようかと」
「……学友と食事をすることが『仲良くする』に入ると?」
確かに仲が良くない相手とは食事を共にしないだろうが、ありがたくも公爵令嬢からご忠告を頂くほどに常識から逸脱した行為ではないように思えるが。そもそも常識から逸脱した行為をあのジークレインがするはずがない。
アンディヌスの意図するところがわからず眉根を寄せると、彼女はあくまでも優雅な笑みを浮かべ「ええそうですわ」と言った。
「あくまでも男女に限りですけれど。同じ寮内であればともかく、他寮の殿方と同じテーブルについていれば、それなりに親しいものと思われてしまいますわよ。……ああそれとも、あなたは誰であろうとそういう振る舞いをするお方なのかしら?」
つん、と顎を上げて見下すような表情をするアンディヌスに、思わず素で「は?」と疑問の声を上げそうになり――そこで私はようやく気が付いた。
思い出した。マリア・アンディヌス、彼女は『前回』でフェルミナを何かと目の敵にしていた女だ。
「ということは、これは牽制……?」
「はあ?」
こちらの呟きが聞こえてしまったのか、アンディヌスの目が吊り上がる。
ああ、だがこれは間違いないだろう。彼女は私を敵視しているのだ。ジークレインと近しい女として。事実無根だが。
……まったくもって虫唾の走る話ではあるが、『前回』では、同期で異性に最も人気があったジークレインと一番親しくしている女と言えば、フェルミナ・ハリスだった。
『前回』のジークレイン (子供時代)は、自分以外のその他の実力を完全に下に見ていたために、『今回』のあいつ以上に同期にあまり興味を持っていなかったので、誰とも深い友人付き合いはしていなかった。しかしフェルミナのことは何かと気にかけていた。
それはジークレインに下心があったという訳でもなく、当然フェルミナにジークレインとどうこうなりたいという思惑があった訳でもなく――俺がないと言うのだからないのだ――単純に、平民でありながら優秀な彼女を気遣っていたからに他ならない。そもそもあの時、フェルミナと最も親しくしていたのは男女関係なく『俺』、クロードである。
とはいえ、誰かと深く関わろうとしない男が一人の女子を気遣えば、そこに何かがあると勘繰る者もいた。マリア・アンディヌス公爵令嬢はその急先鋒だったのである。
「牽制とは、どういう意味かしら?」
「ああ、いえ、これは失礼。アンディヌス公女はその、ジークレインを好ましく思っていらっしゃるのかと思いまして。それで私に声をおかけになったのかと」
な、と零してアンディヌスが真っ赤になる。
悪役顔、もといきつい顔立ちの美少女のご令嬢でも、こういった反応にはある種可愛らしさも見いだせるな――などと的外れなことを考えている私は、自分が無意識にジークレインのファーストネームを呼び捨ててしまったことに気づいていない。
「だ、だとすればなんだとおっしゃるのかしら? 確かにわたくしはジークレイン様は素敵な方だと思っていますけれど? あなたと親しいのかしらと思って、その詳細を尋ねてはいけないと言うの?」
「いいえアンディヌス公女。どうぞご随意に。あなたの好きなようになさればよろしい」
フェルミナが絡まれるくらいならば、自分が敵視されたほうが百倍ましである。
そしてジークレインと距離を取っていればあからさまに絡まれることもないだろう――これで何もかもが解決という訳だ。ジークレインと私とフェルミナが奇しくも同じクラスになってしまっていることだけが懸念材料だが。
……しかし。
「なっ……なんて無礼なの!? 魔法も使えない、半端者のくせに!」
「はっ?」
「覚えていなさい! 必ずその不敬な態度、後悔させてあげるから……っ!」
憤怒をその双眸に漲らせたアンディヌスは、低い声でそう捨て台詞を残すと、談話室を足音高く出ていってしまった。
……何故だ。一体何が起きた。




