017 アヴァロン峠の戦い
「……その通りです」
二人の命を救うこと、そしてこの国の身分制度を改善すること。私が地獄へ行くのはその後だ。
かつて王国に反旗を翻し、多くの人を殺めたクロード・リヴィエール。愚かだった自分の行いが間違っていたと気づいた今だからこその方法で、出来ることを探さねばならない。
それが今、私がクローディア・リヴィエールとして生きている意味だ。
「『夢の中』のクロード・リヴィエールは闇魔法が使えたようだが、お前さんはどうだ?」
「……使えます。ええまったくもって、不思議なことに」
「夢の中でのお前さんの憎悪がそれ程に大きかったということだろうなあ。現実の身体に影響を及ぼす程に!」
ツェーデルは大袈裟に肩をすくめると、口の端を吊り上げて私を見る。……何かとんでもないことを企んでいる時の笑みだ。その目で私を見るなやめろ。
……なんとも、面倒なことになりそうだ。逃げるか?
自由気侭な王国随一の大剣豪。彼を御すことが出来る人間を私は知らない。だからこそかつての私、クロード・リヴィエールは、彼が王国に不在だった時に事を起こしたのだ――ただまあ、この男の場合は、不在である時の方が多かったのだが。
果たしてツェーデルはそこでにやりと笑った。騎士の長であった男とは思えない程にあくどい笑みだった。
「――面白い」
ほら来た。
「リヴィエール。お前さん、闇魔法のこととその夢の話を他の誰かに伝えたことはあるか?」
「逆に聞きますが、あると思いますか?」
「宜しい。決めたぞ」
何がよろしいのかそして何を決めたのかさっぱりわからないが、それがこちらにとっては宜しくないことであることはわかる。
嫌な汗が背中を伝った。
「お前さんの実力がもはやそこらの騎士以上であるということは、あの入試の時に確認した。手加減していてもなお、あれ程の力……なるほど聖騎士長の一角と対等以上に戦ったと言うのも納得だ。闇魔法なしと言えども、そのアイの秘剣さえあれば、お前さんなら一級騎士をも降せるだろうよ」
「…………」
冗談ではない。辛うじて保っていた平静が剥がれ落ち、顔が思い切り引き攣るのがわかった。
……たった一撃、たった一撃だ。あれだけで闇魔法を使っていない時の実力を把握されてしまっている。
化け物め。
ボスといいツェーデル(この人)といい、私の師匠は尽く頭がおかしいのか。
「お前さんならアレイスターも納得するだろう。というよりさせる。そしてコンスタンティンもな」
「はっ? 何を――」
ツェーデルが更に笑みを深める。
そして言った。
「これから、お前さんを近衛騎士隊に入隊させる」
刹那、私は叫んだ。敬語も飛んだ。
「あんた正気か!?」
「ほぉ。それがお前さんの『素』か、クローディア……いや、クロード・リヴィエール。すかした大悪党の人格は後付けで、根本の性質は馬鹿正直といったところだな」
そう言い、ハッハッハと愉快そうに呵呵大笑するツェーデルを、歯を食いしばり睨みつける。
否、私の反応は間違っていない筈だ。この人が正気ではない、もといぶっ飛んでいるということは知っていたが、どうしてその結論に達したのだ。思考回路がさっぱり理解できない。
「なんだ、悪い話ではない筈だが? お前さんも、将来はどんな手を使ってでも近衛騎士になるつもりだったのだろう。騎士団内で最も諜報活動がしやすいのは近衛騎士隊だからな。騎士団内部のことを探るのも、裏社会を探るのも、同時に行える。お前さんの目的を叶えるために潜伏するには打って付けの場所だ」
「私が言っているのはそういうことではない!」
確かに私は、どんな手を使ってでもいつかは近衛騎士隊に入ろうとしていた。
だが――。
「私は十一歳だ。アカデミーの一年生だ。不本意だがまさに子供といった背丈だ!」
「まったく困った低身長だな。十六歳男子が身長百四十そこそことは……フフ」
「笑うな! ……それに、何より今は間違いなく私は女なんですよ。そう簡単にほいほいと入れる訳があるか、あそこは女人禁制の――」
「女? いや、いけるだろうまだ」
「あんた最低だな……」
男装をすればいくらでも誤魔化せる、そう言いたいのだろう。確かにそう、その通りである。
だがあくまで私は、『女』だ。非常に不本意だが、生物学的にはそれが事実。相手が元男とはいえいくらなんでもないだろう、デリカシーが死んでいるのか。
「というかそもそも、あんたはあくまで前騎士団長の筈だろう。今は第一王子ユリウス殿下が騎士団長を務めておられるはずだ。不適格極まりないこの私を騎士隊にねじ込むことなど、いくらあんたでも出来るはずがない」
「ハッハ! 出来るさ。ユリウスはまだ二十歳にもならない子供だぞ。実質力を持っているのは、副官であるコンスタンティンだ」
「あんた本当に最低だな……」
臆面もなく堂々と、『息子に圧力を掛ける』と口にするな。
――現近衛騎士隊副隊長のコンスタンティン・ド・アルフィリアはこの人の長男だ。父親と違い力はそこまででもないが、比較的まともな感性を持った男だ。
私も近衛騎士隊にいた頃に世話になったのでよく覚えているが、たしかに『前回』でも諸々規格外の父親に悩まされていた苦労人だったな。
「だが欲しいのだろう、情報が、伝手が。
そして一刻も早く知りたいのだろう、『夢の中』で何が起きたのか」
俺も知りたい、とツェーデルは言う。
「二度目になるがお前の『夢』は有用だ。今のアルフィリアは表向き平和だが、お前の厭う激しい身分差の他にも内憂はある。外患も当然ある。……この国には問題が多い」
「……だから早く、利用できるものは利用したいと。爆弾になりうるかもしれない私をも」
「その通り。俺は自分の信じたいものを信じるタチでな。だから、お前さんの『夢』が予知夢であると信じることにした」
そうだろう。
そして彼は、それが出来るだけの強さを持っている。
「……だが、今すぐに役立つとは言えない。私は確かにクロード・リヴィエールの人生を全て知っている。しかしこの頃の記憶は曖昧だ。十一歳なんて、自分の周りの狭い世界のことしか知らない頃だ。世界の情勢なんてそこまで覚えていない。……それに、その通りにこの世界が進むとは限らないでしょう」
「確かにそれはそうだな」
この世界とあの世界が平行世界であるという可能性は、この身体で目覚めたその日に考えたことだ。
フェルミナやジークレインと初めて会った時間も場所も異なるなど、ごく小さなところでも齟齬がある。似ているだけで違う世界なら、世界の情勢は私の知っているものとは全く異なるという可能性も出てくる。
「ではお前さんの『夢の中』で、この時期に起きた最も大きな事件はなんだ?」
「は?」
突然の言葉に眉を寄せると、ツェーデルは学園長の執務机に身体を寄りかからせ、「なあに」と笑った。
「違うならば違うと確認できればいい。『夢』はもちろん、俺はお前さんの『力』も欲しいからな」
「……強欲な方だ」
「ハッハ、今更だな。『知っている』だろう?」
私は本日何度目になるかわからない、深い溜息を吐いた。そして視線を上に遣り、遠い記憶を探る。
――クロード・リヴィエールが十一歳だった頃の世界はひどく狭かった。ろくな友人もおらず、仲良くしていたのはフェルミナくらいだった。……そして他の誰にも目もくれず、ジークレインの背中を追い掛けていたからだ。
そう、あの頃……アカデミー入学直後の私の世界は殆ど、家族とジークレインとフェルミナで回っていたと言ってもいい。故にその狭い世界の外のことなど、殆ど知ろうともしていなかった。
だが、それもアカデミー高学年になってからは別だ。
学問に精を出し、ジークレインのライバルとして周囲に目され始めてからは、歴史や世界情勢も学んだ。アカデミーの上級生として、実際の遠征に同行したこともあったくらいだ。
その時には、子供の頃に起きた事件を調べたはずだ。思い出せ、何があったか。
「……そうだ、アヴァロン峠の戦い」
呟き、私は目の前のツェーデルを見た。
「今からおよそ一年後、ユリウス殿下の王太子位叙任式がありますね?」
「ああ。ユリウスが十八になるからな」
「その前夜、騎士団の一部と聖シャルル共和国の軍がアルフィリアと隣国との国境アヴァロン峠でぶつかり、双方から多数の死者を出した。
――私の『夢の中』ではそれが、アヴァロン峠の戦いと呼ばれていました」
ツェーデルが片眉をぴくりと動かす。
「……聖シャルルとの小競り合いがあったと?」
「規模と期間からしては小競り合いでしたが、死者数は小競り合いの域を遥かに越えていましたよ」
「それが起きた原因はなんだ?」
「詳しいことは、私にもわかりません。そもそも調べた当時はアカデミーの最高学年か近衛騎士隊の新米だった頃なので、そこまで本気で調べてはいませんでしたから」
それに、あの戦いに関する資料はひどく少なかった。
意図的に消されているという可能性を疑ったほどだ。
「ただ……仕掛けてきたのは聖シャルル共和国だったと記録されていたように思います」
敵の目的は、ユリウス殿下の王太子位獲得を邪魔するために、叙任式に攻め入ること、ということになっていた。
確か、軍の一部隊が密やかに行軍していたところを、国境を警邏していた火と風の騎士隊に見つかり、衝突したと。
「アヴァロン峠の戦いで、火と風の騎士隊はそれぞれ多数の死傷者を出し、二隊とも大きなダメージを喰らいました。立て直すのに時間がかなり掛かったとされていましたね、確か」
「だが向こうはあくまで少ない数で行軍してきたのだろう?王太子叙任式の国境の警邏にはかなりの数が割かれる筈だ。そこまで被害を受けるものなのか?」
「それが……聖シャルルの新兵器が投入されたとかで」
聖シャルル共和国は、二千年前の聖人シャルルを崇拝する、聖シャルル教という一大宗教を国教とする宗教国家だ。王も貴族もいないが、全国民平等を謳っている割には教会での役職の上下により身分差が激しい国である。
魔法を使える人間はいないものの、技術力があり、他国と比べて文明が遥かに進んでいると言われている。……言われている、というのは基本シャルル教信者でなければ入国することは出来ない秘密主義の国だからだ。
ちなみにシャルル教を信仰することは禁じられていないので、信者はこの国でも多くいるが、あまりそれを大っぴらには言えない雰囲気はある。
何故なら、アルフィリア王国が建国された数百年前から長いこと、我が国と共和国の仲は最悪だからだ。
うーむ、ツェーデルが唸る。
「聖シャルルの新兵器か……これは穏やかではないな。それで多くの人が死ぬと。全く嫌になる」
「詳細は本当に何も知りません。もしかしたら、事件自体があやふやなので、文献の内容も適当なものかもしれない」
「戦い自体がなんらかの目的を持って、王政府による誤発表されたものだった――いや、流石にそれはないな。国王も大概性悪だが、王太子の叙任式を利用して戦いをでっち上げることはせんだろう」
「……あの。いくら自分の甥だからって、国王をアイツ呼ばわりは如何なものかと」
反王政府の急先鋒であった革命軍の長であった私が言えたことではないかもしれないが。
……ともあれ、アヴァロン峠の戦いが本当にあったというのは事実だ。
私は水の家の生まれであっためにアヴァロン峠の戦いとは殆ど無関係だが、確か知っていた人間が戦死してしまったはず。一体誰が死んだんだったか。
そこまで考え、私はハッと息を呑んだ。
「どうした、リヴィエール」
「――アヴァロン峠で死んだ重要人物を、思い出しました」