015 アルティスタ・ファミリー
「これは幼い頃から見ていた、長い夢の話ですが」
そう前置きして、私は話を始める。
言わずもがな、嘘である。
*
「なるほど」
私の話を聞き終わり、ツェーデルはただその四文字を言った。
まさか、一度目の人生のことを洗いざらい吐かされることになるとは。
この人相手に嘘が通じればどれ程良かったかと思う――しかし、ツェーデル・ド・アルフィリア前騎士団長閣下は言わずと知れたビックリ人間もとい傑物である。人生二度目とはいえ、一度目も含め、二十年半ばほどしか生きていない若造が騙せるような男ではない。
「お前さんは夢の中では俺と、そしてアイの弟子であったと。ほお〜……ん」
「ええ。夢の中では」
あるいは本当に夢の中だったのかもしれないが。
否、私にとっては未だこの世界の方が、夢のようなものに思える。尽く失い、奪い、それ故に憎悪に狂った記憶が鮮明に残っているからこそ。
「姉を失い、愛した少女を失い」
「ええ」
「アルフィリア王国を裏切り、国の外れの貧民街に身を隠し」
「ええ」
「裏社会に足を突っ込んだその先で、あの女に出会った」
「……ええ」
まさにその通りだった。
――フェルミナを失い、王国騎士団から逃れ、王都を出た直後の記憶は実はあまり覚えていない。
闇魔法に目覚めたばかりだったためか、あるいは王都を出て貧民街で暮らしたせいか、その頃は気分も体調も最悪だったからだ。
隣国である小国は、アルフィリアの敵国である聖シャルル共和国の侵略を受けていたために大変貧しかった。そして私……否『俺』がいた王国の外れの貧民街は、その隣国の領地に極めて近いところにあったため、一日生き延びることすら大変だったのである。
私もそれなりに苦労して生きてきたつもりでいたが、あくまで自分は貴族としてのうのうと生きていたのだ、ということに気づかされた日々だった。
それまでは知らなかった。焼け付くような喉の乾きを。
それまでは知らなかった。狂いそうな飢えを。
……今思い出しても、この時ほど水魔法が使えない己を呪ったことはなかった。
骨と皮になって死んでいく者達を大勢見た。骨と皮だけになり、がりがりに痩せているのにガスが溜まった腹だけが膨らんだ餓死者の死体をも。
胃の消化液が空っぽの胃や腸壁を溶かしたのか、飢えた子どもたちは皆、身体から血を流して死んでいった。
貧民街には、いつも饐えた臭いが漂っていた。貧しい故の不衛生さから、だけではない。
それは、何も無い、何も持たない、全てを奪われ、虐げられた者たちの発する不幸の臭いだ。そして、理不尽な支配を受ける者達の、そして私達貴族が決して人生の敗者として括るべきではない者達の、諦めの臭いだった。
「ボスに会った時のことはよく覚えています。違法な薬物に手を染め子どもたちを労働に駆り出していた、帝国と繋がりを持つ貴族を闇魔法で暗殺した日。アルティスタ・ファミリーの構成員とバッタリ出くわした」
「なるほど、殺しの予定がバッティングしたと」
「そういうことですね」
その構成員は、その時殺した貴族を殺しにやってきた暗殺者だったのだ。アルティスタのナワバリに首を突っ込んできたその貴族を粛清するために。
アルティスタ・ファミリーはこの世界の何処にでも支部を持つという、世界最大規模の犯罪組織だ。基本的には国際法違反の薬物や、人身売買というような、極めて悪質な犯罪には手を出さないということになっているが、何分巨大な組織であるため一枚岩ではない。世界に散らばる彼らのナワバリの、各支部長の方針も異なるため、ほぼ表の組織と変わらないクリーンな商売をする支部もあれば、平気な顔で生身の人間を富豪に売り捌くような支部もある。
「確か帝国支部の構成員は暗殺者が多かったな」
「はい。というより、ボスを筆頭に頭のおかしい戦闘狂が多かったですね」
特にボス――アイは強かった。
魔法を使わずに涼しい顔で、そもそも刀ではなく包丁で分厚い鋼鉄を斬るような超人だった。
教えを乞う時、何度ボロ雑巾のような有様にされたかは最早数え切れない。ツェーデルもツェーデルでスパルタだったが、そっちの鍛錬の方が百倍ましだった。
「さっきからお前さん、アイをババア呼ばわりしたりバーサーカー呼ばわりしたり、そこそことんでもないな」
「バーサーカーとまでは言っていませんがね」
「だがアレを語るのにそこまで気安い。それなりに気に入られていたと見える」
「……貴方ほどではないさ」
だが、まあ、それもおそらくそうなのだろう。
図らずもアルティスタ・ファミリーの獲物を奪ってしまった私を殺さずに引き取り、手元に置く判断を下したのは、他ならぬアイだったのだから。
ボスは年の頃十二、三の黒髪の少女だった。より正確には、十二、三にしか見えない容姿を持った怪物だった。
老いを止める魔法などここには存在しないにもかかわらず、何故何十年も少女の姿のままなのかはわからないが、とにかく彼女は幼げな姿のまま、近衛騎士である『クロード』を修業の名の下に何度もぼろ雑巾にした。その時、生粋のサディストである彼女は、常に愉悦であるという顔をしていた。
……私は常に彼女から技術の教えを受ける時、戦闘狂の糞婆、と騎士らしくない罵詈雑言を胸に秘めていた(というより、口にすればおそらく三枚におろされた)。
しかし確かに、彼女の下にいて私は強くなったのである。
「三年ほど彼女の元で修業し、蒼月流を一通り修めたのちは、アルティスタの帝国支部で培った裏の人脈を使って、革命派をかき集めた。王政反対派は大体手駒にしたし、軍のために邪魔になりそうな人間は排除した」
ボスの下で学んだのは居合術だけではなく、裏社会での世渡りもそのうちの一つだった。
彼女の側で、私は各国の裏社会の人間を間近で見、さらには独自の人脈を着々と広げていた。
邪魔者はうまく排除する方法も、闇で暗躍する方法も身に着けた。
ボスは闇にずぶずぶと浸かっていく私を見ても止めなかった。愉快そうに笑ってこう言うだけだった。
『復讐? 好きにするがいい。お前は自由だ。
何もかもがお前のものよ。復讐を果たす達成感も――これから人を殺す罪も、後悔もな。
自由に付随する責任も全て背負わんとする弟子を止めるなど、この我がするものか』
それからは本当に、大勢殺した。
その中には兄も含まれていた。
貴族を殺し、身分制度をなくし、アルフィリア王国というものを根こそぎひっくり返そうとした革命戦争だった。それは決して正義などではなく、愛するものを奪われた私の復讐心によって起こされた、王国全土を巻き込む殺し合い――。
彼女の言う通り、全ては私のものだった。
覚悟を引き換えに、誰かの命を踏み躙る罪も責任も、全てが。
「……だが、そうまでして王国に仕掛けた革命戦争を、お前さんはやめたのだろう。それは何故だ? 今までの話を聞いていると、お前さんは一度狂えば死ぬまで狂うタイプだ。親友を前に情に駆られ、信念を曲げるようなタマではあるまい?」