014 ツェーデル・ド・アルフィリア
何故何どうしてなんでどういうこと。
水の寮の監督生の後に続いて本校舎の奥に位置する学園長室を目指して歩きながらも、私の頭の中では幼児のように疑問符が飛び交っていた。
ツェーデル閣下とは、あのツェーデル閣下であろう。
入試に何故かちらと顔を出し、私を盛大に悩ませた『かつての師』――ツェーデル・ド・アルフィリア。
傍系とはいえ王族で、かつ前騎士団長でありながら、引退後は世界中をあちらこちら歩き回ってはどんなところにでも知り合いがいるという型破り極まりない大剣豪。
……大御所にして自由人の代名詞であるあの男が、今やただの新入生でしかない私に、一体何の用だと言うのだ。
「ここだ」
ぴたりと足を止め、ヴォジャノーイがこちらを振り返る。
「リヴィエール、俺はここまでだ。案内しろと言われただけなのでな」
「そうなのですか?」
目の前には豪奢かつ精緻な装飾が施された、重厚な扉。
その様相はまるで、王族の私室に続く扉だ。
「お前が水の新入生だからと、水の寮の監督生である俺に、お前を呼び出してくるように、と命が下っただけだからな。……リヴィエール、お前は今年の次席入学者だという話だったか?」
「ええ、まあ」
「失礼を承知の上で言わせてもらうが、あの水魔法の名門・リヴィエール家に生まれたにも関わらず、お前が魔法の才がなかったという話は俺も知っている。……お前は一体、あの入試で何をしたんだ?」
顔を上げる。
向けられていたのは、不審感を湛えた目だった。
まあそうだろうなと他人事のように考える。最高学年とはいえたったの十五歳では、得体の知れない存在(子ども)を訝しんでも、それを完璧に隠すのは難しいだろう。
「別に、何も」
だからこそ私はそう答えて、目を伏せた。そう、私は意図的には『何も』していない。ガブリエル・ディクソンに尻餅をつかせ、挙句の果てに失格になるなど、全くもって予定外の結果だったのだから。
強いて言うならば、自分の力のコントロールを盛大に誤るミスをした。
「……そうか。では、ノックして入るといい」
「はい」
こちらの答えに、ヴォジャノーイは未だ何か言いたそうだったが――彼は一つ息をつくとそれだけ告げ、そのままその場を去っていった。
さて、と。
その背中を見送ったのち、私は学園長室の扉を見上げる。
相変わらず疑問と疑問符が頭の中で踊り狂っているが、仕方がない。気になるのは、あの時に聞こえてきた『アイ』という名だが――。
「クローディア・リヴィエールです。入室してもよろしいでしょうか」
「おお、入れ!」
ノックとともに中に呼び掛ければ、返ってきた声は学園長のものではなかった。
ああ、師匠が、この中にいる。
胃が痛んできたことに気づかないふりをしながら、私は大きく息を吐くと、「失礼します」と言いながら重い扉を押し開いた。
――果たして、彼はそこにいた。
着崩したシャツにジャケットの上に、薄手だが裾の長い濃灰色の外套を羽織り、大柄な体躯に見合う大剣を背負った男。
ひどく、既視感のあるその姿は。
「ツェーデル・ド・アルフィリア閣下……」
「閣下はなしで構わんぞ。俺は堅苦しいのは好かん」
……ああ、そうだろうな。
前世での私は、彼と初めて会った時にはこの男がまさか王族で、騎士のトップであったとは夢にも思わず、平然と『あんた』呼ばわりをしていた。しかし彼はむしろそれを歓迎していた。
全くもって、王侯貴族の常識からとことん外れた男なのだ、この人は。
「お前さんがクローディア・リヴィエールだな?」
「……名乗りが遅くなりまして申し訳ございません。ええ、まさに私がクローディア・リヴィエールです。早速ご要件を伺いたいのですが、その前に」
私はちらりと、学園長席を見遣る。
普段はそこで執務を行っているはずのロイヤルナイツアカデミーの長の姿がなかった。
「学園長先生はどちらへ?」
「ハッハ、追い払った。邪魔だったからな」
「邪魔」
「まあ気にする事はない、アレイスターはアカデミー時代からの俺の旧友だ。頼めば快く席を外してくれたぞ」
そうですかと答えながら、私は心中で溜息をつく。
この人と旧友をやっている学園長の心労が偲ばれるというものだ。
「さて、クローディア・リヴィエール。お前さんとは少し話がしたいと思っていてなあ。ここに呼ばせてもらった」
「前騎士団長ともあろうお方が、たかが一介の新入生になんの御用でしょうか」
問うと、ツェーデルの視線がこちらを捉える。
顔には笑みこそ浮かんでいたが、目は獲物を見つけた時の獣のようにぎらついている。
……ああ、懐かしい目だ。私はツェーデルから発される剣気を受け、全身の毛が立つ感覚を覚えながら、無意識に笑みを浮かべる。
王国の剣と呼ばれた男と過ごした過酷な修業の時間を思い出す。
獰猛であり、しかし冷静であり、退屈を嫌う孤高の獣。それが私の師匠だった――。
「そう、お前さんは一介の新入生。ハッハ、この俺の剣気を受けて尚愉快そうな笑みを浮かべる、一介の新入生だ」
「度胸には自信がありまして」
「そのようだ。……なら聞こう」
ツェーデルが一歩前に出る。
彼の青灰色の目と、私の瑠璃色の目が合う。視線が正面からぶつかる。
「お前さんは何者だ、クローディア・リヴィエール。
何故、その剣技を――蒼月流抜刀術を使える?」
は?
聞かれていることの意味がいまいち理解出来ずに、私は目を瞬いた。
ロイヤルナイツアカデミー入試の実技試験にて、確かに私は東の帝国に伝わる伝統剣技――蒼月流抜刀術(居合術)を使った。同盟国の剣術とはいえ、アルフィリアの騎士は知らない者の方が多いだろう。
だが、どういうことだ?
ツェーデルは諸国を旅するとんでも王族だ。居合の存在など珍しくもないはずだが、私が使っていることが不自然だということだろうか。
……なんにせよ、ここで他国のスパイが紛れ込んでいると思われてはたまらない。
私はあらかじめ用意していた言い訳を即座に口にする。
「我が家に出入りする東の帝国の方に、刀の使い方を教わったんですよ。その時に少し」
「ほお? 東の帝国の人間がお前さんの家に出入りするのか」
「はい」
「ま、確かにリヴィエールの現当主は騎士引退後は外交に精を出していたはずだから、それもおかしくはないだろうな」
何度か頷きつつ――ツェーデルはしかし、言った。
「……が、詰めが甘い」
「!?」
向けられたのは殺気すらも纏っていそうな鋭い視線。
じわ、と汗が背中に滲む。かつての王国最強の殺気を浴び、さしもの私も無意識に一歩後ずさった。
どういうことだ。今の答えのどこに綻びがあった?
ツェーデルと我が家に繋がりは一切ないはずだ。確かに私と近しい者に吐けばすぐ露見する嘘だが、ツェーデルに嘘を見破る手立てはないはずだ。
「……本当にリヴィエール伯爵家と、東の帝国の上流階級どもに繋がりがあるかどうかは俺は知らん。ただ、お前さんが、お前さんの家に来たとかいう東の帝国の奴にその剣を教わったというのは有り得んのさ」
「有り得ない、とは……」
「――その剣術、蒼月流抜刀術は、今やアルティスタ・ファミリーの帝国支部長・アイしか使えん筈の秘剣であるからだ」
……なんだと?
「バカな、そんなこと、ボスは『俺』に一言だって、」
「……『ボス』?」
「っ!」
しまった!
一瞬で全身から血の気が引いていく。
なんということだ。つい焦りで、とんでもないことを口走ってしまった。なんという馬鹿さ加減、相手はあの『師匠』だぞ。
ふざけるな、ここまで自分が迂闊であったとは。自分で自分が信じ難い。
確かに昔は、努力でどうにかなる学習面はともかく、頭の作りが大変残念だったことは認める。しかし裏社会にいた五年間で、私は『こういう場で』下手を打たない程度には成長したはずである。
それがこうもこんなに……くそっ。
肉体が変われば中身すらもそれに引っ張っられるというのか。
「お前さんの言うボスというのは、アイのことか? ハッハ、やはりお前さんはあの女を知っていたのだな!」
ツェーデルはその青灰色の目を弓なりにして、さも愉快げに笑い声を立てる。
完全に失言、失言も失言、落ちこぼれクロードの汚名躍如といったところだが……いや、まだ勝機はある。
「……私をどうするつもりですか? アルティスタ・ファミリーは世界最大規模のマフィアだ。そのスパイとして身元を洗い、投獄でもしますか?」
大変不本意なことではあるが、私は『クローディア・リヴィエール』だ。正真正銘名家の娘で、アルフィリア王国外には出たことがない。故に洗っても洗っても何も出てこない。
そう、私がマフィアに繋がりを持つことなど不可能なのだ。
いくら前騎士団長であり王叔父とはいえ、私が国外とおかしなパイプを『持てない』ということは、兄や父伯爵がよく知っている。
いくら冷徹なまでに怜悧な思考の持ち主である兄や父とは言え、家の誇りを守るためにも私を守ろうとするだろう。家門に傷がつくのもよしとしないだろうと思われるので、蜥蜴のしっぽ切りよろしく放り出されることもないはずだ。
私は家の誇りなどには興味はないが、利用できるものは利用させてもらう。『リヴィエール』は私が目的を達成するための傘だ。
……私を投獄でもすれば、王家と騎士系貴族の四大名門家が対立することになる。
ツェーデルもそれがどういう意味かわかる、筈だが――。
「いやしないが」
「そうですか、なら、やってみ……は?」
私は再び目を見開く。
いや、さすがにあまりにあっさりとしすぎではなかろうか。
「投獄などせん。というか出来んし何より面倒だ。それにお前さんの身元など、俺が気になった瞬間に子飼いの情報屋にとうに洗わせたさ……が、何も出てこなかった。もーそりゃ、見事なまでになあ」
どこを取っても何を見ても名家の箱入りお嬢様。
アイと繋がりを持つなんて絶対に不可能だ。
そう言い、ツェーデルがおどけた仕草で肩をすくめる。
「――が、不可解は不可解」
しかし、ツェーデルの目は、未だに獲物を前にした獣のようにぎらついている。
「俺はあの女をよぉーく知っていてなあ。権謀の権化でありながら、気分屋で自由人の――だがもうそれはいい女だ。若さに拘りすぎて見た目が最早、子供なのがこれまた愉快でなあ、ハッハ」
「……、」
「しかしあの自由な女が大切にしている物がある。それがあの秘剣、『蒼月流抜刀術』だ。アイの強さの秘訣である東の帝国の居合術……あの剣はあの女のもの、そう簡単に他人に伝わる筈がない。
しかしその剣術を何故か、我が王国の少女が使っていた。はて、これは一体どういったことなのだろうなあ?」
説明して貰おうか、クローディア・リヴィエール。
そう低い声で言うかつての師が、片方の口の端を吊り上げて笑う。
……ああくそ、逃げられない。
私は鋭く舌打ちを飛ばすと、苛立ちのままに踵を床に打ち付けた。
「あの性悪糞婆が……」
そんな大切なことは予め言っておけ。闇魔法でなければどうとでも言い訳が利くと、とんでもない勘違いをしてしまっていただろうが。
吐き捨てた言葉に、ツェーデルは「アイをババア呼ばわりか! まあババアだが! ハッハ! 命を知らないらしいなお前さん腹痛ゲホゲホ」と言いつつ、盛大に噎せながら身体をくの字に曲げる。
一頻り爆笑してから、かつての王国最強が目を細めてこちらを見る。
「さて、聞かせてもらえるな? お前さんが一体何者なのか」
私は、大きく溜息を吐く。
最早、観念するしか道はないようだった。