少女は尋ねます。「幸せってなにかしら」と。
雪が降るようになりました。
少女は雪が降る季節が大っ嫌いでした。なにせ、寒いったら仕方ないのです。外での暮らしには随分慣れましたが、この寒さだけはいつになっても慣れません。
少女はへっくし、とくしゃみをしました。赤い鼻を擦って、今日も雪を凌げる場所を探しています。昨日は知らないおじさんの家に泊めてもらいましたが、変に体は触ってくるわ、ただでさえ薄い服を脱がせようとしてくるわで嫌になって逃げ出したのです。
叶うなら暖かい場所がいいな、と少女は思っていました。手がかじかんで痛いのです。
通りには街灯が照らされています。中にある火が暖かいものであることは少女も知っていました。
あの火が私のところまで落ちてこないかしら、と少女はいつも思っていました。
けれど、思ったところで暖かくもならないし、冷たい雪は肩にしっかり被さってしまっています。きゅう、とお腹も空いて少女はため息をついてしまいます。
ごはんを探しましょう、と少女は考えます。そんな時は路地裏に行くのです。
路地裏は沢山のゴミが落ちています。料理店の傍にはいつも暖かい食べ物が落ちています。たまに店の人に見つかると追い払われてしまうので、少女は慎重に足を運びます。
食べ物はあるかしら。
路地裏にやってきた少女はやった、と声を上げます。ゴミ箱の中からいい匂いがするのです。
だから少女はゴミを漁っては食べられるものを食べました。
そうしていると、店の扉がカラン、と音を立てて開きました。どうやらお客さんがでたようです。男と女の人で、暖かそうな服を着込んでいました。
少女が見つからないように隠れていると、ふたりがこんな事を話しているのを聞きました。
「幸せって素敵。こんなに暖かくて心が満たされるかのよう。私に幸せをくれてありがとうね」
「僕もだよ。本当に幸せさ。雪の寒さなんてまったく感じないくらいに」
少女は驚きました。少女は「幸せ」という言葉を知りません。辛いことも苦しいことも、楽しいことも嬉しいことも知っている少女ですが、「幸せ」というものは知らないのです。けれど、「幸せ」というのは暖かいというのです。そして、心という言葉も少女は知りませんが、満たされるというのならお腹でしょう。つまり暖かくなる上にお腹も満たされるのです。そんなものがあるなら是非とも欲しい。少女はそう思いました。
少女は考えました。「幸せ」とは何なのかしらと。どこで見つけられるのかしらと。
地下水道で膝を丸めながら少女は考えました。「幸せ」とは食べ物かしらと。物かしらと。
一日過ぎると雪はますます強くなりました。少し歩けばすぐに雪だるまになってしまいそうです。
雪で体が半分埋まりながらも少女は懸命に歩き道行く人に聞きました。「幸せってなんですか?」と。
道行く人の反応はそれぞれです。小さな乞食を無視する人、近づくなと追い払う人。
知ってるよ、とどこかへ連れていこうとする人もいました。けれど、少女は今日まで生きていく中でこういう人がいい人だった試しがないのを知っていました。だから、こういう時は必死に逃げました。
数日が経ちました。まだ少女は「幸せ」を見つけられていません。雪はますます強くなっています。もう少女では満足に歩けなくなるほどです。
「幸せ」探しよりも今日の家、今日のごはん。
けれども、こうも雪が降っては少女は疲れるばかりで段々、段々と動ける時間が少なくなってしまいました。
そうしてとある夜、ついに少女は倒れてしまいました。
意識が薄れていきます。音が消えていきます。雪の毛布が覆いかぶさってきて息もできなくなります。
途切れようとする意識の中で少女が思うことは「幸せ」があればきっと大丈夫なのに、というものでした。
少女が目を覚ましたのは、暖炉の火が焚かれた狭い部屋の中でした。薄汚れたベッドに寝かされていた少女にはここがどこかわかりません。覚えているのは雪の冷たさだけ。
やがて扉がキィ、と音を立ててひとりの男が入ってきました。少女と同じくらい汚れた格好で、手には蒸かした芋が2つ握られています。
男は少女が起き上がったのを見てみるからに安心したように顔を緩めました。
「お嬢ちゃん。もう大丈夫かい?よかった、よかった」
男は本当に嬉しそうでした。
男は話します。通りを歩いていたら埋もれていた少女を見つけたこと。見捨てることが出来ずに連れ帰ったこと。
少女は色んな人の家に泊まったことがあります。けれど、家の人はいつも少女に何かを求めようとしてきました。
だというのに、どうでしょう。この男は少女に何もしてきません。ただ、嬉しそうな顔をしているだけです。
少女は尋ねました。
「おじさんはどうしてそんなに嬉しそうなの?」
すると、男は答えました。
「それはね、お嬢ちゃんが無事だったからだよ。俺のような駄目な人間でも、お嬢ちゃんを助けられたことが嬉しいんだ」
「さぁ、冷めないうちにお食べ」と男は蒸かした芋を渡してくれます。ほかほかでした。
男は少女が食べている様子をにこにこと眺めていました。
不思議な感覚でした。なんだかむずむずするのです。こうやって見守られたことは今まで一度もありませんでした。
その後、少女は寝かされました。男は暖炉の火が途切れないように木をくべています。
男は少女に話しかけました。
「お嬢ちゃん、もし帰る場所がないならしばらくここにいなさい。外は随分寒いだろうからね」
この男は他の人とは何かが違うようでした。
そこで、少女はしばらく男と一緒に住むことにしました。
朝早くから男はでかけ、夜遅くなってから食べ物を持って帰ってきました。そのお陰で少女は毎日必死にごはんを探す必要が無くなりました。
男は少女に何もしませんでした。少女は不思議に思って尋ねました。
「おじさんはどうして私を住まわせてくれるの?」
すると男は答えました。
「それはね、お嬢ちゃんを守ってあげたいからさ。こんな駄目な俺でも、誰かのために何かをしてやれる。それがたまらなく嬉しいんだ」
少女にはよく分からない事でしたが、自分のおかげで男が嬉しそうにしているということは分かり、少女も嬉しくなりました。
男は色んな話をしました。自分が炭鉱で働いていること、最近知り合いに恋人ができたこと、一度だけ行った都会が煌びやかであったこと。
男の話はどれも少女の知らない世界でした。だから、少女は男の話が大好きでした。
やがて、そんな日々が十分にすぎる頃には少女はすっかり男に懐いていました。男もより少女を大切に扱っていました。
ある日、少女は尋ねました。
「ねぇ、おじさん。幸せってなにかしら? 私、幸せって暖かいもので満たされるものって聞いたの。食べ物なのかしら?」
すると男は難しそうな顔をして言いました。
「そうだねぇ、幸せってのは食べ物じゃあないね」
「じゃあ物なのかしら。どこで見つかるのかしら?」
「そうだねぇ、幸せってのは物でもないんだ。どこにあるかも分からない。しかも、幸せってのは人によって形が違うから、なかなか手に入らないものなんだ」
少女は驚きました。「幸せ」とはそんなにも見つけにくいものだったとは、と。
「けどね、俺は今幸せだよ。お嬢ちゃんと一緒にいれて」
「えー? おじさんは幸せを持ってるの? 私も欲しいなぁ」
すると、男は顔をしわくちゃにして笑いました。
「そっか。じゃあ頑張ってお嬢ちゃんの幸せを見つけてやらんとな」
その言葉に少女は喜びました。
それからまた日々は過ぎていきます。いつの間にか、少女はこういった日々が当たり前に過ぎていくのだと信じるようになっていました。
だから、段々と男の笑顔が減ってきたこと、そして、ついに少女の前で泣き崩れた時に不安を感じてしまったのです。
「ごめん、ごめんよ、お嬢ちゃん。炭鉱が閉じちまって、俺は仕事を失っちまった。この家の家賃も払えない。もうすぐ俺たちは家を追い出されちまう」
どうして家を追い出されてしまうのか、それは少女には分かりませんでした。けれど、男が謝る姿を見て、少女は無性に胸が痛くなりました。
「大丈夫、大丈夫よ、おじさん。だってお家にいられなくなっても、おじさんはいてくれるんでしょう?」
その言葉に男は少女を見て涙を流し、抱きしめました。
「ああ、いるとも。絶対にお嬢ちゃんを見捨てたりなんかあしない。見捨てるもんか」
少女が男に抱きしめられたのは初めてでした。その時に味わった気持ちは今までに無いものでした。すごく、暖かくて心地が良かったのです。
やがて、男の言うように、ふたりは家を追い出されてしまいました。雪の降らない、綺麗な夜の日でした。
「お嬢ちゃん、寒くないかい?」
少女は頷きます。そして、男の腕を抱きしめました。
「うん。不思議なの。全然寒くないの。おじさんといるからかしら、体がぽかぽかする感じで、お腹も空かないの。ねぇ、おじさん。これが幸せなのかしら?」
男はハッとして息を止めて少女を見ました。
そうしてやがて、一筋の涙を零して笑いました。
「……ああ、きっと、きっと、それが幸せなんだろうね。なら、じゃあ、俺は、その幸せを失くさないようにしなくちゃな」
通りをふたりは歩いていきます。
行き先はどこなのでしょうか。街に残るのでしょうか、街を出るのでしょうか。けれど、その先まで見ようとするのはいけないことなのでしょう。
ふたりは「幸せ」でした。もう物語を見守る必要も無いでしょう。
きっと、ふたりはこれからも「幸せ」でいるでしょうから。