ライフ
自分自身と向き合うカヲルを主人公に描かれたノンフィクション。
主人公の生まれから現在にかけての日々を描いた生活が明らかに。
私は1988年夏に産まれた。
私には姉が1人います。
まだ物心が付く前に母は父親と離婚した。
母からは父親がどのような人か聞いていたがまるでドラマの用だった。
姉は2歳、私は0歳の頃に母と父が喧嘩をして、姉は走って逃げたが、私はまだハイハイだったため父に抱き抱えられ車に乗せられた。
母は必死で私を取り戻そうと寒い冬、雪も積もっている中靴も履かずに外へと飛び出し父の車を追いかけた。
赤信号で止まっている父の車から私を降ろし家へと戻ったと聞いた!
その話だけでもドラマみたいだ。
ある日姉と二人でトイレに向かった!
父が成人向けのビデオを見ていたらしい。
姉と私はそれを見てしまい口封じに姉と私は殴られたと姉から聞いた。
母は義母からは嫌われていてカビだらけのパンを無理矢理食べさせられ腹痛で病院に運ばれたとも聞いた!
なんて意地悪なんだろう!
よく母も我慢したな!っとも思ったが、母も今思えば大袈裟に話していたのかもしれない。
そんな母は51歳のまま歳をとることはなかった。
父と母が別れたのは私がまだ2歳の頃だった。
ここからは私の記憶である。
2歳児にしては衝撃だったのであろう。今でも覚えてるたった1つの父の記憶。
前後の記憶は無いが、私は祖母の家にいた!
「パパが来たから隠れなさい」っと、祖母の声
私と姉は急いで祖母の部屋である1階の和室に逃げ込んだ!
そして私と姉は祖母の洋服タンスに隠れた。
ここからは居間の風景が見え、酔っ払って怒鳴り入ってくる父の姿が見えた。
「子供どっちかよこせ」っと父が言った。
必死で母と祖母は止めていた!
祖母が大きいお腹で父を押しているのが見えた。
私と姉は震えが止まらなかった。
その頃の記憶のせいか私は男性が怒鳴った声、怒っている仕草がとても不快になり、怒らせまいと機嫌を取るようになった。
私と姉はスクスク育った。
母は夜も働き父親が残した借金を返済するため頑張った。
その姿を見ていたのだが、まだ小さい私は母が夜も居ないことに寂しさを覚え毎日のようにお漏らしをしていた!
私が小学3年生頃には母は夜だけのお仕事になっていた。
私は母をママと呼んでいる。
ママっ子だった私はいつも一緒に寝ることになった。
だから姉は母にくっつきたくても、甘えたくても、私がいるから甘えられなかったのだと思う!
私が小学生5年生の頃、母と姉と私の3人で暮らすようになった!
朝と昼は寝ていて、夕方前に起きてきてご飯の用意をしてくれる母
。
早くに仕事でいなくなったり、帰ってくるのが遅かった時もあったが小学高学年ではお留守番もできるしあまり気にもしなくなった!
私は姉とはよく喧嘩するがその頃はまだ一緒に遊んだりもしていた。
私が小学6年生の頃には姉は中学2年生。悪い人たちと関わるようになり、夜でもお構い無しに友達が家を出入りするようになった。
言わば溜まり場と言うやつだ。
私はいつも姉の友達が来てうるさくて寝られず、母に電話したり祖母に電話したりしていた。
そうするとすぐに母が帰ってくるか、祖母が来てくれた。
その頃から何でもすぐに姉の事を報告する私の事を姉は嫌い始めていた。
私は昔から貯金が好きな為姉からお金を貸してと言われることも多々あった。
最初は貸したが、返ってくるわけもなかった。
2度目は断った
姉は激怒し包丁を片手に「殺すぞ」っと言いながら向かってきた。
私はとっさに自分の部屋に隠れたが引き戸が二枚有るため両方押さえるのが必死だった!
その内私も知恵が付いた為、引き戸の片方は棒で開かないようにした!
ある日夜中に姉の泣き声が聞こえた。
部屋から出てみると右側に姉の部屋があるのだが母が腕を組んで立っていた。
壁には穴が空いていて黒いじゅーたんには姉の血液がたっぷり浸っていた。
良くみると姉の髪は金髪になっているし、顔からは鼻血が滝のように出ていた。
ついに母の雷が落ちたらしい!
姉が泣いてる中、母が私に優しく「寝てなさい」っと言ってきたので私はそのまま部屋に戻り何事も無かったかのように寝た。
朝起きると姉は居なかった。
母は姉にプレゼントしたネックレスをちぎってしまったのと、殴ってしまったことに心も手も痛かったのだろう、睡眠薬を飲んでいるのに2重に見えるネックレスを必死に直そうとしていた。
私は母のそんな姿を見て胸が苦しかった。
姉は中学2年生にも関わらず家を出ていってしまい私は夜1人になることが多くなったがゲームが好きだったため、常にゲームをしていた!
母は姉の事を心配しながら仕事も頑張りいつもお酒の臭いをして帰って来ていた。
そんなお酒臭い母が大好きだった!
母からは、ハンバーグ、オムライス、カレーライスを教えてもらったのもその頃だった。
私は母が夕方に作ったご飯を夜に食べることが多かったのでいつも冷えたまま食べていた。
なぜだか冷えてくっついてすすれない焼きそばが大好きだった。
風邪を引いても、熱が出ても這いつくばってでも仕事は休まないと一生懸命な母を見て、私もこうゆう人間になりたいと思った。
その一方、私は姉の事も憧れていた。
若い頃はイキッてる人、非行を犯す人、タバコを吸う人などがかっこ良く見えるものだ!
中学1年生の頃隠れてタバコを吸ってみた。
咳は出るし臭いしこんなの吸えたもんじゃない!
私はそれを誤魔化すのにタバコを肺には入れずに吹かした。
今ならなんとも勿体ないと言える吸い方だ!!
頭は悪かったが学校は毎日行った。
夏になるとアタックキャンプと言う少年少女の集まるキャンプに参加した。
そこでもイキッてる人はいた!
私は3泊4日のキャンプが初めてだったし、周りの子はみんな中学1年生から中学3年生までだった。
好きな男の先輩も出来た!
私にとって初恋だったが、3日目の夜に当時流行っていた学校へ行こうと言う番組の未成年の主張をやることになり、私は初めての告白をして、初めてフラれた。
フラれるのは悲しくなかったが、その後に違う女の子が私の好きな先輩に告白をした!
答えは「よろしくお願いします」だった!
初めての失恋は恥ずかしさで幕を閉じた。
その頃からプリクラも全身を撮れるくらいのクオリティに上がっていた。
私はお小遣いは欲しいときに貰えていたが、足りなくなったら母のお金を少額だが盗むようになりプリクラを撮りに行くようになった!
母には彼氏がいてとても良くしてくれた。
時期に父親になる人だ!
中学2年生になり母の彼氏と住む事になり、私は住み慣れた地域を離れなければいけなくなった。
嬉しくないが母が幸せならいいと思った。
春休みだった為しばらくはアタックキャンプで知り合った先輩となんとか遊びたくて、会いたくて良く連絡をして遊びに行った。
会いたいけどお金も無かったためあまり遊べないと気づいた頃には母の彼氏の財布からもお金を盗むようになっていた。
先輩に海のキャンプに誘われ、前の学校の隣の学校だが、仲良くなったMちゃんを誘って一緒に行った!
1人では先輩と遊ぶのが恥ずかしかったため、よくMちゃんを誘っていた。
先輩は男性の友達と3人で来た!私はMちゃんと二人!
初めてで嬉しくてドキドキしてた!!
ふと見ると大きなペットボトルのお酒があった、それを先輩達は飲み始め、未成年だが関係なくタバコもお酒もしていた。
私も抵抗は無かったためお酒を飲んだ。
当時お酒を飲んだことがなかった為、飲み方も知らずにストレートで飲んでいた!
ふと気が付くと携帯がなかった。
酔っ払っている私はテントの中を探さず海の砂浜を探しだした!
記憶が断片的であったがその後衝撃な事態で目が覚めた。
携帯がなく泣きながらテントに戻ると、大好きな先輩は私の友達のMちゃんとキスをしていた!
同じ人に2度もフラれた
私は酔っていたのもあり号泣した。
Mちゃんはセックスの経験もあったのでキスも慣れていたみたいだ。
私はまだそんな経験もしていなかったので色気もなかったのであろう。
しかし同じ人に2度フラれるのは流石にメンタルが安定しなかった。
号泣してるしきっとその他の男性はうるさいのとめんどくさいとでも思っていたのであろう。
私は全く好きでもない、むしろ嫌いだなと思ってたTくんにいきなりキスをされた!
ファーストキスをあまりにも簡単に奪われてしまい私は更に号泣してしまったのを覚えている。
それからはどうでもよかった!
寝てる間胸を揉まれて居たのなんてどうでも良くなっていた。
次の日私は一緒に帰りたくなかったため母の彼氏から盗んだお金を使いタクシーで帰宅した。
働いた事がないとお金の感覚もおかしなものだ!
今ならタクシーで海から帰るなんて勿体ないことしないだろう。
私は先輩が好きなので誘われたらあんな経験をしたのにも関わらず会いに行っていた。
その内お金を貸してと言われた!私はまたお金を盗み貸した。
中学2年生には10万円と言うお金はどれ程の価値があるかなんてわからなかった。
春休みも終わり初めての新しい学校だ!
前の家からは距離的には車で15分の所に引っ越したが私からしたら来たことの無いところ!
新しい中学校も徒歩25分はかかるところだった!
前の学校は7分でついたのでとても行く気にはなれなかったが転校当日に仲良くしてくれた子が居たのでその子と学校行くことが多くなった。
しかし直ぐにも一緒に行かなくなった。
私は新しい学校の教科全てが前の学校の教科よりも遥か先に行ってしまっているのに気が付いた!
何もわからない!テストも白紙。
学校は遠いし勉強はついていけないことで嫌気がさしていた。
そんな時
学校の中でも勉強をしないで毎日遊んでる子達に誘われ仲良くなった。
学校サボって遊んだりもするようになり、すぐに夏休みが来た!
私は母に許しを貰って夏休みは髪の毛を金髪に染めた。
髪の毛を染めた途端、私は気持ちが大きくなった。
その内大好きな先輩の事もうっすらになっていた!
学校の友達から紹介された同い年の男の子と付き合うようになったがその彼氏はとてつもなく嘘つきでイキッてて女遊びが激しかった。
私は初めての彼氏だった為なんでも信じた!
私は当時仲良かった子がMちゃんとA子ちゃんだった!
MちゃんもA子ちゃんもセックスの経験があった。
新しい学校の友達もみんな経験があったため、私は焦っていたのだろう。
その彼氏に身体を捧げた!
だか、私も先輩の他に好きな人が居たので心が揺れてしまうことがあったので彼氏を責めることはできない!
だがしかし、MちゃんもA子ちゃんも私の彼氏とセックスをしたと言うことを聞いた!
私は彼氏を責めるよりも、友達を責めるよりも、自分を責めた。
私が弱いから、言うと友達じゃなくなるかもしれないから言えない、彼氏の取り合いになっても勝てる自信がない。
っと、思ってしまった結果
私は女の先輩に頼み、暴走族、言わばレディースの道に足を踏み入れた。
ヤンキーになったら私の彼氏に手出ししたら怖いっと言うイメージをつけたかっただけだった!!!
最初は頑張った!
大通りの地下のヒロシ前と言われた所によく暴走族が集まっていた!
そこに私もいたが、ほぼ集まるだけでたまに声出しと言う歩行者の妨げをしダミ声で自己紹介をすると言う今なら恥ずかしい行為をしていた!
考えて見ても毎週土曜日市電に乗り、片手にはレディースで使う旗をもっている!
こんな馬鹿げた恥ずかしい事が当時はかっこ良く見えていた。
私は彼氏と付き合って変わった!
当時母の悲しむ顔を見て心が痛かったことすら忘れてしまっていた。
私は姉に憧れていた所を間違って解釈していたのか、威張ってるのがカッコイイになっていた!
しかし姉からは「きもい」と言われていた!
彼氏から家出しろと言われ家出をし、彼氏の家にお世話になることになった。
その家はアパート二階建ての一番奥の部屋だった。
入った瞬間ゴミの山
ハエもたかっていて洗面台は食器にカビが生えていた!
恋愛は怖いもんだ!それでも私は引くことすらなかった。
彼氏のお母さんは若くして彼氏を産んでた為、当時32歳だった!
女性なのに解体の仕事をしてると聞きすごいなっと思ったのを覚えている。
家出したのはいいが、お金も無いため困っていると彼氏が親からお金を盗んでこいと言ってきた。私も盗んだ経験があるため抵抗すらしなかった!
親がいない時間に家に帰り、お金を取ってまた家を出る!
何とも親不孝ものだ!!
夜に中学生が出歩く為よく補導されては母が迎えに来て、また家出してを繰り返した。
次第に彼氏はガスを吸うようになった!
なぜ急にそうなったのかわからないが彼は私にも共有してきた!
好きだから断らなかった。
だけど記憶もなくなり幻覚を見て失禁する!時には嘔吐もあった。
私は嫌で断る事もあったがやらないとお腹を殴られた為怖くて続けた。
いよいよ限界になってしまい私は久しぶりに母にメールを送った。
(迎えに来て)
母からは場所を聞かれたため教えて迎えに来てもらった。
こっそりと彼氏の家を抜け出し車に乗った。
やっと帰れる!
だがしかし、向かった先は児童相談所であった!
「え?なんで?」私は母に聞いた
「勝手なことばかりして帰れると思うな」っと母に言われ、私は母に裏切られた気持ちでいた。
児童相談所には1ヶ月ほどいた、その中でもまた知り合いがいた。
楽しかった!友達もいて、同年代の男の子達や小さい子供もいた!
虐待された子供が何人もいたが、その頃は可愛そうとも思わずにいた。
1ヶ月の児童相談所が終わり家に帰ることになったが、母に聞かれたのが、「レディースはやめるでしょ?」だった。
「辞めないよ」っと答えた!
母は呆れたのだろう、無理矢理やめさせる事はしなかった!
ある日レディースの先輩に呼び出され車に乗せられた。
Hy先輩「これ吸いな?」
渡してきたのは透明の液体が入ったポリ袋だった!
シンナーだ。
私は断ると仲良くしてくれない、省かれると思い手を出した!
その後の記憶はない。
帰ってから吐き気に襲われた。
次第に先輩からの連絡が頻繁になりシンナーを進められ自らもするようになった。
悪い人たちとも関わるようになり友達が増えたしみんなやってるから怖くなかった。
学校にも行かなくなり学校の友達はみんな居なくなっていった。
でも新しい仲間がいるから怖くなかったしそれが仲間だと思っていた。
ある日先輩に呼ばれ言った先は知らない人の家だった!
そこには先輩と先輩の彼氏と知らないヤクザの人がいた。
先輩の彼氏は私も知っていたし友達感覚だったので途中二人きりにされたが普通に話していた。
当時DVDの普及はまだ進んでいなかったのでビデオテープだったが、無音だったためテレビデオと言われるテレビとビデオが繋がっているテレビをつけた!
中にはエッチなビデオが入っていてそれを見ていた。
私たちは二人とも好意をお互いに持っていないため流れていても興味で見ているだけでなんとも思わなかった。
そこにヤクザの人が覗き見をしていたらしい!
気付かなかったが、気付かれてても何とも思わなかった。
その後ヤクザの人に車で待っててくれと言われその人の車の中で待っていた!
すると先輩の彼氏はドライブしようと車を走らせた。
中島公園の周りをぐるっと回り、またヤクザの人の家の前に止まっていた!
するとうしろから警察がきた!
先輩の彼氏はまた車を走らせた。
しかももうスピードだ!
私はシートベルトをつけてないかなったのでとっさにドアの所に手を添えていた。
右へ急カーブして曲がりきらずに電柱に激突した。
一瞬の出来事で気付いたら救急車と警察がいて話を聞かれていた。
そのまま警察署に行き色々と訳のわからない事を聞かれた。
まず、その先輩の彼氏は無免許だったらしい。
それに車は盗難車だった!
私はなにも知らなかったので正直に答えた。
母が迎えに来て家まで帰る事ができた。
その日母は私に怒っていた!
次の日先輩から連絡がきて、先輩の彼氏にエロビデオを見せて私が誘ってたと言われた!
誘ってはいない!むしろ興味ないと言った。
「うちのレディースはやりまん禁止だから」と先輩に言われたがセックスをしていないのに『なぜ?』っと思ったが、先輩は私とタイマン(一対一で戦うこと)をしようと言われた。
私は先輩の彼氏の事をなんとも思っていないので手は出さないと言い、土曜日の集会へと向かった。
二人で歩き、どこでやる?って話になっていたが私は任せていた。どこでもいいけど私は手を出さないから!
そう心で言っていた。
すると先輩がチームの人に電話をし始めた!
「こいつの事ムカつくやつみんなこい!」
私は混乱した。
タイマンではなく、ヤキ(ただひたすら相手を殴る)に変わっていた!
後輩や同い年の友達もいたが、みんな断れなくてみんな私の事を殴ったり蹴ったりした。
その時に友達、仲間って何なんだろうと思った。
私は顔を蹴られて鼻が少し曲がった!不意に手で触るとカチっと音がして大量の鼻血が出て金髪の髪の毛は真っ赤に染まっていた。
寒かったのとアドレナリンが出ていたのか殴られてる最中は痛かったのかもわからない!
最後にレディースを辞めるかと聞かれた!
「辞めるならケジメつけないといけないからもうちょっとやるけど?」っと先輩に言われ、
もう殴られたくないので私は「辞めないです。」っと答え、その日は先輩が用意した知らない人の車で家まで送ってもらった。
次の日は激痛と血の匂いで目が覚めた!
しかし頭が痛いのでまた布団をかぶり寝た。
すると起こしに来た母が私の顔を見てびっくりしていた!
母いても立ってもいられず、私をレディースに入れてくれた先輩に電話をかけた。
母は怖い口調で先輩に怒っていた!
夜の仕事をしていた母はヤクザの知り合いもいたからか強気で先輩にぶちギレ、そして話をつけてくれた。
その時母に聞かれたが、「もうレディースやめるでしょ?」っと聞かれたが、せっかく出来た仲間と離れたくないのと、ケジメをつけなければいけないからまた殴られる恐怖に私は「やめない」っと答えた。
母は呆れていた!
次の土曜日、また集会だ!殴られた怪我も少しは良くなっていた。
そして気付かなかった、みんなから好かれてるのではなく嫌われてるんだと。
翌日また先輩からの電話がきた!
電話の内容が「AYさんの彼氏があんたの事好きとか言って別れたいって言ってきたんだって!お前また人の男に手出してるのか!AYさんがあんたをヤキ入れるから土曜日来いよ」
っと言う電話だった。
AYさんの彼氏は会ったことは何度かあるが対して話した記憶すらない!
これは私を辞めさせるのと、ボコボコにしたいからと言う理由での嘘だと気付いた!
私は母に相談をした。「もう辞めたい」と自分で決めた道だから続けると思ってたいた気持ちをコロッと変え、母にすがった!!
母はすぐに動いてくれた。
先輩に電話をして怖い口調で話し出した!
その時の母にはとても感謝をし、ありがとうと思ったが言えなかった。
私はごめんなさいと、ありがとうが言えない子になっていた。
母も母の彼氏も夜は居ないのでやっぱり私は1人!
寂しい気持ちもあり、友達と夜に遊ぶ事が増えた。
母にしてもらったことすら無かったかのように真面目になることはなかった。
ある日寝ているといきなり母に起こされた。
「おいで」っと言われ玄関に向かうと女性二人と男性1人がいた!
「ほら行くよ」
っと言われ、訳もわからず向かった先は中央警察署だった。
紙を出され、「今までした悪い行いの所にペケをつけて!」っと言われやってもいない項目までも悪い子ぶって印をつけた!
そしてそのまま鑑別所へ送られた。
母とは面会でしか会えなかったが毎週来てくれて話をしたが、私は正直に反省していることも言えなかった。
もう「シンナーも辞めて友達とも切るかい?」っと聞かれたときも正直にハイと言えず、私は「友達から連絡きたら出ちゃうし、シンナーも辞めてても進められたらやってしまうかもしれない」っと答えた!
そうして一ヶ月後判決が出た!
「児童自立自営施設に行ってもらいます」
そう裁判官が言うときには母は私の手を握りながら泣いていた。
私は何を言われたのか分からずそのまま個室へ戻された。
その後説明をされ気付いた!
家へ帰れないんだ!っと。
そのまま私はまた鑑別所へ戻され二人部屋から1人部屋へ移された。
爪で何度も肌を傷付けた!このまま死んでやろうとも考えご飯を食べないことに決めたが、小さな窓口からご飯が来たら、私は意思と忍耐力も無いため我慢できずにご飯を口へ運びいれた。
1週間1人で過ごし、そこから施設と言う名の教護院へ向かった。
お金でしか友達が作れず、本当の親友なんて居なかった私を母は全て新たに始めるために教護院への入所を余儀なくしたのだ!
自然に囲まれる場所でそこには本館と言う名の学校があり、寮は4つあり1つの寮の収容人数は最高で12人だったが14人になることもあった。
4つの寮では一つずつ名前が付けられていた。
すずらん、あじさい、しらかば、はまなす
私はあじさい寮に入ることになった。
部屋に入るとまず裸にされた!危ないものを持っていないかの検査だった。
それからは支給されたジャージに着替え本館へ行き、体育館で自己紹介をした。
髪の毛は真っ黒、前髪は眉毛より上で横切りされ、髪の長さも決められているので長い部分はブラジャーの紐までで切られてしまった。
私は嫌で嫌で仕方なかった!
教護院のご飯はとても美味しかったが食べ過ぎてしまうせいもあり、3ヶ月で15キロも太ってしまった。
私は施設で仲良くなったHと脱走を計画した。
至ってシンプルなものだ!
先生が見回りに来た後に窓から逃げ出すとうもの!
窓には鉄格子がかけられていたが少し登ると隙間から逃げれるようになっていた。
靴がないため靴下を三枚にも四枚にも重ねて履き、パジャマの下には他の人の私服を勝手に着ていた。
急いで逃げ出した。
足が遅いためすぐに先生が走って追いかけて来たらしく、Hに「先生来た!」と言われた後Hがすぐにいなくなってしまったので私はその場に伏せて蛙ポーズをとった。
暗かったため気付かれなかったが何ともおバカな行動であった(笑)
道路を歩くと見つかりやすいので畑や川を歩いた。
少し休憩するも靴下は穴が空き足が痛かった!
どうしても大きな道を歩かなければ先へ進めないので意を決して歩いたが、先生には見つからなかった。
厚別の方まで歩き、ヒッチハイクをしてみると子供二人裸足でいるので車は止まってくれた!
「中央区まで行きたいんですけど乗せてってもらえませんか?」
車の人は厚別の人だったので送ってくれる事は出来ないが五千円をくれた!
とてもありがたかったし絶対に恩は忘れませんと、お金を返すので連絡先を教えてもらい私たちはタクシーを拾い、嘘の事情を説明して中央区まで4000円で連れていってもらった。
気付けば連絡先の紙すら無くなっていた!
自分の家まで行くと、オートロックの番号が変えられていて入れなかった。
余ったお金でまずタバコを買って公衆電話で知り合いに連絡した。
すぐに迎えに来てくれて知らない家に入れてくれたが、そこは物置に使われてる家で子供のおもちゃなどがあった!
二人で電気もないガスもない所で水だけ流れていたので髪を染めた。
次の日また知り合いが迎えに来てくれて別の家へと移動した。
そこはRさんと言う女性の家だった!
Rさんには弟がいたが私たちは部屋にいたため会ったことはなかった。
Rさんはマッサージのお仕事をしている人で、Rさんの彼氏も一緒にいたが、その彼氏は紐男だった!
私とHはRさんに下着を買ってもらい、服をもらったりして生活を始めた。
そして私は母に連絡したくて携帯を借りてメールを送った。
すると母からは心配のメールと怒りのメールだった!
わがままな私は施設に入れた母を嫌った!
あんなに大好きだったのに母を嫌いになっていた。
Hと狸小路付近を歩いていると、Hが「先生だ」っと言って逆に走り出した!
私は足が遅いのですぐに捕まってしまった。
叫んでいたため知らない人が助けに来てくれたが先生が事情を説明していた。
知らない人に携帯電話を借りて当時迎えに来てくれた知り合いに電話をし、捕まったことを伝え電話を切った。
パトカーに乗せられ、その後は先生の車に乗せられ施設へと返還された。
Hもつかまっていて二人ともまた裸にされて着替えさせられ、髪の毛を切られ、黒く染められた。
その後二人は落ち着くまで反省期間をとらされ、二人は話すことすら許されなかった。
1ヶ月の反省期間を終え普通に生活出来るようになった。
朝六時半に起床、掃除を終えた後は食事係と洗濯物係と自由係で別れる。
部屋によって毎週役割が交代するようになっていた。
ご飯が終わると本館の用意!本館へ行き朝のそろばんが始まり、朝の会をしてから一時間目が始まる。
一人一人学力に差があるので教科は学力に合わせた学年からスタートができる。
私は数学ではなく算数で小学3年生からのスタートだったことは恥ずかしくて言えない(笑)
平日は本館と寮の行き来!週末は寮で過ごしたり農作業をしたり、たまに施設の外に行き買い物やコンサドーレの観戦もした!冬以外はマラソンがあり、秋になると落ち葉掃きもあった。
日曜日は毎週大掃除!
普段やらないところを細かく掃除していく。
床に濡れた新聞紙が細かくちぎられ投げ捨てられる。
それを掃いていきホコリを逃がさないようにしてから雑巾がけを始めるのだ。
ガラスなども雑巾で拭いた後に新聞紙で水気をとるなどと言う工夫を中学3年生で学んだ。
施設では親に教わらないことを沢山教わった!
農作業や落ち葉掃きなんてやったことすらなかったもの!
施設では常に敬語で話さないといけないと言うルールもあり、ため口はダメだったが仲良い子と話すときだけは先生の前以外ではため口で話していた!
施設では人間関係もうるさく指導されたのだ!
悪い事をしている子がいると報告しないと自分も立たされたり怒鳴られたりするから内緒でこそこそが難しかった!
私は施設に1年8ヶ月いた!
施設にいたので高校受験は同い年の子とは一緒に入学出来ないと言われた!
だから私は就職の道に行くことにした。
まずは職業訓練!ここで頑張れば施設を出て家に帰れるので頑張った!
やっと家に帰れるときは嬉しくてたまらなかった!!
引っ越してしまっていたが自分の部屋、自分の物、友達も1から作り直し。
私はそれでよかったとその時思った。
母は私が本当は良い子なのに周りに流され、断れないから悪くなっていったとおもっていたようだ!
母の読みは間違いではなかった。
悪い子とつるむと抜け出せなくなる現実を母は知っていたのだ!
だから施設に私を入れて全て経ち切らせたのだ。
施設から出て来てすぐに母は当時の彼氏と再婚をした!
母の指からは幸せな1カラットのダイヤがキラキラしていた。
母は夜の仕事を辞めてお昼の仕事をすることにした。
私は義理の父が経営する居酒屋で働くことにした!
1日五千円週6で働いた。
実家だったのにも関わらず実家にお金を入れることもしなかった私は給料全て自分で消費した。
しばらくして彼氏が出来た!
車屋に勤めてる人だったが、私と付き合ってからすぐに仕事を辞めた!私もお父さんの居酒屋が無くなると言うことになったので一緒にテレフォンアポインターの仕事をした!
一軒目は長続きはしなかったが二件目は電話回線のアポインターだったのでなかなかのトップアポインターとなった!
彼はそんなにうまくは行ってなかったのでその会社が潰れるとなったときには残されず職を失った。
私含め5人くらいのメンバーが残され違う店舗に行くことを進められたが、私は彼と働きたかったため断って違うテレフォンアポインターをすることになった。
彼と試用期間で入り、試用期間の一週間のうちにアポイントが取れれば採用であった!
私は三日で取れたが、彼は取ることができなかった。
だから私も仕事を辞めた!
それからと言うもの、彼は何か悪いことをしていたようだ!
内容は聞いていたが頭の悪い私にはわからなかったので聞いてるようで聞いていなかった。
1年以上付き合っていたので母に許しをもらって一緒に住むことになった!
初めての同棲だ!わくわくして嬉しかった。
彼はいつも高額な紙幣を持ち帰ってきていた。
私は仕事はしなかったが家の事をして頑張ったのだが、ずっと家に要るのも苦痛になっていた!
そんな時当時流行っていたモバゲーと言うサイトで遊んでいたのだ!
そこで知り合ったSちゃんと仲良くなり、その子はすすきのに住んでいたので頻繁に遊びにいくようになった!
その頃から彼は私の浮気を疑うようになった。
コンビニ行っただけでも誰かに会っていたなどと言われるようになり、私は苦痛になっていた。
そんなある日私は妊娠をした!
嬉しかった!若くして子供を産みたいと思っていたので産まれる頃には18歳で出産だ!
っと喜んでいたのだが…
お腹の中の子は子宮内で育つことが出来ず流産してしまった!
医師からは「妊娠しずらいのだが、妊娠したとしても子宮内で成長しずらいので流産する確率が高いです。」っと言われ泣きまくった。
母親になる夢がそこで一気に崩れ落ちて行ったように思えた。
激しい腹痛で吐き気が出るほどで苦しんでいる中、その時の彼は友達を家に呼びゲームをしていた。
私はきっとここで冷めてしまったのであろう!
すすきののSちゃんの家に遊びに行く事もさらに多くなり、泊まりもするようになり、施設の友達Aさんにホストクラブに連れていかれまだギリギリ17歳だったが嘘をついて入店をした。
こんな世界があったんだ!お酒も知らないお酒ばかり!
シャンパンを初めての飲んだ!
正直味などわからない(笑)
友達のAさんは1日に40万ほど使っていた!
私もと思い80万円貯金していたが1ヶ月もしないで全て使ってしまった。
その事がバレてしまい彼には携帯を折られ、殴られたりもした!
幼少期から男性の怒鳴る声、怒った姿を見ると怯えてしまうのでその頃からは言うことを聞くようになっていった!
逆らったらまた怖い!っと思うようになってしまった!
今までも喧嘩をしたことがなかったから、むしろ相手が怒らないようにしてきたから初めて怒ったのを見たときは怖かった。
彼は悪い事で儲けるのも大変になってきたのであろう!
生活費も減ってきた!
私は中学の友達に連絡してホステスの仕事を始めてみた。
初めての世界!きれいな髪の毛で綺麗なドレスをきてお客様にお酒を作る!
私は楽しかった。
まだ何もしらない可愛いヒヨコが段々とホステスになっていく!
彼には携帯を毎度こっそり見られ、相手から送られるメールにイライラされ携帯を折られる。
そのタイミングで引っ越しをした!
悪い事をしていたからか実家に帰って欲しいっと言われる日が増えていった!
今思えば浮気していたのではないかと思ってしまうが、当時の私はそんな事も思ってもいなかった!
一緒に居ないと束縛も激しくなっていた!
私は施設をテ出たときは53キロまで太ってしまっていたが、彼と付き合ってからしばらくして39キロまで体重が落ちていた。
今思えばストレスだったのか?っと思う!
夜のお店に出勤すると彼からの鬼のような電話が鳴り続いた!
しばらくして電話に出ると電話に出ないことを怒っていたが、ホステスをするようになってから言い返せるようになった!
彼は怒るとすぐに別れを口に出した!それをいつも私が止めていた。
今回で3回目の「別れよう」がきた!
私は冷めていたのであろう!すんなりと「わかった」と言い返して電話を切った!
しばらくするとまた電話が鳴る!
出ると「今まで通り仲良くやっていこう」っと言う!
私は断った!
そうして2年間の恋愛は終わった。
その日友達と別れを記念してホストクラブに遊びに行った!
すぐに良い男性を見つけてしまった!
彼は話を沢山聞いてくれて私を大切にしてくれる!
お客さんと見て無いと思ったのだ!
男性慣れをしていないのですぐにはまってしまった!
当時の別れた彼はもうどうでも良くなってしまったのに彼は別れたくないと泣いて言ってきた。
もう好きでは無いので流れた涙を見てさらに嫌いになってしまった!
女は切り替えが早いと言うのはこの事か!っと思った。
長くもかからぬうちにホストクラブで会った彼と付き合うことになった。
仕事にプライドを持ち、夢に向かってる姿が素敵だった!
付き合って四ヶ月程経ってから東京に行くことを決めた。
二人で夜王と女帝になろうと訳もわからぬ子供が考える夢を抱いてキャリーバック1つで東京へと向かった。
二人はテレビを見すぎていたので夢が大きくなりすぎたのだ!
まず向かったのは新宿だ。
19歳の私にはホスト、ホステスをと言えば新宿しか出てこなかった。
1日目は家もないので初めての漫画喫茶でお泊まり。
パソコンでウィークリーマンションを見つけた!
早速電話をして次の日契約をして中央線の荻窪のウィークリーマンションに住むことになった。
施設の友達Aさんに紹介してもらい働くお店をすぐに見つけた!
彼氏もすぐに面接に行き採用された。
働いて二人でお金を貯めようと頑張り始めたが、彼は今までと違い周りのレベルが高すぎてしまったのか挫折してしまった。
親戚の仕事で中国に行くと突然言い出して東京3か月目には私は1人東京に残ることになった!
家賃も1人で払うのは大変なので施設の友達Aさんに一緒に住もうと話したらOKが出た!
が、ベッドは1つで狭い部屋。
Aさんは帰ってくることがほとんどなかった。
私はお店で仲良くなった女の子の家にお世話になることにした。
家賃は折半。でも光熱費を払ったことがなかったのでその存在を忘れていて、結局友達も言えなかったのか、言ってこなかったので1度も払わずにいた。
やはり女性同士の生活はどちらかが不満に思ってしまったらダメなのだろう!
仲が悪くなる前に私はまたウィークリーマンションを最後に借りた!
中国に行ってた彼が札幌に帰ると言うので私も120万円貯まったので札幌に帰ることにした。
月80万円は稼いでいたのでもっと貯めればよかったのに、私はヴィジュアル系にはまったり、淋しくなるとすぐ札幌に戻ったりしていた!
なのでそんなにも貯まらなかった!
約1年東京に居たので札幌に帰ってからは仕事をしないでのんびり過ごした。
彼氏は滝川出身なので彼の地元で彼の妹と妹の子供と四人で住むことになり、お世話になった。
家賃や光熱費や食費などが毎月無くなっていくため貯金はすぐに無くなってしまった。
なのでずっと無縁だった姉に久々に連絡をして夜のお店を紹介してもらった。その場所は姉と同じ職場だった。
どうにもやりずらい!っと思っていたが、案外姉とも仲良くなってきたので良かった。
そんな中彼氏は腎臓が悪くなってしまい急遽入院をすることになった。
場所は旭川の赤十字病院!!
私は毎週泊まりで面会に行った。
しかし私の居ない間に女性が2名ほど面会に来ていたことを携帯を見てしまい知った。
やはり男性は1人の女性だけだと嫌なものなのか?
彼は扁桃腺を取る手術をしたが、腎臓との関連性がわからなかった。私が聞いた説明では、扁桃腺が腎臓に悪いのを送り出す事があるので取ると聞いただけだった。
医学のことはさっぱりだ。
彼が退院してしばらくしてから札幌に部屋を借りてまた一緒に住もうと言うことになったが、しばらくは滝川と札幌を行き来すると言っていたので了承した。
彼は仕事をせずしばらくは無職だったので私が助けてあげていた。
いわゆる紐と言う事だ!
私は一緒に居られればそれでも構わなかった。
何度か滝川に帰ることが増えてたのを疑問に思い見ては行けないと思いつつも携帯を覗いた!
彼のメールには元カノとのやり取りが続いていた。
滝川に帰ったときは会いに行ってたようだ!
付き合ってるかのような内容までもあった。
私は二股されてるのではないかと思い怒った!
だが嘘が上手いのか、私が騙されやすいのかわからないが丸め込まれてしまった‥
仕事を始めた彼はまたホストをやり始めた!
私は耐えきれなかった。
腎臓を駄目にしてしまうのにまたホスト!
「俺は天下取るんだ」っとよくわからない事を言い続ける6歳も年上の彼の話がだんだんと疲れてしまっていた。
プライドを持ち夢に向かうのがカッコいいと思っていたのも現実は私が辛かった。
大好きだったけど私は酔っ払った勢いで彼を振ってしまった!
三年の恋は最後は紐に育てて終わってしまったのだ。。
私はその後荒れたように飲み歩いた!
ホストばかり行き騙され、お金を沢山使い。
やっと落ち着いたのは当時お客さんだった人とのお付き合いでホストクラブにはいかなくなった!!
彼は何の仕事をしているか教えてくれないが、明らかに普通の仕事ではないとすぐわかったが引かれて行った。
紐になってしまった元彼のせいでご飯をご馳走してくれたりするだけで優しいとすぐに心を開いてしまった。
でも彼の事を何も知らなかった。
連絡が一週間来ないこともたまにあった。
会うときはびっしり会えるのに会えないときは全然会えない。
何もかも信じてしまう私の性格はそれでも信じていた。
付き合って六ヶ月がたった頃、彼はいきなり音信不通になってしまった!
私はまた荒れ狂ったかのようにお酒に逃げた。
毎日毎日朝まで飲み続けていた!
そんなある日ずっと指名で来てくれていた人に告白され、酔ってた勢いもあってOKした。
彼と付き合った1ヶ月目でふと気が付いた!
一ヶ月間は好きでいられたけど、彼の心ない一言で私は少し冷めてしまった。
その頃母はホステスの仕事に復帰していた。
お昼の仕事での上司からのパワハラが耐えきれなくなってしまって鬱になってしまったと言っていたのだ!
そんな中父の仕事が上手くいかなくなり金銭的にも大変になってしまうのでまたホステスの仕事に戻ったのだ。
鬱が悪化してる時に私は実家と同じマンションに住んでいたので母が泣きながら私の部屋に入ってきた!
彼が来る予定だったのだが、事情を説明して帰るか分からないがちょっと待っててと話をした。
15分経ってからまた電話をしたが、母は泊まっていく感じだったのでごめんねと謝った。
彼は何故だか怒りだした!
「もういいわ!別れるべ」っと言われ電話を切られた!
私は母を寝かせ彼のもとへ向かい、コンビニで合流した。
彼はお酒を飲んでいて飲み帰りにうちへ来るはずだった。
とりあえず事情を説明して理解してもらったのでその日はそれで終わったのだが、私は彼がとても自己中心的な人だと思ったので少し冷めてしまった。
付き合って2か月程になるくらいにバレンタインがあったので、私は服がいつも小さいのを着てるからアルマーニのロングTシャツを二枚買った!なかなかTシャツなのにいい値段がする!
バレンタインも無事に終わり、彼の知り合いのバーに飲みに行った時、とても仲が良い友達なのは分かるが、私は放置されてつまらなかった!
その頃映像できゃりーぱみゅぱみゅのつけまつげの映像が何度も見ていた!
飲み終えて帰るときに私は彼の嫌いな一面に気付いてしまった!
「あいつ調子乗りだから別にそんな仲いいと思ってないんだよね」っと彼が言った。
私をほっといて散々話してたくせに最後は友達の悪口を言ってしまう彼の事を嫌いになってしまった!
その頃から別れを考えていたのだが…
生理が来ないことに気付き妊娠検査薬を試してみた!
陽性反応がでた!!
過去の流産の経験もあるので嬉しかったが少し怖かった。
しかしこの彼とは別れようと思っていたので子供は嬉しいが、結婚はしたくないと思っていた。
調べたらホルモンバランスが崩れるので旦那を嫌いになってしまう人もいると書いてあった。
私もそうなのかと思いホルモンバランスのせいにした。
まず、当たり前に私は彼のお父さんに会い、妊娠したことを報告した。
彼の家は離婚していて母親がいなかった。
その後彼がうちの親に挨拶することになるのだが、出張の予定もあったので、出張から帰ってきてからで良いかと聞かれた!
出張2か月行くのにその後とはどうにも考えられない発言だった!
子供はお腹の中で育っているのだよ!
私は無理やり両親に話があると言い彼を連れていった。
私の両親はある程度なマナーは大事にするのでコートは脱いでから家に入ること、靴は脱いでから手で横に置くこと、座ってと言われないと座ってはダメと言うほの三点だけ教えた。
帰ってきた一言が、「何で俺がそこまでしないといけねーの?」でした!
「常識の範囲でしょ」っと言うと、「お前の常識は俺にとっては常識じゃない」って返答があったので、本当に結婚なんてしたくないと心から思うようになった。
その頃6ヶ月付き合って音信不通になってた彼からの突然連絡がきた!
捕まってたと聞いた。
私はとても最低な人間だ!
勝手に振られたと思い子供まで作ってしまった!
戻りたかったが妊娠したままでは戻れない。
私は彼を諦めた!
子供を下ろすなんて考えられなかったのだ。
私は旦那になる人と性格が合わなかったため毎回喧嘩していた。
車の保険の話になり、彼が入ってる保険に変えろと言われたが、母の知り合いでお願いしてるので母に聞かないとわからないと答えた。
すると彼は「どうせ俺の金で払うんだから関係ないだろ」っと言われた!
俺の金と言うのは家族には言ってはいけないと私は思うのだ!
妊娠していると仕事ができない!仕事をしたいと言っても嫁は家で家庭を守って欲しいと言われていたので仕事もできない相手に『俺の金』っと言うフレーズに私は怒った!
逆ギレしてきた彼は私にもっとひどい言葉を投げ捨てた。
「金持ってくるから子供を下ろせ!別れる」っ言う言葉だった!
私が以前流産していた内容も説明していたのに忘れてしまったのかは分からないがこれがきっかけで私は彼と一生理解できない関係になっていった。
だいっきらいだ!死んで欲しいとまで思って毎日苦痛だった。
彼は2ヶ月の出張に行った!
100万円を私に渡し生活費と考えたが私は使わなかった!
家賃と駐車場代で106000円だった。それに光熱費と携帯代、Wi-Fiのお金なども含め、彼は支払いがどれ程あるかは把握してなかった。
当時悪阻が酷くご飯が食べれなかったので少し高いがフルーツを食べていた!
食全てフルーツ中心だったので食費は高額になっていた!
彼が出張で居ない間は天国だったが日が経つの早いものだ!
二ヶ月はあっという間だった。
毎度お金の喧嘩などもする!
ある日彼の車のバッテリーが壊れたから金くれと連絡がきた!
今手元にないから明日下ろさないといけない!っと言うと、クレジットカードをよこせと言われた!
言い方が気にくわなかったため「その言い方はないでしょ!」っと言うとまた、「どうせ俺の金で払うんだから良いだろ」っと言ってきた!
彼は私の地雷を簡単に踏んでは爆発させた。
3日間話すらしなかった!
3日目の夜彼が帰ってきた時、私は部屋でアイロンをかけていた。
おかえりも言わなかったため限界になった彼は、「こんなんなら別れるべ」っと言ってきた。
私は喜んだ!
少し口論した途端!
ふすまが飛んできた!
犬が危うくぶつかるところだった!
とっさに私はケージに犬を入れた。
その後2枚目のふすまが飛んできた。
100万円返せと言われ使っていないが、二ヶ月間の生活費の分を引いて40万しかないと言ったらふすまが飛んできたのだ!
「ホステスは常識がない」「俺の金返せ」「ホステスは豪遊ばかりだ」と罵声を浴びせ衣装部屋の鏡を蹴っ飛ばし、ドラム式の洗濯機の表面を蹴っ飛ばしガラスを割った。
私はとっさに警察を呼んだ!
そしてすぐに義父を呼んだ。
警察はすぐにきて、その後義父も来てくれた。
義父は彼に切れてくれた!
一先ず彼は実家へ戻ったのだ!
1ヶ月ほどは離れて暮らしたが、子供はスクスク育っていく。
彼から連絡が来て、私の両親と彼の父親と家で話すことになった。
私は別れることをわくわくして話し合った。
だがしかし、両家の親は別れることを進めず和解へと導いた。
私はまた地獄に落ちた!
怒鳴ったり暴れたりする人は無理とハッキリ言ったが、もうしないと話して終わった。
話し合いが終わり二人きりになった。
仲直りっと相手が私に向かってきたが1度嫌いになると私は彼を拒絶しかしなかった。
でも家事は全てこなした!
離婚するときに不利にならないようにだ!!
彼は私を本当に好きだったのかもわからないが、私がどうしても許せなかったのが、ホステスと言うことで家族をもバカにしたこと。喧嘩をしても下ろせと言ったこと。お金の事。
許せなかった。
結婚なんかしたくなかったが、私の周りには誰も味方はいなかった!
結構しないなら下ろしなさいと言われるだけだった。
流産した経験もあり医師にも育ちにくいと言われた記憶があり、スクスク育ってくれている我が子を下ろすなんてそんな身勝手なことはあってはいけない!
私が我慢をすればこの子は祝福されて産まれてきてくれるのだと思い我慢して7月7日に入籍した!!
私は嬉しくなかった。その日から旦那になった彼は喜んでいたのだが、自分が発した言葉に謝りをしてこないで何故なにも無かったかのように喜べるのか私には理解できなかった。
次第に溝は深まるばかり。
出産が近付いてきて、私は実家に戻った!っと言っても同じマンションなのでエレベーターで上がるだけ。
旦那からは連絡が来るが、実家に挨拶も会いにも来なかった。
11月12日に予定日だった。
検診が一週間に一回になったが、お腹の中の子供は育たなくなっていた!
このままだとお腹の中で育たないので外で育てた方が良いと医師から言われた。
死産は絶対に嫌だった!
何としてでも元気な子で産まれてきて欲しくて祈った。
予定日に促進剤を打って出産しましょうと提案された。
私は自然に産みたがったが仕方がないと思った。
しかし予定日の5日前!
急に激痛がきた!
ん?これは陣痛なのか?
実は姉が一ヶ月前に出産していた!
私が妊娠する1ヶ月前に妊娠して私が出産する一ヶ月前に出産していたのだ!
姉の痛がる姿を見ていたのですぐにわかった!
時間を計ると7分起きに陣痛がきていた!
私は陣痛始まったと同時にお風呂に入り用意をした。
段々と間隔が短くなり気付けば3分以内に陣痛が来ていた!
病院に電話すると、すぐに来てくださいと言われたので、同じ家の中にいる義父に電話をならした!
すぐに動いてくれた!
母も起きて来てくれた!!
義父の運転でなんとか病院に着いた!
母がずっと付き添ってくれていた。
もう子宮口も7センチ開いていたため、すぐさま分娩室へ向かった。
分娩室へ入ってからは30分もしなかった。
途中子供の心肺が下がってしまったので医師達はわたわたしていた。
だが無事に産まれた。
子宮の中から肛門にかけて裂けてしまったので縫ってもらい、私はきつく縫ってくださいと締まりを気にして話していた(笑)
看護婦さんが来て、「旦那さんはどなたですか?」と聞かれ、私はとっさに背が高くて服がダサい人と答えていた。
ここで看護婦さんにも伝わったと思う。私が旦那を愛していないことを。
旦那は入院5日間の間に2回だけ来た!
一度目はお義父さんと二度目は一人で。
友達と面会が被った!
普通なら帰らないのだが、旦那は絶対に帰ると思ったら、案の定帰った!
私の友達とも話すなは嫌みたいだ!
5日間入院して、退院するとき旦那は来なかった。
そして実家に戻りまた1ヶ月間実家で過ごした。
その1ヶ月間、たったの1度もエレベーターを登って子供に会いに来なかった。
暴れたりしたのもあり来づらかったのだろう!
でもそこをクリアしないと今後家族として認められないのだが、旦那はそれを避けたのだった!
むしろ「1ヶ月間エレベーターを降りるだけなのに連れてこなかった!俺が気まずくて行けないのわかるだろ!」っと旦那はやっぱり自己中心的な答えしかしてこなかった。
想定内だった。
1ヶ月経ったので戻ることになった!
家賃も高かったので引っ越すことになったのだが、実家からは結構離れた所にしか休めの家賃で広い部屋はなかった!
引っ越してすぐに年末を迎えた!
私は相手の親に挨拶に行ったが、旦那は来る気配すらなかった!
ホルモンのバランスも整ってきたと自分では思っていたが、旦那は社交的でもなく、むしろすぐに逃げる道へ進むところが嫌いだと思いやっぱり嫌いなままだった。
私はムートンを持っていた。
靴底がペラペラ剥がれて雪が浸透して冷たかったので旦那にムートンを買いたいと話した!
「女性の靴は高いんだよなぁー!アロンアルファーでくっつけたらいいじゃん?」っと言われた!
この時に決めた!
タイミングを逃さずしかるべき時が来たらすぐに離婚してやろうと!
守ってくれない旦那は必要ない。
彼はお米を月に10キロ食べた
食費は月に四万で抑えて安いスーパーを回って買い物をしたりもしていた!
貯金できないと嘘ついていたので旦那は私がお金使い荒い人間だと思っていたせいか、全額くれていた給料を毎月7万円の生活費のを渡してきた。
7万円から携帯代、光熱費、食費、子供のおむつやミルクやアクアクララの水代!
かなりギリギリになる!
しかし私は意外と節約できるので食費を三万子供のオムツとミルクは一万携帯代は一万三千円、残りは光熱費と考えていた。
それでも小銭貯金は少ししていたし、こっそり家庭内職をしていた。
旦那には貯金なんてできないと言っていた。
お金で喧嘩ばかりだったのでお金があると思うと貯金した分を使われると思ったからだ!
私は旦那を少しも信用していなかった。
だって私の年金ですら払ってくれなかったのだから!
引っ越して半月が経った。
私は親友と親友の彼氏の話を電話で話していた。
内容が少し旦那に重なっていたのであろう!
遠回して言われてると勘違いしていたのか機嫌が悪かった。
アクアクララの水が変えられてるのに気付き、「水変えてくれてたんだ!ありがとう!上に付いてたシールはどこにあるの?」っと聞いた。
シールを集めると水が一本ただになるから集めてるのだと前回説明していたのに捨てていたのだ!
旦那が「あ?捨てた」
それだけ放った!
私が、「捨てたらダメだよ!どこに捨てたの?」っと聞くと、旦那が、「わかんねー」っと言ってきたので、私が、「自分で捨てたんだからわからないわけないでしょ」っと言ったら、旦那が「わかんねーって言ってるだろ!なんなんだよさっきから」っと切れてきた!
私は親友との電話を切り、喧嘩になると思ったので部屋に犬と子供を連れていった。
その時「嫌なら出ていけよ」っと旦那から言われた。
部屋に子供と犬を置いてから戻って話をしたしに行った。
「ねー!出ていけって行ったよね?出ていっていーの?」っと私は聞いた。
旦那は「そんなに同じ空気を吸いたくないなら出ていけって言ったんだ!」っと言ってきた!
「家族に出ていけはおかしくない?」っと言うと、「俺が契約したんだから俺の家だ」っと言ってきた!
なので「わかった」っと言い部屋へ戻った。
姉に相談した!姉は仲直りを進めてきたが、私は今だと思った!
また暴れると察知したので音声を録音しとくことにした。
部屋に入ってこないためにベビーベッドでドアを防いだ。
旦那は力任せにドアをこじ開けベビーベッドを投げた。
出てけと言い放つ!真冬の寒い中子供と犬をつれてどこにいけと言うのか!
先に旦那は出ていった。
出ていったら連絡くれと言い残して。
私は次の日すぐさま弁護士の元へ行き、着手金を払い音声を聞かせ出ていって良いかと聞いた。
大丈夫と言われすぐさま行動した。
私は旦那には旦那のプライドを無くさないため貯金は0と告げていたが、旦那よりも貯金はあった!
籍を入れてからは毎月ギリギリの金額しかもらわなかったので婚姻中の貯金は無かったため財産分与にはならない額だった。
婚姻期間中に買った物は分散しなければいけないので、私は買ったが特に乾燥がちゃんとされないよくわからない洗濯機は置いていき、ガスコンロだけもらい、残りの家具家電は私の固有財産だったため、全て引っ越しセンターにお願いして持っていって貰った!
家が決まるまで犬も泊まれるホテルには子供と2週間滞在した。
その頃も家庭内職をしていたため、少しは収入があった!
離婚調停を送りつけた。
旦那からは離婚調整調停が届いた!
やり直せるとでも思っていたのか?
私が家を出てから自分の都合がいいようなメールや、私の家系をバカにした発言、夜やってた言うただの偏見で美容室にも行かないでお金を貯めるために自分で髪を切っていたのも知らなかったくせに美容室に言っただけで豪遊と言われた!
遊んでないんですが!
下手くそな文章で私よりも頭が悪いと思った。
以前まだ籍を入れてないときにこんなメールが来たのを思い出した!
『俺は著金額言ったけどお前は言ってこないよな!いくらあるの?』っと聞かれ、当時300万円はあったのだが、全くないと告げた!
そうすると彼は『は?全くないはないだろ!嘘付いてたのか?結婚詐欺だな、俺は精子バンクか』っと言ってきた。
この言葉をきっかけで貯金できない女を演じようと誓ったのだ!
旦那のメールは私からしたら苦痛でしかなかった!
顔も見たくないし同じ空間にいるのすら苦痛になる!
旦那が休みの時は息がつまりそうだった!
そこまで人を嫌いになったことはなかった!
考えずに発した言葉は人を遠ざけてしまうと言うことをこの時自分にも当てはめて理解した。
家も決まり新生活のスタートをきった!!
新しいベッドも買ったし新しいソファーも買った!
弁護士や引っ越し費用と子供が首が座るのが遅かったため、仕事に復帰できなかったので2ヶ月で80万円かかった!
首が座ったので託児所に連絡をして私はホステスの世界へ逆戻りらした!
今度は強くなって!
前までは人の顔色を伺ったり、悪口を言われたら落ち込んだり気にしたりしていた。
母は強し!
私は考え方が変わって、私の悪口や愚痴を言う人は私に嫉妬と妬みなんだと思った!
悪口や愚痴を言われてもその人は私の給料を稼いでくれる訳ではないので気にしないようになった!
母乳を与えながらの仕事は最初は大変だったが次第に慣れていった。
お酒やタバコを吸ったら母乳を与えられないので7ヶ月で断乳した。
6ヶ月以降は母乳の栄養もなくなると言うのを調べたからだ!
すぐに一歳になり、二歳になり、我が子はみるみる大きくなって行く!可愛くて仕方がない!
時には凄く怒ったりするし、泣かせてしまうこともあるけど、怒った後は抱き締めた!
しかし母親と父親役はなかなか微調整が必要だ!
子供が一歳の頃に私には彼氏ができた!
子供を最初は可愛がってくれると思っていたが、一緒にいるのが多くなると我が子として見てはいなく、邪魔扱いをたまにするのだ!
私は母親と言うより女になっていたのであろう!
子供は勝手に遊んでて!っと言う感じに放置が増えた!
ご飯は毎日一緒に食べるし、仕事の時は託児所だし、後は一緒に寝てるだけ!
遊びにいくことがほぼなくなってしまっていた。
仕事終わりは朝方まで飲んでいたりもした。
育児はご飯を与えるのとお風呂に入れるだけだった。
当時付き合ってた彼は箱を開いたらお金がない人だった!
私は多額のお金を貸した。
未だに返済は続いているのだ!
2年間付き合っていたがちょっとした喧嘩でお別れをした。
そして1年間遊びまくって子供といる時間よりも寝ている時間と飲みに行ってる時間が長かった。
子供が4歳になった頃私は新たな出会いをした。
私は整体の仕事もしていたため、そこで出会った相手と恋をした!
彼は正義感があり曲がったことが嫌いで、ありがとうもごめんねも言える人だった!
誠実な人だ!
彼の当時の欠点はお金がそんなに稼げる仕事ではないのと、メンタルが弱かったことだった!
私はお金も大事だけど、心から私の事をみてくれて、子供の事も考えてくれるそんな彼に引かれていった。
付き合ってから2ヶ月経った頃、私は母のお店に彼を連れていった。
幸せそうな私をみて母は微笑んでいた。
彼にとってはそれが最初で最後の母だった!
その1か月後自宅で母が死亡していると姉から連絡があり向かった!
誤飲による窒息しだった。
姉が泣き崩れていた為私は泣くのを我慢した。
その夜私は彼と会って泣いた!
彼は黙って見ていてくれた。
葬式が終わってからは生活のため仕事には復帰したがホステスの仕事は心を終い込むのが難しかった。
常に泣きそうになる涙腺を教えてくれる日々母と同じホステスと言う仕事に誇りを持った!
私も母のように風邪を引いても、だるくても、まずは這いつくばってでも仕事へ行くと言うのを真似した。
彼は当初ホステスには理解が出来なくいつも否定していたがそのうち真面目にちゃんとしてるのを伝え続けたら理解してくれるようになった!
否定はしていたが、異性の事での否定であって、ホステスと言う職業に対しては1度も偏見でのような発言はしなかった。
私の考えずに放つ言葉の一つ一つに怒ってきたりもしていたが、今はその事があったから考えて話すことができるようにもなってきた!
まだまだ頭の回転は追い付けないが!
彼のおかげで私は変われた。
星をみたり、ドライブに行ったり、各地のきれいな景色を見たりと心も豊かになった。
子供も彼に凄くなついて本当の父親のように思っている!
彼はご飯も毎日おいしいと食べてくれるし、気にくわないときは優しく教えてくれる!
イラッとすることは他人同士だからあるけど、この人とならずっと上手くいけると思った。
3年の月日が経ち子供は七歳になった!
小学1年生になってもう半年が過ぎた!
彼とは翌年に籍を入れることにした。
子供が二年生になるタイミングだ!
お金は無くても本当に大好きな相手との結婚は私の夢であり、子供も幸せそうにしている!
私はやっと幸せを手に入れた!
まだまだこれからも沢山大変なことや困難があるかもしれないけど私たちは乗り越えられる事をお互いわかったのだ。
波瀾万丈な人生な私はこれから新たな目標ができたのだ。
この先の事はわからないが、非行に走り、勉強をし、学んで、変わって、理解して。
人生何があるかさっぱりわからないがこんな私にも幸せが訪れたのだ。
人は変われる!
変わった人が素敵な人生への第一歩を歩けるのだ!
その一歩にはかなりの年月が掛かるが諦めなければ良い仲間が周りは集まってくる!
マイナスにならずにプラスに進もう!
辛くても落ち込まず次の一手を考えよう!
毎日辛いことも笑ってたら必ず良いことはある!
私は亡き母の様に生きている。
母の分まで生きて幸せになるんだ!
母がなくなり義父を始めてオトンと言うようになった!
家族とも今は仲良くなっていて亡くなった母も最後に彼の姿も見せられ私は悔いが残らずにお墓参りにいける!
亡くなってからも親孝行をしても遅くないのだ!
諦めない!それを強みに生きていこう。
人間誰でも変われる。
変わろうとしない人はそのままでいいのか?っと見つめ直すのもあなたの人生!
悔いの残る人生なら自力で変えてみろ。
全てが上手くいくとは限らないのだ!
挫折して学習してそれをバネに変わってみろ!