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夢の中なら  作者: 鈴本恭一
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第9話






 矢じりのようだった《竜殺し》は、その表面に無数の棘のような突起を生やし始める。


 生やしたかと思うと、すぐさまそれを投げ放った。








 小さなホイナが、ホイナの首から手を離して後ずさる。喉と肺が呼吸を再開し始めるが、ホイナはそれどころではなかった。


 川にいくつもの槍が突き刺さっている。かなり長い、とホイナは思った。その長槍には返しがついており、狩猟道具のようだとも思えた。





 ホイナを掴んでいた腕たちが身悶えする。ホイナを掴まえていた力が消失した。


 ホイナはそれらの方を見る。見れば、腕らが多数の長槍に貫かれているのが分かった。そしてホイナが見たの同時に、槍が炸裂する。




 火炎が川面と言わず川辺と言わずに駆け抜けた。炎と爆風は夏空のような水色で、しかし強力な殺傷をともなって辺り一面を火の海へ変える。


 熱風がホイナの顔にかかり、彼女は反射的に腕で頭を抱えた。





 一拍の間を置いて、ホイナは腕をほどき、周囲を見る。





 青い残り火が、黒かった世界のあちこちに残っていた。火の明かりはその青さで周りの黒を容易に引き裂いている。


 空は罅割れ、次々と崩壊を始めている。黒から赤へ、空の色が入り交じっていった。








 その天と地の間を、《竜殺し》が飛翔していた。






 ホイナの心が具現化した少女、あの幼いホイナが、《竜殺し》を見上げ、睨む。




 白い川の中から、再び茶色の腕が飛び出てきた。


 数は先ほどより多く、砲弾のような勢いで天上に伸びていく。青い光が溶けてる黒い空間をひた走り、その先には《竜殺し》が待ち構えていた。





 菱形をしていた《竜殺し》の姿が変化する。


 《竜殺し》は一瞬で形を菱形から逆五芒星へ変形させた。五芒星の中心には、高速で回転する立方体が一個浮かんでいる。





 その立方体が破裂した。




 途端、巨人のような火柱があがる。先ほどよりもさらに激しい閃光と爆風に、ホイナは吹き飛ばされた。


 麦色の焔が豪風となって川の上を蹂躙する。茶色の腕の群れのうち、火柱の直撃を受けたものたちは一瞬で消滅し、それ以外の腕さえ爆風で吹き散らされてばらばらになってしまう。







 幼いホイナが歯ぎしりする。



 竜殺しは飛び続けていた。逆五芒星から六芒星へ姿を変えて。





 川の中に吹き飛ばされたホイナはそれらの攻防を理解する余裕などなく、なんとか濡れた体を起き上がらせ、少女姿の自分と、それからユナを探した。




 ユナは爆裂する火炎の嵐に対して、まったく動じていない。相変わらず川面の上に立ち、火柱から吹き出された縹色の火の粉さえ彼女には届いていなかった。


 青く長い外套が仄かに明るみ、その微光が破壊の熱風を遮っているように見える。





 そして、ホイナは自分の目前に、あるものが浮かんでいるのを発見した。




 黒い球体だ。


 手のひらに乗る程度の大きさをしたそれが、空中に浮かんでいる。艶が全くないため、どちらかと言えば黒い円に見えた。





 幼いホイナが三度、腕の群れを召喚する。《竜殺し》が針路を変えた。鎌首をもたげるように、《竜殺し》は加速する。


 早い。あまりに加速がありすぎて、ホイナの目では追いつけなかった。





 その代わりに、少女のホイナが呼び出した腕の全てが、魔法のように真っ二つになるのを見た。川からいくつも生えた黒茶色の腕が、きれいに縦に断ち割られた。


 切り裂かれた腕らは、風に吹かれた砂のように散り散りに崩れて消えてしまう。






 ようやくホイナは《竜殺し》の姿を発見した。赤と黒がタイル張りのように張り付いた空の下、それはやはり姿を変えている。


 小さな七角形を中心に、縦横の斜め四方へS字の枝を都合四つ生やしていた。




 その枝を翼のように小さく羽ばたかせ、《竜殺し》は緩やかな速度で飛ぶ。悠然と。その向かう先に、小さなホイナがいた。


 そしてするすると四つの枝を中心の七角形へ折り畳むと、《竜殺し》は再び菱形へ変形する。菱形の四つの頂点にはさらに細長い菱形が生え、回転を始めた。まるで風車のようだ。





 ホイナは本能的に、《竜殺し》がもうひとりのホイナを攻撃するつもりなのだと理解した。




 それは的中した。回転する《竜殺し》の中心から、黄緑色の閃光が炸裂する。


 同じ色の火の手が、幼いホイナの足下に起こる。瞬間的に膨張し、爆発。何度目か分からない爆裂の猛風が吹き荒れた。




 ホイナは「ひっ」と爆発に怯えて身を縮み込ませ、その場に立ちすくんでしまう。


 しかし彼女へ火炎の牙は襲ってこなかった。




 正確には、ホイナの方向にも火の手が矢のように多数、飛んできていた。だが黒い球体が小さく身震いすると、その悉くがずたずたに引き裂かれて破壊され、彼女に魔手を届かせなかった。


 黒い球体が自分を守っているのだとホイナは理解する。しかし、この球体が何なのかは分からなかった。





 それよりも、ホイナはもうひとりの自分を探しすことに注力した。緑黄色の爆発の中心点に、彼女の姿はない。


 その場所からだいぶ離れてしまった川の中に、幼い少女がいた。ホイナから、それほど遠くない位置だ。表情が窺えてしまうほどの距離。




「ゆるさない」




 小さなホイナは恨みの顔のまま呪いの言葉を吐き、川から立ち上がる。傷らしい傷は見当たらない。


 しかし肩を激しく上下させ、呼吸を荒げているその様子で、だいぶ疲弊しているのが分かった。





 《竜殺し》はさらに迫り来ている。風車のようだった菱形の集まりから、五角形へ姿を変えていた。そしてその五角形の本体から、コウモリに似た翼を逆向きで一対生やす。


 二枚の翼の下に、それぞれ矛が下げられていた。




「だめ!」




 ホイナは焦燥の叫びをあげると共に、跳びだした。小さなホイナのもとへ。


 《竜殺し》はふたつの矛を翼から切り離す。別たれた矛が、空中で姿を消した。




 ホイナがもうひとりの自分の前へ駆けつけるのと、矛が彼女らの間近に現れたのは、ほぼ同時だった。




 緑色の熱風と爆撃が、ふたりを襲う。



 白い川は翠緑に占領された。青が溶ける黒の上を、鮮やかな若葉色が駆け巡る。


 同心円状に広がった爆破の焔光は、重く低い轟きを従僕に空間を踏み躙り、青色や小麦色の残り火さえ薙ぎ払われた。地上は緑の光で覆われてしまう。





 そして、爆破の光が収まった。





 《竜殺し》は天空を上昇し、ある程度の高さで旋回。地上を睥睨する。




「……」




 ホイナは、息を呑んだ。


 腕の中に、小さな自分がいる。彼女は困惑の表情で、ホイナを見ていた。




 緑色の爆撃のまっただ中にいたホイナ達は、無傷でそこに立っている。彼女らを守護したのは、やはりあの黒い球体だった。


 熱風も爆風も、轟音すらもその球体は遮断してしまい、ホイナ達は爆発の中で恐ろしいほどの静かさに包まれていたのだ。






 球体が、少しずつ浮上する。


 《竜殺し》は菱形に形を戻し、徐々に加速していった。互いに対峙するように。






 先に動いたのは、《竜殺し》だった。




 菱形から、捻れた円錐に変形。その表面に無数の突起を生やす。突起は黒板にチョークを引くように、空に白線を描いた。


 いくつもの白い線が、赤と黒の空を区切る。白線が空を切り分け、それはすぐさま地上にも伸びた。灼かれた大地が白い切れ目で分断され、その線引きの波はホイナ達にも迫る。




 黒い球が、瞬間的に収縮した。目に見えないほど小さく。





 風船に針を刺したような、軽い破裂音が響いた。



 白線に黒い罅が走る。木の実が地上に落ちるのと同じ速度で、罅は白線の上を駆け抜けた。白に別たれていた世界は再び結合し、元の姿を取り戻す。






 竜殺しは円錐から三角形へ変化。その三つの頂点からさらに小さな四角形を生み、その四角形の頂点からさらに三角形を増殖させ、奇怪な形に変貌する。


 そして無数の三角と四角が、ばらばらに飛び散った。




 黒の球は、明滅のように膨張と縮小を繰り返す。




 天と地の狭間で、眩い黄色の光が破片となって散りばめられた。


 それは黒い球を中心に輝いて、光の輪を紡ぎ上げる。その大きな光の輪の上を、正方形になった《竜殺し》が飛び越していった。









「……」




 球体と多角形のこうした遣り取りを、ホイナは見ていない。


 彼らがホイナには理解できないことをしている間、彼女は腕の中にいるもうひとりの自分と向き合っていた。




「ゆるさない」




 幼いホイナは、なおも呟き続けている。もはや腕をあげる力さえないのか、先のようにホイナの首を絞めることをせず、ただ睨み付けていた。


 その瞳に込められた憎しみと憤怒は、ホイナがあの頃に抱えた後悔の重さそのものだった。ホイナはそれを理解することが出来た。




 あの雨の日、ホイナはヒーエに拒絶された。そして彼女に言った。「大嫌い」と。


 ヒーエのことが好きだった。その気持ちの深さはそのまま憎悪になり、そしてヒーエの死と共に後悔へ形を変え、今ここで姿を取った。


 この、どこまでも底が見えない感情の塊、嵐のように激しく吹き荒れる情念の渦。




 それが、ヒーエに対して持っていた自分の気持ちなのだと、ホイナは思った。それを理解した途端、目の前の幼い彼女が、どうしようもなく愛おしくなった。


 自分を殺しかけたというのに、ホイナはそのこと以上に、よく今まで消えないでいてくれたと思う。




「ありがとう」




 だからホイナはそう言い、腕の中の彼女を抱きしめた。




「ヒーエに、会いに行こう」




 腕の中のホイナは、見た目よりもさらに小さい。自分でさえ、今から見ればこれほど小さな子供だったのだ。


 ヒーエは自分よりずっとがりがりに細く背の低い子だったのを思い出す。小さな自分と、さらに小さなヒーエ。




 そんなに小さな自分たちは、互いのことを思い、考え、理解することなどできなかった。自分は相手が好きだから、相手もそうだと思っていた。今でさえ、そう思う時が多々ある。




 ホイナはヒーエを理解しなかった。ヒーエもそうだった。もっと相手のことを聞くべきだったのだとホイナは後悔する。


 後悔は、隔れた時間の幅の分だけ大きい。そして同時に、あの頃の小さな自分たちに、大人でさえ難しいそんなことができたとは思えないのも理解していた。




 しかし、それでもホイナはヒーエを理解したかった。ヒーエのことを知りたかった。


 自分だけでは、その行動に至るまでのエネルギーを持ってはいない。時間が流れすぎた。だが、感情のエネルギーの塊を持つものが、目の前にいる。




「ヒーエの言葉を見つけに行こう、私達で」




 時の流れは不思議だと、ホイナは感じる。時間が流れ、ラサギは感情を平静にした。自分はあの頃の感情を忘れた。時間は感情を消すのだろうか。


 違う気がすると、ホイナは直感でそう思った。時間は距離を作るのだ。近くにいては熱い火も、遠くなら静かな気持ちで眺めることができるように。



 距離を置いて、自分たちは考えることができるのだ。その火のことを。




 ホイナは、あの頃は出来なかったことを、今したかった。ヒーエのことを理解したかった。彼女のことをもっと知りたかった。


 ヒーエは死んだ。ヒーエとは話せない、語らえない。理解することも、本当は出来ない。




 しかし、此処は此の世ではない。だから、今しかない。時間と共に作られた距離を飛び越え、遠ざけていた火に近付くのは。


 今しかない。




「……」




 憎しみに染まった少女の姿が、黒く塗り潰される。顔だけでなく、全身が真っ黒になった。そして人の形から、無数の紐状に形を変える。


 その黒い紐が、ホイナの手足に巻き付かれた。重い。まるで枷だ。




「軽々しくは、いけないからね」




 ホイナは苦笑する。死人に会うのだ。その重さは、逆にホイナに力強さを与えた。


 そして黒い枷を課せられながら、ホイナは白い川の中を歩き出す。




 ヒーエの生まれ変わりのもとへ向かって。






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