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夢の中なら  作者: 鈴本恭一
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第6話






 その夢は嵐の荒野だった。





 どこまでも続くむき出しの地面と、枯れては折られた灌木がまばらに見当たる、荒涼とした場所だ。






 そこにホイナは立っていた。彼女は自分の視界が低いことにすぐに気付く。身につけている衣服を見て、自分は今、子供の姿をしているのだと理解した。




 どこまでも分厚く黒い雲が唸りを上げている。そして、閃光。同時に空気を破壊するような、耳をつんざく強力な轟きが起こった。ホイナはひっ、と悲鳴を上げる。


 そして土砂降りの驟雨。降り注ぐ雨粒は痛いほどの勢いだ。豪雨に苛まれるホイナは隠れる場所を探そうと、当たりを見回した。






 そしてそれを発見する。


 小さな岩だ。暗闇の中、雷光がそれを浮かび上がらせた。




 その岩に刻まれた文字も。



 ホイナはその岩に歩み寄った。そして、その刻まれた文字が読めるところまで近付く。






 その文字は名前を記していた。


 ヒーエ、と。






 岩だと思っていたそれは、ヒーエの墓標だった。


 彼女はヒーエの死後、あの村にあるはずのヒーエの墓へ赴いたことはない。そのため、ヒーエの墓標がこのような無造作なものであるのかどうか分からなかった。




 しかし、これが墓碑であることは直感で理解できた。自分がついに行くことの無かった、ヒーエの墓。






 ぎぃ、と音が聞こえた。







 扉の開く音が、背後でする。




 ホイナは後ろを振り向いた。







 ホイナのすぐ背後に、黒い人影がいた。





 荒野の中、人影の顔は見えない。背丈はホイナと同じ。つまり、子供だ。


 だれ、とホイナが口を開く前に、その人影が口を開く。粘りのある、どんよりとした暗く重い声で。




「あなたが、ヒーエをころした」




 風が猛烈に強さを増す。


 それはホイナに向かい風となって押し寄せた。雨の飛沫と共に烈風が彼女を引き裂き、切り刻もうとする。その中を、人影がホイナへ向かって進み出した。近付いてくる。






 いい知れない恐怖がホイナの中で炸裂した。彼女は思わず目を瞑り、恐怖心が破裂する勢いそのままに叫び声を上げた。






 その途端、誰かに腕を掴まれる。




「ホイナ」




 名前を呼ばれた。ホイナは目を開ける。そこにいたのは、ミュルツだった。






 周囲を見回す。敷き布がどこまでも続き、燭台と彫刻が点在する、ミュルツの間だ。




「今のは?」




 ホイナはミュルツに訊ねる。ミュルツはホイナから手を離し、




「君の夢だ」




 と簡潔に応えた。


 そして彼はその場に座り、用意していた器を彼女へ差し出す。器には湯気の立った薄茶色の液体が満たされていた。




「異国の茶だ。落ち着くといい」




 ホイナはミュルツに促され、ホイナは座り込む。そして差し出されたその器を手に取り、呼吸を整えながらゆっくりと飲んだ。口の中に快い香りが広がり、ホイナの気持ちを静めてくれる。




「君の気を紛らわすために、君とあまり関係ない話をしよう」




 ミュルツは言った。


 自分を対人解析機と名乗った人物が気遣いの言葉を作ったので、ホイナは少し可笑しく思う。




「竜殺しにとって、竜は敵ではない。あくまで獲物にすぎない。竜に反撃されることはあるだろうが、それは竜殺しに対する敵対行動とは思われない。あくまで竜殺しにとってはだが」




 ミュルツは敷き布に置かれた茶器から自分の分を器へ注ぎ、飲んだ。飲みながら、話を続ける。




「竜殺しにとって敵とは、竜を殺す行為を阻む者のことだ。かつて竜が単独で存在していた時代、竜殺しの狩猟行動を阻む者は、竜の守護者に位置する人外的存在や、竜を信仰する人間たちだった」


「竜より弱い人間が、竜より強いその何かと同じに扱われてたんだ」


「そうだ。彼らの共通点は、竜殺しの狩猟行動を感知し、それを否定し、妨害するという点だ。強弱は関係ない」




 ホイナは茶を啜りながら、さらにミュルツへ訊ねた。





「でも竜は消えちゃったんでしょ?」


「そう、そこが問題だった。竜は人類社会構造体と共生している。前にも言ったが、人類社会構造体が脅威なのは人外であろうと取り込む能力にある。そのため、竜殺しは彼らに発見されないよう隠れながら、竜を殺している」


「竜より強い竜殺しが、人間の集まりをこわがってるんだ」


「そう表現して構わない、と俺は思う。竜殺しに感情があるかどうかは、使われる側である俺には分からないが、脅威と感じているのは間違いない。でなければ俺に用はなく、こそこそする必要もないからな」


「もし見つかったら、竜殺しも負けちゃうのかな?」





 ホイナの問いかけに、ミュルツはしばし黙考し、応えた。




「現状、人類社会構造体の取り込み能力を除けば、彼らは竜殺しには叶わない。人類社会構造体は、無数の仕組みを利用することで運用される機械という武器を持っている。


 だがその仕組み自体を偽装されたものにしまえば、彼らは簡単に無力化できる」



「仕組みって?」




 ホイナは訊ねる。




「人間達はシステムと呼んでいる。これは秘術的な儀式や、数理及び物理の方程式といった決まりごと、これらをいくつも組み合わせて作られている」


「魔法でできたシステムって何?」


「かつてそういう時代があった。古代の魔術的な儀式の手順が、現代では科学技術に置き換わっただけだと思っていい。システムというもの自体は、昔から存在していた」



「なんだかよく分からないけど、魔法でも科学力でも、人間は竜殺しに勝てないわけだ」


「現段階では、そうだ」




 ミュルツは頷き、ホイナにとって奇妙な講義を続けた。




「このシステムが複雑かつ強力になって行くに従い、人類社会構造体は領域内のあらゆるものをシステムで表現できるようにしていった。


 人間の数や年齢層は勿論、風や川、雲の流れさえ仕組みの中に組み込み、利用することを可能とした」



「ええと……つまり、ああすればこうなる、っていう仕組みになんでもかんでもしたいんだ、その人類社会構造体っていうのは」


「一言で言うと、そうなる」




 ミュルツはホイナの器の茶が少なくなったのを見て、さらに茶を注ぎ込む。ホイナは礼を言い、それを飲んだ。




「俺の予測だが、いずれは人間の感情さえシステム内で表現できるようになるだろう。感情に単位をつけ、状況を演算し、その結果として現れる感情の成分表を作成する。対人行動予測システムだ」


「……なんだかなあ。なんでそこまでするの?」


「人類社会構造体の領域を拡大させるためだ。人間の理法はあらゆる方面へ進歩する。人類社会構造体のシステムが方程式で表現できないものを許さないのであれば、先の例もあり得る」




 そう言われて、ホイナは以前に夢の中で彼が言っていたことを思い出す。




「死んだ人と話せるようになるかもしれない、っていうのも、死んだらどうなるのか分からないのが嫌だからかな?」


「そうだな。生きている者が死ぬことは分かるが、死んだ後にどうなるのかは、死んでみないと分からない。それを理解するため、死者の領域にまで、人類社会構造体は拡大するかもしれない」




 ミュルツの話を聞いていると、その人類社会構造体という代物が恐ろしいものに聞こえてくる、とホイナは思った。


 実際、彼、というより彼の主である竜殺しというものが人間の集団を脅威と思っているため、それを解説するミュルツの言い方も、どこかおどろおどろしいもになっているのだろう。




「でも、竜殺しは人類社会構造体には勝てるんだよね?」


「彼らの運用するシステムの弱点は、あくまで用意された法則を読み込む、という方式を採用しているところにある」


「その法則を、竜殺しが用意した偽の法則にしてやればいいんでしょ? さっきも聞いたけど」



「そうだ。だが、竜殺しは危惧している」


「何を?」


「もし人間個人で限定的に有している創造能力、個人内部という枠内でのみ実存するその能力を、人類社会構造体自身が持ってしまった場合、彼らは法則を能動的に創造することが出来る」


「……」


「人類社会構造体が竜殺しの偽装法則を判別し、隠蔽を見破ってその狩猟行動を感知するほどの能力を有してしまったその時、はじめて人類は竜殺しの敵となる」





 今はまだ、そこまで成ってはいない、と対人解析機は言葉を結んだ。


 ホイナは茶を啜る。本当に自分には関係のない話だったなあ、という感想を持った。


 しかしふと、改めて考え直すと、この対人解析機に聞いてみたいことがあることに気付く。




「人類社会構造体の中にいる人間が、その構造体から脱出することは無理なのかな?」


「不可能ではない」




 ミュルツは即答した。




「正確には、別の構造体に取り込まれるという手段で、現在の構造体からの脱出を実現できる」


「ヒーエを、町の人間にしたかったみたいに?」


「そうだ。しかし、そもそも人類社会構造体に属している、という意識を持つこと自体が難しい。それをふせぐ能力が構造体にはあるからだ。それを能力の枷を突破するには相当のエネルギーが必要となる」


「……」




 ああ、そうか、とホイナは納得した。





 ヒーエは生きている間、それだけのエネルギーを生み出すことも与えられることも、ついになかったのだ。


 あの頃の幼い自分、否、今の自分でさえ、そのエネルギーを用意してやることはできないだろう、とホイナは思う。





「人類社会構造体は強力だ」





 ミュルツが、改めて言った。ホイナはそれに納得する。





 そして彼女の目元から、涙がこぼれおちた。透明な雫が、器に落ちて飛沫を作る。








 目に見えないものがいた。そして自分はそれに叶わなかった。ホイナはそれを思い知った。







 もはやどうにもならないことだというのに、ホイナは泣いた。


 ミュルツは、何も言わなかった。





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