第3話
その奇妙な夢の中で、ホイナはミュルツに訊ねた。
「人類社会構造体って、なに?」
「人間の集合体だ」
焼き菓子を切り分けながら、ミュルツはホイナの問いかけに応じる。
無造作な動作だったが、切り分け方は正確だった。
「人間は、ひとりでは単なる一生命体にすぎない。しかしそれが集団になった場合、特定の構造を有する社会生物に変貌する。形はあるが形がない、奇妙な構造体だ。これを竜殺しは、《人類社会構造体》と名付けた」
ミュルツが切り分けた菓子を、ホイナは礼を言いながら食す。頬張りながら周りをさらに見回した。いつの間にか、背の低い燭台が敷布の上に置かれている。枝状に分岐した形の燭台だ。
それがあちらこちらに配置されていた。蝋燭の淡い火から、何か芳しい香りが漂ってくる。蝋に香が混ざっているのかもしれない。
「かつて強力無比な魔剣使いがこの世に存在した」
ミュルツは言う。
「が、人類社会構造体は最終的にこの魔剣使いを死なせることに成功した。その為、竜殺しは人類社会構造体を脅威と判定している」
ミュルツは蝋燭の香りなど気にならないのか、淡々と説明を続けた。
「人類社会構造体は不思議な能力を持っている」
「能力?」
「人類社会構造体は人間の集まりで成り立っているというのに、当の人間ひとりひとりは人類社会構造体を感知できない、という特徴が見られる」
「……」
「これは、自分たちの属する構造体を感じることが出来ないよう、人類社会構造体がそういった能力を使用しているからだと推測する」
「なんでそんなことしてるの?」
「人類社会構造体が、構成要素に自身を損壊されない為、と考えられる。件の魔剣使いは、その気になれば山であろうと海であろうと、月であろうと両断できた。
その力で構造体そのものを破壊することも可能だったろう。しかし、できなかった」
「どうして?」
「魔剣使いには、人類社会構造体の存在が見えなかった。そして、彼は社会的弱者だった」
ミュルツはそこで紅茶を飲む。ホイナもそれを飲んだ。
ずいぶんと時間を置いてしまった気がしたが、紅茶は全く冷めていなかった。夢の中なのだから当然か、とホイナは思った。
ホイナはミュルツに訊ねる。
「人類社会構造体っていうのに取り込まれて、社会的弱者になったら、どんなに強くても死んじゃうんだ」
「そういった特性を、人類社会構造体は有している。自身より強力であろうと、取り込めば、もはや人類社会構造体の敵ではない。
そのため、竜殺しはその姿を人類社会構造体から隠蔽している。感知されなければ、取り込まれることはないからだ」
「もし取り込んで、社会的弱者じゃなくて強者になったら?」
「強者になった場合、その力で人類社会構造体の活動領域を拡大するだろう。取り込まれた時点で、人類社会構造体を感じることが出来なくなる。
つまり人類社会構造体に利益をもたらす武器のひとつに変わり、人類社会構造体はより強化される」
こわい話だなあ、とホイナは他人事の感想を持ったが、そこでふと思いついたことを訊ねてみた。
「神様も、取り込まれたもののひとつなのかな?」
ミュルツは応えた。
「おそらく。人類社会構造体の歴史の中でも古い時期に取り込まれ、長きに渡って活動領域の拡大に使用されたと思われる」
「みんなが神様を信じてた時代だね」
ミュルツは頷き、言った。
「そうだ。しかし現在では、異なるものが領域拡大のための武器になっているようだ」
ホイナはミュルツの言葉に眉根を寄せる。
「神様じゃないもの?」
「技術、テクノロジーと呼ばれるものだ。人類社会構造体は現在のところ複数存在するが、技術を共通基盤にして構造体同士の結合を試みている節がある。
竜殺しの獲物である竜も、この技術に共生するよう変化した。それほど強力であると、竜は判断したと思われる」
ミュルツは言った。
「いずれ技術が神に取って代わる。この世はテクノロジーの信者で溢れるだろう」
私は神様を信じてないよ、とホイナはミュルツに言おうかと思った。しかし、ミュルツはもうそのことを知っている気がした。ここは彼女の夢だ。
神を信じていないことをホイナが告白したのは、この世に2人しかいない。
ラサギと、ヒーエだった。