第2章 エロ本争奪戦 その2
「うわー……」
「マジかよ……」
「すげえ……」
「これはヤバいね……」
全員が幼稚な感想しか漏らせなかったのは、仕方のないことだ。それだけ皆、エロ本を食い入るように凝視していたのだから。
ちなみに公園では一歩引いて遠巻きから眺めていた僕だったが、自室に入って安心感を得たのか、僕もまた皆と同じような体勢でエロ本を囲んでいた。本を床に置き、四人が扇形に陣取って集中している。しかも恥ずかしながら、いつの間にかページをめくる役目は僕になっていた。
「ちょ、小宮山。もう少し遅くめくれよ」
「うん、早い」
ミッチーとボンザが文句を垂れるので、僕ははやる心を抑え、仕方なく同じページを隅から隅まで舐め回すように見つめることにした。
そういえば、いつか父親が、女性は脚が魅力的だと言っていたような気がする。
それを意識して、扇情的なポーズを決める全裸の女性の脚を一通り眺めてみるも……ダメだ、てんで意味がわからない。脚なんて女性でなくてもついてるし、そんなに見たけりゃ自分ので我慢すればいいのだ。わざわざエロ本で補う必要はないと思う。
それよりはやはり、自分にはない、膨らみを帯びた女性の胸部、つまりおっぱいに目が行ってしまう。もしくはちんちんの無い毛の生えた陰部もあるが、そこはまた、おっぱいに比べてはどうしても魅力が劣る。
その理由は、本日昼ごろ、教室で抱いていた妄想が想起されたからだ。
天野さんの背中に透けるブラジャー。そして膨らみが顕著に見られるようになった胸部。
ぶっちゃけると、僕はこのとき、エロ本の中の女性を天野さんと重ねて見ていたのかもしれない。
天野さんの……裸……。
「…………」
そう考えただけで、自然と生唾が喉の奥へと落ちていった。
「おい、早く次に行けよ」
「あ、ごめん……」
今度はいっちゃんが急かす。進むのが早いと言うミッチーとボンザとの意見と板挟みになるかと思いきや、どうやら下らない妄想のせいで意外に長時間、同じページを眺めていたようだ。しかもそこは公園で開いていた最後のページだったようで、ここから先、もう残りは未知なる領域。公園時には主導権を握っていたいっちゃんが、その先を急いで促す気持もよくわかる。
僕は女性の身体に触れないように、紙面の端を摘んで一枚めくった。
がしかし……。
「んー?」
声を上げて唸ったのはいっちゃんだけだったが、僕と他の二人も同じ気持ちだった。
女性の顔の前に突如モザイクが現れ、彼女がそれをじっと見つめているのだ。どうやら未だに裸のようではあるが、しかし肩から下が写っておらず、局部が見えないことに僕らは不満を抱いていた。
意味のわからないページに首を傾げ、僕は何も考えぬまますぐに次へ飛ばしたものの、他のみんなからは特に異議がなかった。
しかし次に行けど、あまり変わり映えはしない。しかも何故か裸の男の人が登場し、女性を抱きしめていた。そのため彼の身体に隠れてしまい、女性のエロい部分が見えない。
「なんでー。男の裸なんて、親父で見慣れてるっつーの」
ミッチーが飽きたように身体をのけ反らせた。胡坐をかき、両手を背中の後ろについて、視線をエロ本から遠ざける。僕も途中からミッチーと同じ気持ちになったけど、ページをめくる役目のため、彼のように体勢を崩すことはしなかった。
ただこのとき、強引でもいいから、主導権を誰かに渡した方がよかったのかもしれない。
進むにつれて、最初は恥じらい顔を見せていた女性が、徐々に叫び声を上げてるような苦しそうな表情になっていったからだ。密着している男が、女性に対して何か痛いことをしているのだと思ったのだろう。弱い者イジメでもしているような光景に、僕は少なからず嫌悪感を抱いていた。
「なんかつまんなくなってきたな。おい、もう一回最初に戻ろうぜ」
いっちゃんの提案に、僕らは異論を唱えることはなかった。あと数ページ残りはあったものの、僕は頷いて一度本を閉じた。表紙に写る艶めかしい女性の裸体が不意に視界に入り、心臓がドキリと僅かながら跳ねる。
しかし――、
数秒後、それ以上の驚愕が訪れようとは、このときは知る由もなかった。
再び四人で扇形を作り、最初の二三ページを拝見していたその瞬間である。
カチャリ!
背後から、自室の扉が控えめに開く音が聞こえた。
皆が皆、電気ショックを浴びたように、一瞬で身を強張らせたのが感じられた。
「みんなー、おやつ持ってきたよー」
慌てて振り返ると、開け放たれた扉には、人数分のオレンジジュースとお菓子の載ったお盆を持つユリアが、間延びした声を上げて立っていた。
瞬間、ミッチーがヘッドスライディングを決め、エロ本を腹で押しつぶす。
僕は膝立ちになり、ユリアに正面を向け、身体を大きくするように両腕を横に伸ばした。
「ちょ、ちょっと、ノックくらいしてよ!」
「ごめんね。みんなで遊んでるんなら、聞こえないかなと思って」
と言って弁明しながらも、ユリアは現状の異様さに気がついたようだ。
僕が背後を守るように大手を広げ、その対象は何故か床に向かってダイブしているミッチー。反応の遅れたいっちゃんとボンザの二人は、僕の隣で呼吸も忘れたかと思わせるほどの硬直ぶり。普通に遊んでいたとは、到底思えないだろう。
「みんな、どうしたの? 変な顔して」
「な、なんでもないよ。ただ睨めっこして遊んでただけさ」
「ふーん」
苦しい言い訳だっただろうか。ユリアは目を細め、露骨に疑わしげな表情で、不吉に笑う僕ら四人を見渡していた。
「へー、睨めっこねえ。それよりも、三井君のお腹の下に、女の人が裸になってる絵が見えたような気がしたんだけど。お姉ちゃんの見間違いだったのかな?」
バレてる!
全員の額に、冷たい汗が浮かんだ。
「女の人の裸? はは、そんなまさか。たぶん見間違いだよ」
「そうなの? じゃあちょっと悪いけど、三井君、どいてくれる?」
僕の背後で、ミッチーが激しく身体を震わせたのがわかった。
マズイ。ユリアのプレッシャーによって、ミッチーの笑顔が消えている!
「も、もしだよお姉ちゃん。もし僕らが、女の人が裸になってる本を持ってたら、お姉ちゃんはどうするつもり?」
苦し紛れの問い掛けだったが、ユリアは「うーん」と唸り、真面目に考えている様子。
そしてすぐに答えが出たのか、笑顔に戻ってこう宣った。
「たっくんたちがそういう物に興味があるのはわかるわ。けど、まだ年齢的にちょっとだけ早いかなあー」
焼かれる! と、皆が同時に直感したに違いない。
教室で何の躊躇いもなく、レーザービームで蜂を殺したユリアだからこそ、僕らにとって害があると思っている物品は、問答無用で消去しにかかるだろう。
そして何よりも、彼女の不気味な笑顔が確実にそう言っていた。
僕らは再び視線を合わせる。
一秒後、作戦は――決まった!
「うわああああぁぁぁ!」
突如、叫び声を上げたボンザがユリアに向かって駆け出した。開け放たれた扉の正面に立つユリアを避け、脇を通って退室を試みる。
しかしそこはアンドロイドのユリア。反応速度は尋常じゃない。
おやつの載ったお盆を片手で持ち、突進してくるボンザの頭を、難なく片手で押し止める。
ただしこれこそが、僕らの作戦だった。
ユリアは今、片手にお盆、片手にボンザを受け止め、両手が塞がった状態。
瞬時に体勢を整えた僕らは、エロ本死守作戦を決行する。
いっちゃん、起き上りエロ本を抱えたミッチー、そして僕の順番に三人が縦に並び、ボンザに倣ってユリアへ突進する。ただしボンザとは逆方向、つまりユリアのお盆を持っている手の方の脇をくぐり抜ける。
お盆を手放せず、かつボンザを捕らえているため、脚でしか僕らの突進を阻むことはできない。しかしいくらユリアの両脚が強力といえど、僕ら子供に対してあの常識外れた力は使えないだろうし、彼女の細い片脚では壁としては不十分だ。
結果、先頭のいっちゃんは脚を駆使するユリアの妨害を見事に抜け、廊下へと飛び出す。続いて同じようにミッチー、僕もユリアの脇を抜けることに成功した。三人は一列を為したまま、階段へと目指す。
そして僕はこのとき、目にした。目にしてしまった。
一番後ろの僕は振り返る。ユリアは追ってくるのか確認するのと、不可抗力とはいえ犠牲にしてしまった仲間に弔いの言葉を残すために。
たった二秒。そう、僕が彼女の脇を通りすぎてから、たった二秒にも満たなかったはずなのだ。
振り向いてその光景を目の当たりにした僕は、額に青い縦筋が引いた。
囚われの身であったボンザはその場で正座させられ、ユリアがどこからか取り出した紐のような物で、両手を背中に回して縛られていた。しかもジュースが載ったお盆を腿の上に置かれることによって、ボンザは立ち上がることを不能とさせられていた。
たった二秒で、だ。
そしてこちらに正面を向けたユリアが、にっこりと微笑んだ。
「逃がさないわよ」
まるで普段と変わらないような、優しげな笑みだから余計に恐ろしい。
僕は前へ向き直り、恐怖心からミッチーの背中を押して急かす。
このままだと、次に犠牲になるのは、最後尾にいる僕だ!
恐怖が焦燥を煽るが、廊下は狭い。全速力で駆けることもできず、結果玉突き事故のようになって逃げることはできなかった。
背後で妙な威圧を感じる。
後ろに目があるわけではないが、すぐそこでユリアの手が伸びているような気がした。
しかし、僕の感覚と予想が間違っていたことを、すぐに知ることとなる。
先頭のいっちゃんが、ようやく階下への階段へとさしかかったそのとき、
タンッ!
打楽器を叩いたような短い音が、後ろで聞こえた。得体の知れない音に怯えるのと同時、なんと突然、ユリアが天井から降ってきたのだ! 彼女は階下へ急ぐいっちゃんと、それに続くミッチーの間に割り込むようにして、階段の一段目に降り立った。
思いがけない不意打ちを食らい、驚愕の声すら上げる暇さえなかったが、ユリアが僕らの頭を飛び越えて、前方に降り立ったんだと即座に理解できた。なんという脚力!
だが感心している場合ではない。完全に逃走路を塞がれてしまった。慌てて引き返す選択肢は残っているものの、ユリアはすでにエロ本を持つミッチーの目の前だ。万事休す!
「ヘ、ヘイ、パスッ!」
このときほどミッチーに称賛を与えたことはなかったかもしれない。
突如として眼前にユリアの身体が現れたミッチーは、驚くべき反射神経でエロ本を僕に向けて投げ渡したのだ。ラグビー選手も顔負けのバックパス。僕は宙に舞ったエロ本を受け取ることに成功した。
「捕まえた」
そう呟いたユリアがミッチーに抱きつくが、時すでに遅し。ミッチーは容易に拘束されたが、エロ本はもう僕の手の中にある。
そしてユリアが両腕を使ってミッチーを拘束したことで、逃走路が確保された。
僅かではあるが、前を遮る二人の横に隙間が生じたのだ。僕の心眼は即座にその道を発見し、腰を屈めて全力で突っ切った。
「デビルバットゴースト!」
まあ、少し前に読んでた、アメフト漫画の技名だけどね。そんな大層なものじゃなかったけど、今の僕の走りは、自分でも恐ろしくなるくらいに華麗だったと思う。
ユリアの横を走り抜けた僕は、転げ落ちるように階段を下った。ただしこのままでは逃げられないだろう。背後では、ユリアの胸に押しつぶされて幸せそうに床に伏せるミッチーと、すぐさま身を翻してすでに僕へと標準を定めているユリア。
やっぱり、僕も含めたみんなの犠牲がなければ、エロ本を守り通すことはできないのか……。
一瞬にして悟った僕は、三人の夢を前方にいる仲間へと託す。
「いっちゃん、パスッ!」
「おうっ!」
すでに一階へと降り立っていたいっちゃんに向けて、エロ本を投げた。
彼が受け取り、そして屋外へ持ち逃げしてくれれば、ユリアもそこまで追い掛けることはしないだろう。あとは安全なところへ隠して、後日またどこかで観賞すればいい。ユリアには小言を言われるだろうが、僕らの夢が守られるならば、ユリアの説教くらいいくらでも耐えてやるさ!
しかし残念ながら、僕は失念していた。
ユリアが最初にレーザービームを見せたときの状況。どれほどの威力で、どれほどの命中精度があったのかを、僕は完璧に忘れてしまっていた。
ユリアは、教室内で飛んでいた蜂を、見事一撃で仕留めたのだ。
然れば放物線を描く、蜂よりも何倍もの大きさのあるエロ本など、射とめるなど朝飯前のはずだったのだ。そして案の定――、
ピーーーーーー! ボッ!
僕の頭越しに青い光が刺し、宙に舞ったエロ本を焼いた。
「「あっ!」」
青い炎を纏って床に落ちるエロ本を、僕といっちゃんは呆気に取られたまま眺める。不思議なことに炎は床に燃え移ることはせず、紙媒体であったエロ本を完膚なきまでに灰へと化すだけだった。
こうして、エロ本死守作戦は、僕らの完敗で終了した。
***
その日の夜のこと。
夕食を共にしている両親の前で、今日の出来事をあっさりとユリアからチクられた。
バツが悪そうに俯く僕の心配をよそに、ユリアの話を聞いた母親は渋い顔をしたものの、父親は声を上げて大笑いするだけだった。怒られることを覚悟していた僕にとっては、二人とも拍子抜けの反応だった。
「太郎。エロ本に興味があることは、別に恥じることじゃないぞ。それは男の子にとっては誰もが歩む道だからな」
事もなげに、普段通りの会話をするような父親だが、その横から母親が窘めるように反論する。
「でも太郎はまだ小学生よ。早すぎるわ」
「そうです、お父様。あのような本は、十八歳以上の成人男性のみ閲覧可能と、法律で定められております」
女性二人から異議が出るも、父親は軽く受け流すだけだ。
「それこそ法律がおかしいんだよ。実際に害が及ぶ、タバコや酒とは違うんだ。こういうことは、幼いうちから予行練習しといたほうが良いんだよ。な、太郎!」
そんな笑顔で同意を求められても……。
どうやら父親の持論は、女性には受け付けられなかったようだ。母親はともかく、アンドロイドであるユリアが父親に反発するのは、珍しい光景である。
夕食を食べ終わり、両隣からブーブーという批判を煩わしそうに振り払った父親が、立ちあがって僕の席へと歩んできた。
「五月蠅い女共の小言は放っておいてよ、後学のためにお父さんが今からいろいろと教えておいてやるよ。例のエロ本は……お前が持ってるのか? それとも友達が持って帰ったのか?」
「ああ、それなら……」
横からユリアが、今日の出来事の後半部分を説明し出した。
その話を聴き、父親の顔色が瞬時にサッと青ざめ、同時に母親が訝しげに表情を歪める。
どうして彼らがそんな反応を見せたのか、理由は明白だった。
ユリアのレーザービーム機能は、母親には内緒のはずなのだ。事の顛末を詳しく話さねばならないと思ったユリアは、最終的にビームを使ってエロ本を消去したことをも打ち明けてしまった。当然ながら、ユリアにとってはレーザービームを使用してはいけないということは知らなかったのだろう。
得意げでもなく、意地悪そうにでもなく、ユリアは短い説明を終えた。
「あなた……どういうことなの?」
話を聞き終えた母親が、鬼気とした面持ちで父親を睨む。
カラクリ人形のように小刻みに首を回す父親は、しかし母親の目を見ることはない。
「いや、それはだな……」
結局、話しの矛先は父親に向いたのだった。
レーザービームの存在を露見したのが母親だけだったので、父親の責任問題を追及されることにはならなかったものの、後日、ユリアからビーム機能が取り除かれたことは言うまでもない。