第3章 ユリアの欠点 その1
アンドロイド=人間ではない。ということは、両親に説明された時点ですでに理解していた。では、人間ではない=どこまで人間に近づいた機能を持っているのか。家事を筆頭に、会話、反応、見た目と、すべてにおいてロボットということを忘れてしまうほど、ユリアは人間と類似している。
じゃあ、もうほぼ人間として扱ってもよいのだろうか?
それは違う、というのが僕の答え。その結論を導き出した理由は、ユリアと一緒に生活していく上で、彼女の限界を徐々に把握していったからだ。
***
アンドロイドの欠点、その一。
ユリアは食事を摂らない。人間が好む料理を作り、食卓でも一緒にテーブルを囲んでいるものの、ユリアが自分の食事を用意することはない。機械で造られたアンドロイドなのだから、当然のことといえよう。当時の僕はそういうものだと理解し、そして不思議に思うこともなかった。
しかし今だから疑問を抱ける。それはあり得ないことだ。
人間ではないのだから、人間と同じ物を食べられないのはまだいい。じゃあユリアはどうやって動いているのか。
動いている物はそれ相応のエネルギーを消費し、かつ消費するためのエネルギーをどこかで補わなくてはならない。動物だったらそれは『食べる』という行為で栄養を摂っているのだし、植物なら水と日光と二酸化炭素、つまり『光合成』を行う必要がある。
だけど、ユリアは何も取り入れない。動いているのにもかかわらず、ユリアがエネルギーを摂取している姿を、僕は一度も目撃したことはなかった。
それは変だ。
そしてとある日の深夜、僕はそれを発見することになる。そのときは理解不能なユリアの行動に、ただただ恐怖心を抱いていただけではあったが、なんのことはない、彼女はただ充電していただけなのだ。
夜中、尿意を感じてトイレへ向かうと、妙な音がした。ピーやらガガガガなどといった機械音。たまに両親が徹夜で研究をしているのは知っていたが、しかし地下の研究室は完璧な防音仕様。一階にまで聞こえてくるはずはない。しかもそれらの音は、地下室の方からではなくキッチンから聞こえてくる。
恐怖に身を震わせながらも、確認せずにはいられなかった。
好奇心からか、正義感からか、それともユリアという前例があったためか。僕はトイレに向かう前に、忍び足でキッチンの中を覗いた。
そこには、不気味に赤く光る二つの目玉が。
「あああぁぁぁ!」
驚きのあまり後方へバランスを崩し、壁に背中を打ちつける。恥も外聞もなく叫び声を上げたことにより、両親はすぐに駆けつけてくれた。電気が灯され、キッチンが白々とした光に包まれることにより、赤色の光はユリアの瞳から発せられることに気づいた。
ユリアは充電してるんだよと父親が説明をしてくれたが、恐怖に慄いている僕の頭には、一欠けらも理解することはできなかった。
休止状態のときは瞼を閉じているのに、充電中は見開いてるのかよ……。
なんかユリアが家に来てから、僕は悲鳴を上げっぱなしのような気がする。
ちなみにこの事件のせいで、僕はユリアの添い寝を断固拒否するようになったのだ。それとこれが僕にとって最後のお漏らしになったのは、できれば内緒にしておいてほしい。
***
アンドロイドの欠点、その二。
それはとある日、僕が普通にお風呂に入っているときだった。
「たっくん。背中流すよ」
「いぃーっ!」
突如、ユリアが風呂場へと乱入してきたのだ。しかもバスタオルすら身に纏わぬ、素っ裸で。
僕は慌てて、身体を湯船へと深く潜り込ませた。そして自分の視線がユリアの豊満な胸へと釘付けになっていることに気づき、急いで逸らす。ただ僕の羞恥心を意に介さないユリアは、臆面もなく僕の腕を引いた。
「い、いいよ。自分でできるから!」
「いいからいいから。遠慮しないで」
拒絶しながらも、促されるまま湯船から出てしまう自分が情けない。
「うふふ。やっぱり、たっくんはまだまだ子供ね」
「み、見ないでよ!」
そりゃ、父親に比べたら全然小さいけどさ。それでも恥ずかしいものは恥ずかしいし、小学生といえど男としてのプライドも僅かながらあるし。
……というか、アンドロイドにこんなこと言わせるなんて、人工知能に携わった母親は一体何を考えてるんだか。
片手で股を隠し、ユリアの身体をできるだけ視界に入れないように、湯船から出た僕は椅子に座った。そして背中にタオルが当てられ、ユリアが優しく擦り始める。正直、心臓バクバクだった。
「ねえ、たっくん。学校は楽しい?」
まるで日頃仕事が忙しいお父さんが、無理やり息子との話題を作るような問い掛けだな。けど僕の思考は、ただいま美人なお姉さんと一緒にお風呂に入っているというこの上ない混乱に埋め尽くされているため、「うん」とか「そう」などといった、曖昧な返事しかできなかったんだけれども。
友達は何人くらいいるのかとか、学校の勉強にはついていけてるとか、ありきたりな会話をしたまま、ユリアは僕の肩、背中、腕、そして臀部の辺りまで丁寧に泡で包む。そして手の届かない背面に、あらかたタオルが行き届いたそのときだった。
突然、ユリアが僕を優しく抱きしめた。
「――ッ!」
肩甲骨の辺りに、柔らかい感触。そして長い両腕で僕の体躯を包み込み、初対面のときのように、僕の頭頂部に顎を載せた。
ただしあのときとは、まるで状況が違う。二人を隔てるものは何もなく、裸と裸の密着。口からは息や声の代わりに、心臓がそのまま飛びだしてしまうくらいに昂った。
「私、たっくんのお姉ちゃんになれて、本当に良かった」
頭の上から、そんなことを言う。
どういう意味なのか、もしくは意図があるのか、さすがに図りかねる。
感情の高ぶりは僕の頭から言語を奪い、言葉の出ない口はパクパクと無意味な開閉を繰り返す。
体温が上昇しているのがわかった。背中に押し付けられている胸を、意識しているのにも気づいた。
けれどそれ以上に、僕の体内で眠る何かが、興奮を糧として、花開いてしまうことが怖かった。
「…………僕も……」
一度息を呑み、伝えたい言葉を再度頭の中で組み立てる。
先ほどよりさらに強く抱きしめるユリアの行為を、僕は催促だと受け取った。
「僕もユリアが……」
ユリアがお姉ちゃんで良かった。そう伝えたかった。
が、しかし。
『ピー』
声ではなく、無機質な機械音が、頭の上から聞こえた。
「え……? お姉ちゃん?」
『皮膚外にて異常な温度上昇を感知しました。内部機器による異常発熱を防ぐため、一時的にすべての機能を強制シャットダウンします』
抑揚のない機械音声は、そこで終わった。
「え? え?」
ただし終わったのは、ユリアの口から発する意味不明な言葉だけではない。ユリア自身もまた、言葉通りその機能を完全停止させていた。僕の身体を抱きしめたまま。
「あのー、お姉ちゃーん」
呼びかけるものの、返事はない。ただの屍のようだ。
溜め息とともに、全身の熱が一気に冷めていくのがわかった。未だ裸のまま抱きしめられているものの、相手の意識が無ければそこまで恥ずかしがる必要もない。
「はは……」
自嘲気味な笑いを零し、僕は両手で顔を覆った。今思い返してみれば、恥ずかしいことこの上ない。確かにユリアは立場上、僕の姉ということになっているが、それだけだ。さっき僕はなんて言おうとした?
ユリアがお姉ちゃんで良かった? アンドロイド相手に、何言おうとしてたんだ、僕は。はは。
ユリアの内部構造がどうなっているかは知らないが、数分経っても彼女が再起動することはなかった。たぶん両親が何らかの処置を施さないと、起きないのだろう。僕は彼女が目を覚ますのを諦め、両親を呼びに行こうとした。
しかし、そこでようやく気づく。
「あ……あれ?」
頭頂部に顎を載せ、さらに両腕を身体に回して完全密着しているユリア。僕はそのまま彼女の腕を解き、浴室から出ようとしたんだけど……う、動かない?
停止してしまったユリアの腕は、まるで拘束具のように、僕の身体を完全に縛り上げていた。鉄の輪っかが、腰の辺で装備されている感じ。しかもアンドロイド、つまりロボットであるユリアは見た目以上に重く、その体重はゆうに百キロは超えると、父親から聞いていた。無論、小学生の僕が百キロなんて重量を持ち上げるなんてことは到底できず、また隙間のない彼女の腕では、上下から抜け出すことも不可能。
完全に、拘束されていた。まったく身動きの取れない現状に、青ざめる。
結局、いくら騒いだところで、浴室から普段家族がくつろいでいるリビングに声が届くことはなく、異変に気付いた両親が、僕の様子を確認しに来たのはそれから一時間以上も後のことだった。
その間、僕はずっと裸だったわけである。背面は柔らかい肉厚が適度な温度を保っていたため良かったのだが、前面まではそうはいかなかった。普通に湯冷めした僕が、翌日風邪を引いたのは、必然といえば必然である。