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アンドロイドねえちゃん  作者: 秋山 楓
アンドロイドねえちゃんとの再会
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第1章 ユリアとの再会

 車内から、夜とは思えないほど輝きに満ちたネオン街を眺める。無機質で機械的で人工的に為された風景が後ろに流れていくのを、僕は無感動のまま視界に入れていた。


 今、僕は父親に連れられて、会社に向かっている途中である。


 父親に諭されユリアに会いたいと宣言した後、いても立ってもいられず、僕はユリアがいる会社に連れてってほしいと願い出た。父親の方も僕がそう言うだろうと予測していたようで、すぐに車を出してくれて今に至る。


 実際には十数分前の話しだが、焦る僕の感覚では、すでに数時間が経過していたようにも思えた。


 それだけ僕の心は、一刻も早くユリアに会いたがっている。


 最初はどんなふうに顔向けしよう。話しの切り出し方はどうしよう。次にどんな話をしよう。ユリアが家からいなくなった後の話でもしようか。でもそんな話で、彼女は笑ってくれるだろうか。


 期待と不安は同時に生まれるも、僕はずっとユリアのことだけを考えていた。


 運転する父親と一言も会話をせぬまま、車は煌びやかなネオン街を抜け、背の高いビルが並ぶオフィス街へと入ったようだ。こちらは先ほどよりも光が少なくなり、暗闇の支配が強くなっているものの、電気の点いている建物が皆無というわけではない。電気が点いているということは、誰かがいるということ。大人の世界を知らない中学生の漠然とした考えではあるが、陽が沈む頃に両親が帰ってきてくれるということは、意外に幸せなことなんだなと思った。


 やがて幅の広い国道を折れ、狭い路地へと入る。すると車はすぐに、建物の地下へと潜る坂道を下りだした。


 その先は地下駐車場だと認識し、同時にここが父親の会社なんだと直感する。

 ユリアが、この建物のどこかにいる。

 そう考えると、自然と動揺が増し、全身が強張った。


「こっちだ」


 車から降り、父親に促されるままエレベーターへと向かう。

 白色度の高い閉鎖空間に乗り込み、父親がボタンを押すのを、大きな背中越しから覗き見た。目指すは十六階。扉上のランプが点灯し、僕らを乗せた機械の箱が上昇するのを足元から感じた。


「太郎。今のうちに言っておくが、ユリアの記憶の件なんだが……」

「……うん」


 僕とユリアが決別するに至った理由……いや、僕がユリアを人間だと思い込みたくなった理由を、忘れていたわけではない。ただ、気がつきたくなかっただけだ。現実から逃げた自分の愚かさ、情けなさを。


「今、ユリアの記憶容量は完全な限界を迎えている。もちろんバックアップは取ってあるが、これ以上は何も覚えられないことを肝に銘じてくれ」

「覚えられないと、どうなるの?」

「お前とユリアの大切な思い出を、お父さんたちが選ぶわけにはいかなかったからな。次に起動するのと同時に、一番最初の記憶から上書きされていくようになっている」


 つまり母親が言うところの、ところてん方式を取っているのだろう。記憶容量が一杯になったのだから、古い物から順に消していき、新しい記憶が入るスペースを作る。


 ユリアの記憶が消えるなんて嫌だ。と、駄々をこねられるはずがない。

 だってこれは、僕が現実から目を離した結果なのだから。


「行くぞ」


 電子音と父親の声で十六階に着いたことを知り、一瞬だけ動悸が高まった。


 妙に狭く感じられる廊下を、父親の背に連れられて歩く。閉鎖感を受ける理由は、廊下の壁という壁に窓がないからだ。学校ではガラス張りの窓が外の景色を映して開放感を演出してくれるも、ここはそれらが一切ない。等間隔に並ぶ鉄の扉と、トイレや階段といった分岐路くらいしかない。


 息苦しささえ身に覚える廊下も、そう長くは続かなかった。


 突然扉の前で立ち止まった父親は、財布の中からプラスチックのカードを取り出し、扉横の機械に通した。すると間抜けな機械音が鳴り、外開きの扉が自動で開く。


 中は意外に狭かった。多くの機械類やデスクが敷き詰められているからかもしれないが、それを抜いたところで、たかが知れた広さだと思う。家の地下研究室と同程度だろうが、個人の家と会社という前提で比べれば、決して余裕があるとは言い難かった。


 そして障害物を除けば、入口から一望できるその部屋に、ユリアは――いない。

 すると父親が、隣の部屋へと続く扉に手を掛けた。


「ユリアはこっちの部屋で眠ってる。お父さんはこの部屋で待つつもりだが……一人でいいな?」

「……大丈夫」

「起動の仕方はわかっているな?」

「うん、ちゃんと覚えてるよ」


 何も変わっていなければ、唇を撫でることでユリアは目を醒ますはずだ。

 大丈夫。一番最初に彼女に触れたときのことを、僕は今でも昨日の出来事みたいに覚えている。そしてこれからも、一生涯忘れることはないだろう。


「さあ、お前の気が済むまで、ユリアと話してこい」


 背中を軽く押され、僕はユリアの眠る部屋へと足を踏み入れた。


 清潔感の漂う、白い部屋だった。天井から降り注ぐ蛍光灯の輝度もさることながら、側壁も一片の濁りもないような無色だ。まるで病院のような、と比喩できれば想像しやすいものだろう。しかしここは消毒液の匂いがしなければ、患者を和ませる気配りがされていることもない。


 壁際に設置されている機械類はどう見ても医療用ではなく、そしてあまりにも乱雑としていた。

 そして――部屋の中心にある、一台のベッド。その上に横たわる、一人の女性。

 その人物がユリアだと気づくのと同時に、背後で扉の閉まる音がした。


 息を呑み、一歩ずつ彼女に近づく。こちらもそう広い部屋ではない。五歩程度で、僕はユリアの傍らまで辿り着いた。


 彼女は入院患者のような簡素な衣服を纏い、身じろぎ一つどころか、寝息すら立ててはいなかった。血の通っていない、そこにあるのはただの……物。


「う……ぐ……」


 突如として頭の中に雑音が混じり、一歩よろめいてしまった。

 想起されたのは昼間のこと。地下研究室で、今のユリアと同じくベッドに横たわっていた一体の人形。それの四肢は引きちぎられ、中からは金属の管が……。


「大丈夫。大丈夫。わかってるから、もう理解しているから」


 ユリアはアンドロイドだ。もう、僕は間違わない。ユリアの中身を見たわけではないが、彼女もアレと同じなんだ。大丈夫、理解している。理解しているからこそ、僕はユリアに会う決心がついたんだから。


 でも……もしユリアが人間だったらよかったのにな。と思ってしまうのは、僕が弱い人間だからだろうか?


「ユリア。起こすよ」


 一応断ってから、僕は彼女の唇に触れた。機械とは思えないほどに瑞々しいその肌に、ずっと触れていたい願望もあったけれど、そのままだといけない場所まで触ってしまいそうだったので、すぐに手を離した。


 しばらくすると、最初のあのときのように、ユリアは音もなく目を開けた。

 そしてゆっくりと僕の方へ首を回し――彼女は笑った。


「おはよう。久しぶりだね、たっくん」


 彼女の笑顔を見た途端、僕のお腹の中で何かが弾けた。それは心臓や胃よりもやや下の方で酸味のように広がり、腹部全体に発散する。同時に逆流。食べた物が身体の中を流れる逆の過程を辿り、生まれた酸味は口に向かって一気に上り始めた。


 でも、僕は我慢した。それが涙だと知っていたから、耐えることができた。

 ユリアと再会しても、僕は泣かないと決めていたから。


 けどそのせいで、紡ぎたかった言葉も一緒に飲み込んでしまう。食道までせり上がってきた涙を押さえるのと同時に、僕は再会の言葉も失ってしまっていた。たぶん口にしてしまえば、僕は泣いてしまうだろう。


「どうしたの? お口をへの字に曲げちゃって。凄い顔してるよ」


 涙を堪える僕の顔は、どうやら他人に見せるに値しない顔になっていたらしい。


 でも――やっぱりこれは、言い訳なんだと思う。


 泣きたくないから言葉が出ないなんてのは、たぶん嘘。だって泣いちゃダメだって決めたのは、僕自身なんだもの。そんなもの、自分を甘やかせられればいくらでも捨てられる。自分のプライドと、大好きな彼女に伝えたい言葉。どちらが優先かなんてのは、考えるまでもなく決定事項だ。


 だから僕が言葉を失ってしまった理由は、ただ単に嬉しかったから。


 ユリアに会うことができて、ユリアの声を聞くことができて、ユリアとお話しすることができて、ユリアに触れることができて、ユリアと見つめ合うことができて、ただ嬉しくて、僕は彼女に贈る言葉を――いや、言葉の紡ぎ方も、一時的に忘れていた。


「ユ……リア……」


 カラカラの喉で無理やり喋るように、ようやく彼女を呼ぶことができた。

 ユリアはベッドの上で上半身を起こし、可愛げに首を傾げた。


「なーに?」


 彼女の言動一つ一つが、常に僕の心を揺るがせていた。

 そうでなくとも、ユリアと再会できたことにより爆発した僕の喜びは熱となり、すでに思考は沸騰状態。つまり頭が真っ白になっているのだ。いまさら心がどう揺らいだところで、激しく取り乱すことはないだろう。


 だから僕は、ユリアに一番伝えたかったことだけを言う。他の言葉はすでに思考の奈落へ拡散してしまったため、探すことさえも困難だ。


 極限状態の脳から事前に用意していた言葉を引っ張り出し、ユリアの瞳を見据えたまま僕は宣言した。


「一週間、ユリアと会えなくて気づいた。僕はやっぱり、ユリアが側にいなくちゃダメなんだ。ユリアが必要なんだよ」

「あらあら。たっくんたら、いつまでもお姉ちゃん離れができない困った君ね」

「違うよ。そうじゃなくて……」


 ダメだ、まとまらない。言いたいことはあっても、言葉にするのが難しい。

 でも僕は諦めず、どんなに支離滅裂でも前後関係の繋がらない文脈でもいいから、自分の想いを伝えたかった。


「ユリアが人間だろうがアンドロイドだろうが、どっちでもいい。ユリアはユリア、僕の大切なお姉ちゃんなんだ。だから……どこにもいかないで。ずっと僕と一緒にいて」

「…………」


 今度は茶化されることがなかった。それどころか、とても真剣な表情で僕を正視している。

 アンドロイドであるユリアは一体、僕の気持をどのように受け止めているのだろう?


「僕はもう間違わないって決めたんだ。ユリアは人間じゃない、アンドロイドなんだ。だから僕とエッチなこともできないし、記憶ができなくなることもあると思う。でも僕はそれを受け入れる。ユリアが僕のたった一人のお姉ちゃんであってさえくれれば、後はどうなったって構わない!」


 それは、単純なお願いだった。

 ただユリアの側にいたい。ユリアと一緒に生きていきたい。

 彼女の記憶容量が限界だろうが、一人だけ容姿が変化しなかろうが、そんなことはどうでもいい。いつまでも、彼女の笑顔を間近で見られるのならば。


 それを伝えたかっただけなのに、なんだか余計な遠回りをしてしまった。


「でも、僕はまだ子供だから、お姉ちゃんに甘えちゃうこともあると思う。だから、その……僕が甘えたくなったら、その、受け入れてくれない……かな?」

「うん、いいよ」


 そう頷いて、ユリアが僕の頭を撫でてくれた。

 恥ずかしくて頬が火照るのを感じたため、僕は軽く俯く。


 ああ、やっぱりダメかもしれない。ユリアが姉であろうとアンドロイドであろうと、僕の最愛の人であることに違いはない。そんな大好きな人がすぐ側にいて、僕と触れ合ってくれている。


 こんな状態で、性的欲求が湧いてこないはずはない。


 ユリアを見て欲情しないとか、アンドロイドだからエッチなことはできないとか、そんなものは結局、僕の中だけで決意したもの。自己完結以外の何物でもない。ちょっと挫けてしまうだけで、いつでも脆く崩せることができる覚悟だ。


 だから――けじめが欲しかった。


 区切りとでも言うべきだろうか。僕がユリアを性的対象として見ない誓いでもあり、線引きでもある。

 これまでの想いに終止符を打つ証明。かつ、これからのスタートラインを引く証拠。

 そんな物が欲しくて、僕は身を乗り出した。


「ねえ、ユリア。僕の最後のお願い、聞いてくれないかな?」

「たっくんのお願いなら、いつでも聞いてあげるよ」

「ううん、そうじゃなくて……」


 エッチなお願いはこれで最後。そういう意味で言ったんだけど、やっぱり口に出すのは憚られた。恥ずかしいし、何よりあのときみたいに拒否されるのが嫌だったから。

 だから僕は、無理やりユリアの唇を奪った。


「――ッ!?」


 僕は目を閉じていたため、彼女がどんな顔をしていたのか見れなかったけど、喉元で唸った声は驚きを示していたんだと思う。どちらにせよこのときの僕は、心臓がはち切れんばかりに鼓動を速め、全身を巡る興奮から、唇の触覚以外の感覚は意識の外だったけど。


 ユリアの唇は人肌のように温かく、金属のように冷たかった。


 柔らかく、そして堅い感触。不思議な感覚ではあるが、これがユリアの唇なんだ。僕が愛した女性の唇なんだ。それがどんな感触であろうと、今が一番幸せを感じていることには変わりなかった。


 そのままの姿勢で数秒後。とても惜しくはあったが、息苦しさのため僕は唇を離した。

 上目遣いで、目の前の彼女を見る。体内の血液がすべて顔面に集中しているほど火照った僕とは対照的に、ユリアは普段通りの表情でそこにいた。


 そして、はにかむ。


「えへへ。初めてたっくんとキスしちゃったね」

「…………え?」


 その言葉には、どこか違和感があった。いや、違和感どころじゃない。完全な間違い。


 僕は鮮明に覚えている。


 ユリアと初めて出会ったとき、僕は彼女とキスをした。あれは向こうからの一方的なものだったけど、ファーストキスを奪われた印象は、死ぬまで忘れることはないだろう。それが確か、ちょうど三年前のこと。


 人間の僕だって、三年前の出来事くらい覚えているんだ。すべてを記録できるアンドロイドが、人間の記憶力に劣るはずはない。


 でも……今の言い方は、冗談ではなさそうで。

 間違いなく今のが『初めて』だと、ユリアは信じていて。

 僕との最初のキスを、ユリアは完全に忘れている。

 それはつまり、記憶の浸食が始まっているということ。

 ユリアは今、古い記憶を徐々に忘れることによって、新しい記憶を取り入れている。


「う……」


 泣かないって決めたはずなのに、今更になって涙が込み上げてきた。

 溢れ出た悲しみは涙と変わり、抑えることもできずにポロポロと零れ落ちる。

 わかっていたのに、覚悟していたはずなのに、耐えることができなかった。


「うぅ……」


 ユリアが過去のことを覚えていないことも、もちろんだけど――、

 それ以上に、ここで話したことも、彼女はいつか忘れてしまうという現実が身に染みて、悲しまずにはいられなかった。


「どうしたの? 急に泣き出しちゃって」

「ち、違うよ。違うんだ、ユリア……」


 泣きたいから泣いてるんじゃない。そう伝えたかったが、むしろ言葉にすると嗚咽がひどくなりそうだった。

 そのうち治まりがつかなくなり、僕はユリアを抱き寄せた。


「たっくん?」

「僕が……僕が覚えてるから!」


 涙混じりに、自らの決意を訴える。


「ユリアが忘れちゃうって言うなら、代わりに僕が全部覚えてる! ユリアとの思い出は、全部僕の胸にしまっておくから! だから……ユリアは安心して忘れても……いいよ」


 僕が覚えていれば、思い出が消え去ることはない。無かったことにはならない。

 もしユリアが忘れてしまったとしても、僕が記憶を分け与えてあげられる。昔、あんなことがあったんだよって、教えてあげられる。だから僕は、絶対に忘れたりはしない。ユリアと過ごした日々を胸に刻み、そしてこれからの日々を心にとめよう。


 それが僕の決意。

 大事な物を失いたくないから、僕は成長しなくちゃならない。


「そう……」


 呟き、ユリアが僕の背に腕を回して抱いてくれた。


「ありがとう」


 彼女の言葉は嬉しそうであり、しかしどこか哀しそうでもあり、僕の心を優しく撫でつけた。

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